【虹色創作部】夏と海と、僕らは日常(2)

第二話
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朝の光が、まだ湿り気を含んだ空気をゆっくりと撫でていく。 小屋の窓辺に置かれた小さなビー玉──いや、ガラス玉が、その光を受けてまばゆく瞬き、室内の壁にさざ波のような反射を描いていた。老人は静かに腰を下ろし、指先でその球体を回した。冷たい質感、なめらかな輪郭。内側に、かすかに揺れる“マグロ”の文字が、まるで朝日を抱くように、きらきらと光を反射していた。
「おまえは、まだ旅の途中なのかもしれんな」
独り言のように、しかしどこか名残惜しげに。老人の声は、光の粒のように潮風に溶けていった。
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『ひらめきの風に乗れ!〜課長・山本の挑戦〜』
月曜日の朝―――。
今日も、俺・山本はキマっている。ネクタイは斜め45度。目覚めは最高。朝食の納豆がとっと糸を引きすぎたが、それすらも“運命の兆し”に思えるのが、俺のいいところだ。で、夢を見たんだよ。滝の中から金色のマグロが飛び出して、「Bプロジェクトが未来を拓く」と鳴いた。え?マグロは鳴かないって?いや、鳴いてたんだよ、俺の夢では!
つまりこれは、天啓。
俺がこの会社に入って18年、直感で動いたときの成功率は、ざっと…まあ体感で63%はある。
会社は海沿いの3階建てビルだ。玄関をくぐると、潮の匂いが微かに混じる空気。窓際の席からは、港に出入りするバスが小さく見える。オフィスに到着すると、田中くんがすでに席にいた。几帳面なやつだ。Aプロジェクトの資料をしこたま印刷しているあたり、マジメがにじみ出ている。背後ではコピー機がウィーンと音を立て、隣室からは電話の着信音と、営業部らしい笑い声が混じって聞こえてくる。
だが!このままAプロジェクト一直線ではいかん!夢がそう告げている!「おい田中くん!Bプロジェクトで行くぞ!さっき閃いた。こっちだ、絶対!」
彼の表情が、ほんのわずかに引きつったのが見えた。いや、あれはきっと“感動”の震えだろう。俺のひらめきに毎度感謝しているに違いない。
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日が高くなるにつれて、壁に揺れていた光の反射は形を失い、床に落ちた玉の影も淡くぼやけていった。 朝には透明な水面のように輝いていたそれが、昼には乾いた砂の上で曇った鏡のように、微かに色をくもらせていた。 そのガラス玉は、午前の光を集めては反射し、天井に揺らぐ光の粒を浮かび上がらせていたが、やがて夕陽が射す頃には、反射は影の中に沈み、赤みを帯びた光に包まれていった。
老人はガラス玉を布に包み、小屋を出た。浜辺へと続く小道には、いつものようにカモメの声が響いていた。鳴き声は風に流れ、赤くひらいた空へ溶けていく。
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会議室に移動する。白い壁とガラス扉の無機質な空間。大きな窓から差し込む朝の光がテーブルを照らし、そこに書類やタブレットが並ぶ。ホワイトボードには昨日の議論の跡が残り、誰かの走り書きが半分消えかけている。田中くんは控えめに言った。
「えっと…先週はAで、というお話でしたが…。」
来たな、理論派。
「いいか田中くん、人間ってのはアップデートし続けなきゃいけない生き物なんだよ。考えてもみろ、冷蔵庫だって日々進化してる。俺たちの企画も進化しなきゃダメだろう?」
「なるほど…(冷蔵庫…?)」
窓の外では夏の風に揺れる木々、その合間を通り過ぎる青い路線バス。会議室の空気は、俺の言葉に呼応するように澄んでいく気がした。
うむ、納得しているようだな。田中くんはいい部下だ。顔色一つ変えずに俺のスピード感に食らいついてくる。たまに目が死んでるけど、それも努力の証。
「で、今週中に社長に中間報告するから、よろしく!」
「…了解です(え、今週中!?)」
その瞬間、ガラス越しに遠くの執務室から笑い声が響いてきた。ああ、俺たちの挑戦が、会社全体を明るくしている証拠だ。
よし、伝わった。
俺の頭の中には、Bプロジェクトの未来図がもうバッチリ描けている。細かいところは田中くんがやってくれるはず。あの子、優秀だし。
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波打ち際まで歩いたところで、老人は足を止めた。 ゆっくりと布を開き、玉を取り出す。朝には陽を抱くように明滅していたその表面も、いまはわずかに鈍く光を返すばかりだ。内部の“マグロ”の文字も、霧の中に沈むように輪郭を失っていた。
「思考も、いずれ溶けてゆくか…。」
拾ったときのように、両手で包む。けれど今度は、その手のひらから放つように、そっと海へ差し出した。ひと呼吸ののち、老人は静かに手を振る。 小さなガラス玉は、夕焼けに染まる波の間に吸い込まれるように消えていった。
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俺の役目は、風を読むこと。流れを作ること。
部下には言わないけれど、正直Bに決めた理由、もう一個あるんだ。社長が先週の飲み会で「Bっていい響きだよね」って言ってたの、覚えてるんだよな。その一言が、俺の心のどこかに刺さってた。これがリーダーってやつよ。
夕刻、エレベーター前に並ぶ数人の背中に夕陽が差し込んでいた。俺もその光に背中を押されるように思う。さあ、今日も俺は走り出す。思いつきという名の風に乗って。
「直感は、最大の戦略だ!」
そう胸に刻みながら、俺はコーヒーを片手に再びひらめきを探すのだった―――。
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潮風の中、老人はしばらくその場に立ち尽くしていた。 その目には、どこか空っぽのような、けれど受け入れた者だけが持つ安らぎのような光があった。
「…さて、作業場の整頓でもしようか。」
そう言って、海に背を向け、小さな背中はゆっくりと小屋へと戻っていった。打ち上げられたものがあれば、還るものもある。そのことを、彼はただ知っていた。波間に吸い込まれたガラス玉は、しばし揺らぎながら沈んでいった。
海中で漂うその小さな球体は、まるで行き先を探すかのように、光の筋の中をゆっくりと彷徨い続けた。そして、内に抱えた“マグロ”の文字も、やがて海の色に溶けるように、静かにその輪郭を失っていった。
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fin
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