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川田、秋山、KENTA。太陽を照らした「月の男たち」

昨日、2026年のG1 CLIMAXが終わった。
プロレス界が新日本一色になる中、今日はその少し横にある話をしたい。

川田利明。
秋山準。
KENTA。

僕が昔からなぜか惹かれてきた、全日系の三人。

三沢、小橋、丸藤という「太陽」の隣にいた、
月の男たちの話です。



昨日、2026年のG1 CLIMAXが終わった。

両国国技館。

優勝したのは、大岩陵平。

NOAHで武者修行をしていた大岩が、新日本プロレスの夏の頂点に立った。

本当におめでとう。

いまプロレス界の話題は、当然ながら新日本プロレス一色だ。

だから今日は、その華やかな新日本の話を――

しない。

G1翌日に、川田利明と秋山準とKENTAの話を書く。

我ながら、だいぶ自分らしいと思う。

今日は、全日系の系譜にいる「月の男たち」の話をしたい。



川田と、三沢。

秋山と、小橋。

KENTAと、丸藤。

たぶん、この順番で名前を並べる人はあまり多くない。

普通は、

三沢と、川田。

小橋と、秋山。

丸藤と、KENTA。

なのだと思う。

三沢光晴。

小橋建太。

丸藤正道。

それぞれの時代で、絶対的な「太陽」のようにリングの中心にいた男たちだ。

華がある。

強い。

その人がリングに立てば、そこが物語の中心になる。

でも、その太陽の光をさらに強くしていた男たちがいた。

川田利明。

秋山準。

KENTA。

僕は昔から、この三人に不思議なくらい惹かれてきた。


川田利明


三沢光晴という人は、あまりにも三沢だった。

強くて、静かで、何を考えているのか簡単には見せない。

そして最後には勝つ。

そんな三沢の隣にいたのが、川田だった。

川田は、三沢とはまるで違った。

痛い。

苦しい。

悔しい。

腹が立つ。

そういうものが、顔にも身体にも全部出る。

三沢がリングの中心で「王者」を体現していたとすれば、

川田は、その王者にどうしても届かない人間の感情を全部引き受けていたように見えた。

だから、三沢が強く見えた。

でも同時に、

川田がいるから三沢との試合を見たくなった。

川田がまた立ち上がるから、三沢のエルボーが恐ろしく見えた。

太陽が月を照らしているようでいて、

月がなければ、太陽の光の強さは分からない。

そんな関係だったように思う。


秋山準


小橋建太は、たぶん最も分かりやすい太陽だった。

努力する。

耐える。

立ち上がる。

観客と一緒に熱くなる。

身体から熱量が出ているような人だった。

その隣にいた秋山準は、少し違う。

器用だった。

戦略的だった。

若い頃から完成度が高かった。

なんとなく全部できてしまう。

だからこそ、少し距離があった。

小橋を見ていると「頑張れ」と言いたくなる。

秋山を見ていると、

全日系にいなかった戦略的トンガリ系で、「もっと言え!」

となる。

その微妙な距離感が、僕は好きだった。

そして小橋のような直線的な熱があるから、秋山の冷静さが際立つ。

逆もそうだ。

秋山が横にいるからこそ、小橋という人間の異常なまでの熱量が分かる。

秋山は決して光っていなかったわけじゃない。

むしろ、ものすごく光っていた。

ただ、その光り方が太陽とは違った。


KENTA


そしてKENTA。

丸藤正道は、誰もが口を揃える天才だった。

動きが軽い。

発想が新しい。

何かをやるたび、

「そんなことできるんだ」

と思わせる。

華もある。

丸藤がNOAHの未来だと言われれば、ものすごく納得できた。

対してKENTAは。

蹴る。

睨む。

吠える。

生意気。

身体も大きくない。

でも、めちゃくちゃ格好いい。

丸藤を見て、

「すげえ」

と思う。

KENTAを見て、

「でも俺はKENTAなんだよな」

となる。

この感覚、プロレスファンなら分かってくれる人がいる気がする。

KENTAは、丸藤より華がないから支持されたわけではない。

丸藤とは違う場所で、ものすごく強い光を出していた。

それが太陽の光とは違っただけだ。

※一時期BLACK SUNの異名があったから太陽じゃん!などの声はスルーします笑

月は、太陽になれなかった存在ではない


「月の男たち」と書くと、

二番手。

脇役。

太陽になれなかった人。

そんな意味にも聞こえる。

でも僕が言いたいのは、そういうことではない。

月には、月の役割がある。

三沢を語れば、川田がいる。

小橋を語れば、秋山がいる。

丸藤を語れば、KENTAがいる。

むしろこの三人がいなかったら、

僕たちが知っている三沢、小橋、丸藤は、少し違って見えていたかもしれない。

プロレスは一人ではできない。

強さも、華も、物語も。

相手がいるから見える。

その関係性そのものを楽しむものなのだと思う。

だからプロレスでは、ときどき不思議なことが起こる。

リングの中心にいた人より、

その少し横にいた人間のことを、何十年経っても忘れられなかったりする。


最近、100年前の出来事を題材にした物語を書いている。

そこにも、歴史に名前を残した人物がいる。

本を開けば名前が出てくる。

検索すれば、何をした人なのかも分かる。

でも書いているうちに、

その人だけを追いかけるのが、少し違う気がしてきた。

会議室の端にいた人。

島で暮らしていた人。

言葉を記録していた人。

歴史には名前を残さなかった人。

そういう人たちが持っている小さな何かが、

物語を次へ動かすことがある。

たぶん僕は昔から、そういう人が好きなのだ。

だから川田が好きだったのかもしれない。

秋山が好きだったのかもしれない。

KENTAが好きだったのかもしれない。

太陽そのものより、

太陽を、太陽にしていた月を見てしまう。

プロレスを長く見てきて、

そんな自分の癖に、最近ようやく気づいた。

 *  *

最近、その「癖」のまま、ひとつの物語を書いています。

舞台は1921年。
国際連盟と、オーランド諸島。

歴史に名を残した新渡戸稲造の隣に、
歴史には残っていない人たちを置いてみました。

漁師。教師。速記者。島の人々。

太陽ではなく、月の側から歴史を見てみたら、
何が見えるのだろう。

『もうひとつの武士道 〜1921年オーランド諸島の奇跡〜』

よかったら、こちらも覗いてみてください。

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