見出し画像

さよならバックパッカー inカンボジア⑨

カンボジア4日目。バンコク経由で日本に帰る日。
その日も朝から晴天で、Kさんがシェムリアップ空港まで送ってくれた。
たった数日間のことだったが、Kさんの腰につかまり、バイクで熱帯の蒸し暑い空気を切って走った時間は、今でも僕の体にしみこんでいる。

そして数時間後、古代遺跡アンコールワットがすべて幻だったように、近代的なバンコクの空港に僕はいた。

バックパックの奥に、この数週間大事にしまっておいた、日本行きの復路のチケットを取り出す。
この紙切れさえなければ、旅を続けてもいいのか?という悪魔の囁きが脳裏をかすめるが、そんなわけにもいかないのだ。
人でごった返す空港の待合室のベンチで、僕は帰国の憂鬱さに耐えきれず座り込んだ。


20代の数年間を、南米大陸でサラリーマンとして過ごし、その後はインド・タイ・カンボジアと約一か月半、バックパッカーとして旅をした。

基本的には行き当たりばったりで彷徨っていたが、後から振り返ると、何となく仏教関連の場所が多かった。

僕は無神論者だと自認している。
スピリチュアルなもの、宗教的なものをどこか斜に構えて見てきた。
バブル日本の、けばけばしく騒がしい空気には全くなじめなかったが、一方で俗世の理屈を捨てて精神の迷路にはまった末に、俗世を破壊しようとした90年代の日本の宗教がらみのニュースにも辟易していた。

そんな当時の日本から逃げるように、僕は南米で働き、アジアを放浪した。
人間と人間のぶつかり合いの中で、一住民として働いた経験も、感傷的な一過性旅人としてうろうろした経験も、様々な学びの宝庫だった。
この世のどこにも純粋無垢な天国は存在しない。
それでも、「途上国」の人々の、貧しくとも喜怒哀楽に満ちた生き様が、強く僕を惹きつけた。

しかし、日本から逃げれば逃げるほど、僕の芯はどうしようもなく日本人であることに気づかされる。うまく言えないが、当時の僕はそう気づき、日本で生きていくことを自分で選んだ。
「根無し草」にはなりたくないと、地に足をつけて、手触りのしっかりした生活をしたいと思ったのだ。

自分の人生の選択に一片の後悔もなかった。
それでも、帰国の憂鬱さに、その日の僕は座りこみ、本当に吐きそうだった。

さよならバックパッカー inカンボジア⑩ に続く。