さよならバックパッカー inカンボジア⑧
バックパッカーの勘をフル稼働させて、ひしめくドライバーの中からKさんのバイクタクシーを選んで本当によかった。
この数日間の感謝を込めて、昼食をごちそうしたいと僕が申し出ると、Kさんはにっこりと受けてくれた。
木漏れ日の下で二人で食べたクメール・ヌードルは、その日も絶品だった。

一面の田んぼの果てに、真っ赤な夕日が沈むころ、
Kさんが「最後に君に見せたい場所があるけど、いいか?」と言った。
そして、着いた場所は「Killing Field キリング・フィールド」。
ポル・ポト政権下の1975~79年の4年間で、数万から数十万人の人々が虐殺された。その死を悼む寺院の一角に建てられたお堂の中には、発掘された犠牲者の頭蓋骨が山のように積まれていた。
その前で、Kさんは自分の半生をぽつぽつと話してくれた。
Kさんは若いころに、政府軍の一員としてポル・ポト派と戦っていた。
数々の戦場で、凄まじい地獄を見てきたが、彼は奇跡的に生き延びた。
しかし、彼の父親も、いとこたちも、内戦中に殺された。
Kさんも、生き延びるために、たくさんの敵の命を奪った。
Kさんの人生をずたずたにした内戦が終わった後、彼は家族を養っていくために、そして平和な時代に適応して生きるために、必死で英語を勉強した。
そして、観光客相手のバイクタクシーを走らせながら、1日2ドルを稼いでいる。
Kさんは言った。
「日本も戦争をした国だから、みんな分かっていると思うけど、とにかく戦争だけはしちゃいけない。本当に地獄だ。
ノー・リターンだ。引き返せないんだ。
日本に帰ったら、君の家族や友達に、ここで見たことを伝えてくれ。」
言い尽くされてきたことだが、この世の中は、現場に行って初めて分かることだらけだ。画面越しでは、決して理解できない何かがある。
あの旅から20年以上が過ぎたこのごろ、あるドキュメンタリー映画(2020年公開)を見た。
カンボジア内戦を生き抜き、アメリカに無一文で亡命し、一代で巨大ドーナツ店チェーンを築いたある男の人生。
内戦当時のカンボジアの様子も分かるし、今とは全く違う「USAの懐の深さ」をなつかしく感じる映画だった。
さよならバックパッカー inカンボジア⑨ に続く。
