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リモートワーク悪玉説はなぜ根強いのか?~在宅勤務イジメは経済を悪化させる~

リモートワーク悪玉説はなぜ強いのか?


1. GMOショックが照らし出したもの

GMOインターネットグループが在宅勤務を原則廃止すると発表し、大きな反響を呼びました。Yahoo!ニュースのコメント数・アクセス数で1位になるほどの注目を集めましたが、SNSでの反応は「タイピング数で生産性を測るのはAI時代に時代遅れ」「在宅で生産性が上がる人にとっていい迷惑」「リモートがなくなると優秀な人が離れる」など、批判や皮肉が中心でした。

それでもこの発表は、潜在していたリモートワークへの逆風を改めて可視化しました。コロナ禍で半ば強制的に導入されたテレワークは、今や「緊急避難的な一時措置だった」とでも言わんばかりの扱いを受けています。ですがこの逆風の正体を少し掘り下げると、経営者の合理的な利益計算と、それに乗せられた労働者の奇妙な自傷行為が浮かびあがってきます。

2. 「出社の方が生産性が高い」は本当か

結論から言えば、総合的に見れば、その通りでしょう。在宅勤務には怠けやすい人間が一定数いることも否定できませんし、管理スキルが未成熟な日本企業では、マネジメントが機能しにくいもあります。
※特殊な条件(例:1人での資料作成)などにおいて在宅勤務の方が生産性が高いことは考えられます

ただしここで一つ、根本的な問いを挟む必要があります。「何と何を比較しているのか」という問題です。

多くの議論が見落としているのは、出社とリモートの比較が、最初から公平な条件設定になっていないという事実です。

3. 比較は最初から歪んでいる

東京圏で働く会社員の平均通勤時間は片道50分前後、往復では1時間40分から2時間程度になります。在宅勤務なら消えるこの時間を、出社勤務では毎日消費しています。

仮に所定労働時間が8時間だとして、在宅勤務者は8時間の稼働で帰宅できます。出社勤務者は8時間の稼働に加えて、往復2時間の通勤を強いられています。実質的な「会社への拠出時間」は10時間です。

この条件で「どちらが生産量が多いか」を比べれば、出社の方が多くて当たり前です。10時間拘束された人間が8時間しか使えない人間より多く生産するのは、比較でも何でもありません。それは単なる投入量の差です。

問題は、企業側が支払う人件費が変わらないという点にあります。在宅でも出社でも、契約は「8時間分の賃金」です。出社に切り替えることで、企業は実質的に社員の奉仕時間を25%程度タダで上乗せできます。これが「出社回帰」の経済的実態です。

4. 経営者は合理的に行動している

だからこそ、経営者が出社を志向するのは完全に合理的です。非難するつもりもありません。企業はコストと生産量の管理を行う組織であり、通勤時間という「無賃労働」を活用できる仕組みが存在するなら、それを使わない理由はないからです。

問題は制度の側にあります。通勤時間を労働時間にカウントしないという雇用ルールは、オフィス通勤が唯一の働き方だった時代に設計されたものです。在宅勤務という選択肢が存在しなかった時代には「抜け穴」でも何でもありませんでした。ですがリモートワークが現実の選択肢となった今、この慣行はルールの構造的な空白として機能しています。

出社の「生産性の高さ」は、通勤という不払い労働によって下支えされた見かけ上の優位に過ぎません。

こうした構造を考慮すると、社会全体で見れば、出社回帰によって、労働者が拠出した時間当たり生産性は下がる可能性すらあります。

5. なぜ労働者まで在宅勤務を叩くのか

ここで不思議な現象が生じます。本来、損をするはずの労働者の側が、在宅勤務を「足手まとい」と批判するケースが少なくありません。「リモートをいいことにサボっている連中がいる」「ちゃんと出社している自分が馬鹿を見る」という語り口です。

この気持ちはわからなくはありませんが、怒りの矛先がずれています。

在宅勤務者が「サボっている」ように見えるのは、成果ではなく「滞在時間」を基準に評価するマネジメントの問題です。時間当たり成果が同等であっても、オフィスに長くいる人間を「頑張っている」と感じる感覚は、経営者にとって都合よく機能する価値観の刷り込みに過ぎません。

そもそも出社している労働者が本当に感じるべき不満は、「在宅社員はずるい」ではなく「自分の通勤時間分をちゃんと賃金に反映してくれ」のはずです。毎日往復2時間を無償で提供しているのですから、その主張は完全に筋が通っています。実名では言いにくいとしても、匿名の声としてなら十分に発信できるはずです。

にもかかわらず、その怒りが制度や経営者ではなく、在宅勤務者に向かっています。これは構造的に見れば、労働者が経営者の論理を内面化して互いに攻撃し合っている状態です。自らの首を絞めているに等しく見えます。

6. 海外はどうなっているか

翻って海外を見ると、欧州ではリモートワークの権利整備が先行しています。フランスは2017年にテレワーク要求権を法制化、オランダは2016年に勤務場所変更を求める権利を保障、フィンランドは2020年に労働時間の半分以上を好きな場所で働く権利を法律で認めました。

ただし「通勤時間の負担と在宅勤務をどう公平に扱うか」という本稿の核心的な論点については、欧州でも制度的解答は出ていません。欧州の通勤時間は片道30分前後と短く、そもそも問題の深刻度が日本とは異なりますが、それでもEuronews(2025年9月)が「通勤は週に何時間を奪っているか、リモートワークはその補償になるか」と特集を組むなど、問いとしては議題に上り始めています。

日本では、その問い自体がまだ存在しないように見えます。

7. 制度の不備こそが問題の核心

日本でリモートワークが「悪玉」扱いされる構造は、突き詰めればシンプルです。

通勤時間を労働時間としてカウントしないという制度的な空白が存在する限り、経営者はその空白を最大限活用しようとします。出社回帰によって実質的な奉仕時間を増やせるなら、そうするのが合理的です。通勤時間を労働者に拠出させても、企業の支払いコストは変わらないのですから。

しかしこの構造を放置することの社会的コストは小さくありません。在宅勤務は、育児中の親、介護を担う家族、障害を持つ人、難病を抱える人、地方在住者など、通勤という物理的・時間的コストがそのまま就労の壁になっていた人々に対して、労働参加の選択肢を初めて与えます。少子高齢化が進み、介護離職が社会問題化し、ダイバーシティの推進が叫ばれる中で、在宅勤務はそれらへの構造的な回答のひとつになり得ます。「楽をする手段」ではなく、社会的インフラとして捉えるべきものです。完全に出社よりリモートの方が素晴らしい、と言うつもりは全くありませんが、適切な割合で社会にリモートワークが存在することの意義は大きいでしょう。

それでも、厚生労働省からも労働組合からも、この問題に切り込む声は聞こえてきません。出社回帰の是非がSNSで大きく議論される中でも、「比較の条件がそもそも不公平だ」という声は見当たりません。

本来であれば、通勤が生じる出社と通勤ゼロの在宅勤務が同じ土俵で比較されるよう、「通勤時間+労働時間の通算」を勤務時間として扱うルール整備が必要です。あるいは少なくとも、通勤時間という非対称性を労使双方が正面から議論する場が必要です。

コロナ禍という混乱の中でようやく社会に根付いた在宅勤務という武器を、制度の未整備を放置したまま社会全体で手放すことになるとすれば、それは合理的な選択とは言えないでしょう。

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