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ジュリア草子──秘湯12宿で綴った酔いと妄想の36話

──秘湯12宿で綴った酔いと妄想の36話──

早くも6冊目となる本作ですが、今回初めて「1話完結のエッセイ」という形式に挑戦しました。

清少納言大先生の『枕草子』の世界観を少しだけお借りして、秘湯12宿での“をかし”を酔いと妄想と共に36話を描きました。

今回はその中から、5話をご紹介します。

まず、藤屋さんの温泉と夕食を題材に書いたものです↓

「不二屋」の温泉はいとをかし。木の香りがかすかに漂う湯殿に、ミネラルの匂いがやわらかく立ちのぼっている。逆L字型の大きな木の湯船には、とろみのある湯がたっぷりと注がれ、隣にはつめたい小さな長方形の浴槽。どちらも静かで、湯口から源泉が流れ出す音だけが聞こえている。そっとあたたかい湯に身を沈め、ゆるんだところで、つめたい湯に移動する。きゅっと肌がひきしまり、思考がクリアになる。ふたたびあたたかさへ、そして冷へ。何度も、何度も。これはもう、単なる交互浴ではない――「エターナルループ」。ととのいを超えた、もはやひとつの儀式レベル。たいまつの一本くらい、持って入りたくなる。ついでに白装束の付き人には、鈴の音でも鳴らしてもらいたい。

夜の湯殿は、梁の陰影が濃くなって、もはや修行道場のよう。薄明かりの中で、黙々と「エターナルループ」をくりかえす。あたたかい湯でゆるみ、つめたい湯で正される。そのたびに、心の中の雑音がすっと消えていく。木の浴槽の縁に肘をかけて、天井を見上げてみる。そこに煩悩の文字が浮かびそうで、思わずくすりと笑ってしまう。修行僧の顔はしていないけれど、精神的にはもう、かなりのところまで来ている気がする。あぁ、「猫ビール」を飲みたい。……まだ修行が足りないらしい。

夜。外に出て、貸切露天へ。独立した湯小屋の扉を開けると、岩に囲まれた湯が静かに待っている。肩まで沈むと、ざぶんと音がして、それからすべてが止まる。虫の音も風のささやきも、遠ざかるように消えていく。天井は空。葉の隙間から星がこぼれ落ちてくる。誰にも見られていないと思うと、つい温泉に話しかけてしまう。待っても待っても返事はないけど、たぶん聞こえているはず。黙っているのは、照れているだけ。

朝。空がぼんやり明るくなるころ、再び貸切露天へ。七月なのに、標高千メートルの高地は涼しい。温泉に入ると、目が一気に覚める。身体の奥からほぐれていくのがわかる。最後はもう一度、内湯へ。誰もいない静かな湯殿で、ラスト「エターナルループ」に突入。あたたかい、つめたい、あたたかい。もう何周目かわからない。それでも、思考は確実に研ぎ澄まされていく。脳まで目覚める朝の儀式――「エターナルループ・スーパーノーヴァ(超新星交互浴)」。終わらなくていいと思った湯。あたたかい、つめたい、あたたかい。夢中で何周もくり返す。そこへ、ふいに戻る現実――チェックアウトまで、あと十分。……どうする、この状況。とりあえず、もう一周だけしてから考える。

「不二屋」の夕食はいとをかし。まず、刺身がすごい。岩魚が一尾、頭から尾までその姿のまま、きらきらと涼しげに皿の上に横たわっている。こんなにワイルドな刺身があっていいのかと一瞬たじろぐけれど、口に入れると驚くほど上品。ほどよく脂がのっていて、透きとおった冷たさが舌にすっとひろがる。続いての蕎麦が、刺身の勢いをそっと受け止める。この静かな山里にはちょうどいいバトン。岩魚の派手なスパートのあと、蕎麦がすっ……と登場。渋すぎる二走目に、沿道の観客も静かにざわつく。

次は蒸し焼きの岩魚。味噌の香りがふわっと立ちのぼって、さっき刺身だった彼が、今度は温もりをまとって帰ってくる。皮までほろっとほどけて、骨をすっと抜くだけで、湯気の奥にもうひとつの物語が現れる。ジビエ鍋は、なんと熊。人生初熊肉。煮えていく姿を見ながら、どうか柔らかくなってくださいと念じる。出汁は濃いめで、野菜もたっぷり。口に入れると、意外とまろやかで、なんだか穏やか。優しい熊、というパワーワードが頭をよぎる。なるほど、世の中に、熊の姿を借りたぬいぐるみやらマスコットやらが多いのもわかる気がする。きっと熊肉のおかげなんだろう。

続いて、天ぷら。衣が軽くて、エビが立派で、山菜が元気で、揚げ物というより祝祭。笛と太鼓が鳴りはじめ、神楽殿の奥で、なにかの神様が静かに舞っている。わたしはすでに神輿を担ぎ、どこからともなく屋台が並びはじめる。いま、小さな夏祭りが、まさに絶賛開催中。脳内で。そして、最後の飛騨牛。陶板の上でじゅうじゅうと音を立て、脂がふつふつと透明に変わっていく。これを前にして、黙っていられる人がいるのだろうか――わたしは黙っていない。ひだぎゅぅぅぅぅぅと叫び、そのままひと口。うわ、やわらかい。これ、たぶんもう何もかもに勝ってしまっている味。飛騨牛の優勝。世界一。

食事のお供は「清少納言・新平湯507」。おちょこを傾けて、ぐい、といく。甘くもなく辛くもなく、飲んでるうちに喉の奥が冴えてくる感じ。料理のひとつひとつと話し合える日本酒というのは、ほんとうにありがたい。あの熊とも対等に闘えている気がする。ほろ酔いになって、ふと天井を見上げる。黒く艶のある梁が、静かにこちらを見下ろしている。どうやらここは、古民家を移築した建物らしい。さっきまで料理に夢中で気づかなかったが、この落ち着いた空間もまた、ごちそうの一部なのだろう。酒ってすごい。いろんな妄想を見せてくれる。ありがとう、酒。これからも精進して飲ませていただきます。

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続いて、河鹿園さんの広縁を題材に書いたものです↓

「河鹿荘」の広縁酒はいとをかし。窓際に「猫ビール・トリプル猫」と「清少納言・奥津657」を並べてみる。ひんやりした瓶を置いただけなのに、すでに気持ちが少しととのう。それぞれのグラスに注げば、ビールはしゅわしゅわ、酒はとろり。どちらもいい香りがして、眺めているだけで広縁がゆるんでいく。二本の瓶が、肩を寄せ合って座っている猫たちのようにも見えて、思わず笑ってしまう。口にふくむと、まずは「猫ビール」の苦みと甘みが、空気にすーっとなじんでいく。お次は「清少納言」──名前を見ただけで、なんだか背筋が伸びる。大先生だし。さっきまで猫背でビールを飲んでいたのに。

ビールと酒の間を、行ったり来たりしているうちに、思考がじわじわと妄想へと進化する。気づけば、清少納言がテキーラをあおっている。まさかのメキシカン趣向。塩まで舐めている。いやいや、そんなはずは……と首をかしげているうちに、ふと思い出すのは、あの一文。猫について、あまりに愛おしく語られていた、あの一節。“猫は、をかしきもの……走りかへり来たるも、いとをかし。まして、ちひさく鳴いていらへたる、いとをかし。そよかぜなどに、おどろきありくも、いとをかし。” 「いとをかし」が三度も繰り返されるところが、もうたまらない。猫のしぐさが丁寧に描かれていて、読むほどに、筆づかいのやさしさまで伝わってくる。まるで、文字が猫の毛並みをなでているように。

酔いがまわると、だんだん言葉づかいまで枕草子的になってしまう。猫は、いとをかしきもの。「トリプル猫」や「奥津657」もまた、いとをかしきもの。広縁も、いとをかしき場所。気づけば、小さな後悔や雑音は、いつのまにかどこかへ消えている。いま、ここに満ちているのは、ただただ「をかし」のかたまりだけ。わたしは、今まさに酔っているのだろう。酒が身体という世界の征服を目論んでいる。負けるものか。……もう白旗寸前。

わたしはいま、現代のちいさな清少納言である。しかも、けっこう酔っている。「猫ビール」を飲み、「清少納言」をなめ、広縁にひとり腰かけて、もののあはれを観察している。現代の草子『ジュリア草子(ジュリアノソウシ)』などと勝手に名付けて悦に入っているが、たぶんあとで読み返したら恥ずかしい。けれど、いまはそれでいいのだ。いまはただ、「いとをかし」と言いたいだけなのだから。隣では、清少納言がレモンをかじり、まだテキーラをあおっている。いとワイルド。……あれ、なんだか、タコスの匂いがしてきた。急いで、大先生にタバスコをお渡しせねば。内線、九番だったっけ。

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続いて、清廣館さんの広縁を題材に書いたものです↓

「清廣閣」の広縁酒はいとをかし。「猫ビール・スーパードニャイ(秋)」と、「清少納言・出湯657」を部屋で並べてみる。ラベルの図柄がどちらも誇らしげで、どっちから飲むかを迷う。とりあえず、「スーパードニャイ(秋)」から。飲み進めるうちに、こちらを眺めているラベルの猫が、だんだん虎に見えてくる。続けて、「出湯657」もひと口。その虎が平安時代に降り立って、大暴れしている様を妄想する。交互に飲むたび、猛虎が六甲おろしで宮中を震わせ、忘れていた理想のわたしが、ふっと顔を出す。

思い出すのは、『明暗』と『豊饒の海』。どちらも、作者がこの世を去る直前まで書かれていた名作。『明暗』は未完のまま、『豊饒の海』は完成したその日に、作者は命を絶った。学生時代、『明暗』の続きを描こうとしたことがある。どうしてそう思ったのか、自分でもうまく説明できないまま、ノートPCを開き、数行ほど書いて──けれど途中で手が止まった。これで終わっていること自体が、ひとつの味なのかもしれない──そんな気がして、そっと画面を閉じた。……というのは、理想的なわたしの過去。実際には、ノートPCを開くも、いつの間にか「夏目雅子」のウィキを懸命に読んでいた。

『豊饒の海』はもっと劇的だった。あの最後の一行には、千ページ分の記憶を一息で洗い流すような力があった。物語としては完結しているのに、どこか空白を残している。語られなかった部分が、読者の中で勝手に育っていく。答えが与えられていないからこそ、自分の想像で埋めていける。その余地が、心地よかった。……それなのに、その最後の一行がどうしても思い出せない。理想のわたしは、どこへ行ってしまったのか。あわてて「みしまゆきお」で検索するも、「三島雪男」という謎の演歌歌手のブログに飛んでしまっている。「重すぎる名前、雪男」と題された記事が三本もある。

「猫ビール」をぐいと飲んで、すぐさま「清少納言」で上書きする。味の余韻が入れ替わるたび、またもや『明暗』と『豊饒の海』のことを思い出す。最後まで読み終えたはずなのに、どこか途中に立ち止まっているような読書体験。結末よりも、気配のほうが深く残る作品。どちらの主人公も、何を思っているのかはっきりとは見えないまま、時だけがゆるやかに過ぎていく。問いは残っても、答えはどこにも書かれていない。でもその沈黙が、時間が経つほど濃くなっていくのが不思議。……まあ、読んだのが随分前だから、記憶はだいぶまちまちで、「夏目雅子」に憧れる雪男くらいのイメージしかないけど。

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最後は、あづまやさんの温泉を題材に書いたものです↓

「吾妻家」の温泉はいとをかし。和歌山の山間部にひっそりと佇み、訪れるには少しだけ覚悟が要る場所。でもその先には、温泉好きにとってのひとつの聖地がある。――そう、つぼ湯。あの小さな世界遺産のすぐ目の前に、「吾妻家」はある。ここに泊まると、歴史そのもののような湯に、静かに身を沈めることができる。わたしのSNS依存も、まあまあ手ごわい煩悩だけど、この湯なら少しくらい削ってくれそうな気がする。

「吾妻家」の内湯は、古来からの祈りがそのまま湯気になったような空気に満ちている。大きめの湯船と、小さな一人用の湯舟が並び、それぞれが異なる湯の表情を見せる。特に、さまし湯と呼ばれている小さい方は、高温の源泉を加水せずに冷ましていて、濃厚さがたまらない。肌に絡むようなとろみ、ふっと鼻に届く薬湯の香り、ただ黙って浸かる――を、何度か繰り返す。無言で入って、無言で出て、また無言で戻る。もう完全に、温泉道場の稽古メニュー、サイバースピリチュアル・トレーニング熊野。

小さな露天風呂もある。こちらはまた違う泉質に思えるほど、湯の表情がガラリと変わる。しかも、少し歩いた先には系列の民宿もあり、そこの湯にも入ることができるという贅沢。わたしの好みは、民宿→露天→さまし湯の順。どこか巡礼ルートのようでもあり、最後にはきちんと、ととのうようにできているのが、ちょっとした自慢。ちなみに、内湯には温泉サウナもある。冬はなんてことのない空間だが、夏には本気を出すらしい。これだけで、暑い季節にも来る理由ができてしまうから不思議。灼熱の季節にサウナ、完璧すぎる――もう想像だけで、夏が爆発しそう。サマーエクスプロージョン熊野。

この湯の名は、「濃厚古道」。ただ湯に浸かっているだけなのに、まるで熊野古道を何十キロも歩いてきたような気分になる。……実際には、入り口にある石碑の写真を撮っただけ。それでもSNSには、古道、沁みました、と書いて投稿済み。そもそも、この旅はSNS断ちのつもりだったのに。カメラロールには温泉の写真が山盛りで、指が勝手にアプリを開いている。この煩悩、なかなか手ごわい――さっきの投稿には、すでに五件のいいね。……うち三件は、わたしのサブ垢、残り二件は妹と妹のサブ垢。

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★創作裏話★

お読みいただければ分かるかと思いますが──まあ、ビールが効いています笑

引きこもりの土日ともなると、昼過ぎには飲みはじめ、PCを閉じるのは日が暮れてから。

そのあいだに消費したビールが、文字となって湧き出すわけです。

週末に書きすぎた誇大な妄想を、静かに修正するのが平日の朝。

この“動”と“静”のバランスの上に成り立っているのが、今回の草子です笑

★今後★

実はいま、ロンドンにいます──ですので、次はこの草子の欧州版も書いてみたいと思っています。

ほかにも、ブロンプトンでのサイクリング草子など、湯煙のない"をかし"も視野に入れつつ。

日々の暮らしの中でふと立ち上がる、ささやかな“よろこび”や“妄想”、特に、ビールを服用したあとの楽しい世界観については、今後も力を入れて描いていきたい所存です笑

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