預言者は知っていた - 4 #創作大賞2024 #ファンタジー小説部門
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“ゼガ”
ヨナは目を覚まし、身体を起こした。
あたりは薄暗く、少しひんやりとしていた。立ち上がると天井に手が届いた。さきほどまで横たわっていた床は、温かくぬるぬるしていて弾力があった。そして周期的になまぬるい風が静かに行ったり来たりしていた。ときどき小さな光がキラキラと壁を横切る。
まだ二日酔いが残っているのか、それとも船酔いなのか、頭が痛く、記憶がはっきりしなかった。船酔い……。そうだ! 俺は嵐を沈めるために船から飛び込んだんだっけ。身体がどんどん沈み、光も見えなくなり、海草が手足にからみつき……。それからあとのことは憶えてない。とにかく息ができなくて苦しかった。もう駄目だと思った。俺は助かったのか。生きているのか、死んでいるのか。ここはどこなんだろう。
あれこれと考えを巡らせていると「ヨナ、ヨナ」と聞き覚えのある声がした。
「はい。主よ、私はここにおります。ここはどこでしょうか」ヨナはその場にひれ伏した。
「ヨナ。顔を上げなさい。あなたは生きている。ここは“ゼガ”という魚の腹の中だ。顔を上げなさい」
「助けてくださったんですね。ありがとうございます」ヨナは主を見上げた。
「わたしはうれしかったよ。おまえがわたしのことを覚えていてくれて。ニネベに行ってくれるんだね」
「はい。男に二言はありません。主に逆らった私を、あなたが赦して命を救ってくださったのです。あなたの命令に従います。ニネベに行きます。あなたの奇蹟を見せてください」
主はそんなヨナを喜んで言った。
「わたしは知っていたよ。ヨナがそう言ってくれることを。
自分の命よりも船の安全を第一に思って海に飛び込むなんてなかなかできることじゃない。そして、海に沈みながらも祈った言葉をわたしはたしかに聞いた。
おまえはわたしの愛する預言者だ。また以前のようにわたしとゆるくしゃべってくれるかな」
「本当にすみませんでした。いっぱい悪態をついたのにいいんですか。えっと……またよろしくです」ヨナのしゃべり方はまだ本調子ではなかったが、だいぶ硬さが取れてきたようだ。
「うん、いいね。この感じ」主はうれしそうに続ける。「久しぶりにゆっくりヨナとしゃべれるな。質問があるんだろ。答えるよ」
ヨナの質問に主が答えた。
まず、あのあと嵐はどうなったのか。
嵐はヨナが海に沈むと同時にピタッと収まった。
船乗りたちはヨナが飛び込んだ水面をのぞき込み、それぞれが信じる神にヨナの無事を祈った。ヨナのせいで嵐に逢ったことを恨みに思わず、むしろ彼が海に飛び込んだおかげで自分たちの命が助かったことに感謝していた。いい人たちだ。
彼らは港に戻り、ヨナが残した金銀で、嵐で海に捨てた積み荷を買い戻し、出航を待っている。陽気にやってるみたいでよかった。
そして、少年とサマリヤで別れたあとのことだ。
少年はガテ・ヘフェルに戻り、母とマリヤにうまく話したらしい。この部分の主の説明が要領を得なかったが、とにかく、母はヨナの無事を喜び、マリヤとともに気長にヨナの帰りを待っていてくれることになった。少年も当然のように滞在を続けている。彼がいてくれるのは心強い。
ヨナの質問に答え終わると、主は“ゼガ”について話してくれた。これもヨナが知りたかったことのひとつだ。
大きさは山くらい、長さは竜くらい、と主の説明は曖昧だが、とにかくそれほど大きくて長いということだ。
普段は深い海の底に住んでいるが、呼吸をするため水面まで浮かんでくることもあるという。
身体の色は変化し保護色となって目立たない。ただ身体の内側から見ると透明で外が透けて見え、今も海を泳いでいる魚がキラキラと光って見えた。まるで海中遊覧船のようだ。
翼のような大きなひれを持ち、泳ぐ速度はどんな船よりも速く、世界じゅうの海を泳ぎ回っている。水面ではそのひれを水に打ちつけて高く飛び上がることができる。
性格はおとなしく、いわしなどの小さな魚の群れを一気に飲み込んで腹を満たす。大きな口から飲み込まれた魚は消化器官とは別のところで保存され、必要な時に胃へ送り込まれて消化される。今ヨナがいるところはこのエサの保存室だ。
「もうすぐ飛び上がるので外を見ていてごらん」と主が言われるのでヨナは外に注目した。
伝わってくる振動で“ゼガ”がかなりの速さで泳いでいるのはわかっていたが、ここにきてさらに速度が上がったようだ。海草や魚などがすごい勢いで下方に見えなくなっていく。“ゼガ”がぐんぐんスピードを上げて浮上する。ひれで激しく水を搔いているのがわかる。次第に明るくなってきた。水面が近いようだ。さらに速度が上がった。
「さあ離水だ!」主の声に合わせて“ゼガ”がひれを大きく羽ばたかせた。外の色が変わると同じタイミングで“ゼガ”はひれを水面に激しく打ちつけた。巨体が空中に飛び出した。
空は晴れていた。足元に海が、頭上に太陽が見えた。海はすぐに陸になった。海岸は街になり、畑を越え、砂漠を越えた。
初めての光景にポカンと口を開けているヨナに主は声をかけた。「どうだい? 初めて空を飛んだ感想は……」
「最高の気分です。生きたまま火の車に乗って天に昇られたエリヤ様もこんな景色を見たのでしょうか」ヨナはエリシャから聞いた大預言者の最期の場面を想像した。
“ゼガ”は高く飛び、かなりの距離を飛んだ。やがて再び海が見えてくると降下し、着水した。大きな衝撃とともに大量の水しぶきが上がり、それが収まると“ゼガ”はまた沈み始め、やがて海底に着いた。
「もうひとつおもしろいものをみせてあげよう。海底に見えるあれが何かわかるかな」
主がそう言われるので、見ると揺れる海草の中に何かの残骸が見えた。
「あれは何でしょうか。馬車のようにも見えます。鎧や槍、盾のようなものもあります。
あれはもしや……イスラエルがエジプトを脱出したとき追ってきたエジプトの兵士たちでは……」
ヨナは過去にあったという主の奇蹟の中に思い当たる場面があった。
400年以上も前のこと。イスラエルの指導者であるモーセは、奴隷となっていたイスラエルの民を連れてエジプトから脱出した。逃げるイスラエルの民にエジプトの軍隊が迫ったとき、モーセは主の命令に従って手を掲げて海を分けて道を造り、すべての民が海に現れた道を渡り切った。エジプトの兵たちが海が分かれた道を追ってきた。彼らが海を渡り切る前に分かれていた道は海に戻り、彼らは飲み込まれた。
ヨナが目にしたのは海底に一列になって沈んでいる古代エジプトの戦車や兵たちの隊列だった。もちろん海の底に沈んでからかなりの年月が経っているため、人や馬の死骸は潮に流されたのか見当たらなかった。
ヨナが見ている海底の様子はその奇蹟が実際に起こったことを示していた。
“ゼガ”はその後も海を高速で泳いだ。ときどきは水面に出るものの、ほぼ海中を飛ぶように進んだ。ヨナは主と語らい、海を見て過ごした。
ヨナはふと思い出した。「海の旅はとっても楽しいのですが、ニネベに行くことを忘れてないですか。それとも行くのはやめにしますか。俺はそれでもいいですけど……」
「大丈夫。そろそろ終着地点だ。“ゼガ”が進んでいる水路が狭くなったのがわかるかい」
「そう言えば水深も浅くなってきましたね」
「この巨体がなんとか目的地まで連れて行ってくれる。おまえは陸地に吐き出される。そのあとのことはそのあと説明する」
ヨナは、これから起きる、想像を超えた奇蹟の体験に期待することにした。
やがて“ゼガ”はずっと水面に浮かんだまま泳ぐようになり、腹が水底をこすり始め、やがて窮屈そうに身を縮めるようにして泳ぐのをやめた。“ゼガ”は大量の水を一気に吸い込み、ヨナのいる部屋を水で満たした。ヨナは水に飲まれ、この部屋に吸い込まれたときと同じ道を通って大量の水といっしょに岸に吐き出された。
これはヨナが死を覚悟して海に飛び込み、大魚に飲み込まれてから3日目のことであった。
(つづく)
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