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#16 対談者振り返り 番園寛也×瓜生優佳


#16で対談をしていただいた番園寛也さんと瓜生優佳さんに、対談を終えて、それぞれに感想や気づきをお便りとして寄せてもらいました。



瓜生優佳さんより


この対談のお話をいただいたとき、パートナーが番園さんだと伺い、とても心強く感じたことを覚えています。以前ご一緒させていただいたことがあり、勝手ながら同世代と思い込んでいたのですが、実は少し先を歩いている先輩でした。
番園さんの語りは穏やかですが、その言葉には長年の実践に裏打ちされた確かな重みがありました。問いにすぐ答えを出すのではなく、立ち止まりながら考え続けてこられた時間の積み重ねを感じました。


私たちは目指している方向はきっと同じです。ただ、そこへ向かうアプローチが少し違う。多様な学生と向き合う私たちだからこそ、支援のあり方も一つではなくていい。その違いは、むしろ強みなのだと感じました。違う立ち位置から同じ風景を見ているような、不思議な安心感がありました。


対談の中で、私は「地図を広げる人でありたい」と話しました。振り返ってみると、地図を広げるだけでなく、学生とともに地図をつくっていく人でありたいのだと思います。完成された地図を手渡すのではなく、歩きながら少しずつ描き足していく。ときには書き直しながら、その都度更新していく。そこには、私の想像を超える道筋が生まれることもあります。そんな関わり方を大切にしたいと改めて思いました。


大学は、学生が自分で進み方を選んでいく場所です。
その選択は、ときに迷い、立ち止まり、思うようにいかないこともあります。それでも、うまくいかなかった経験も含めて、自分なりの選び方を身につけていく。その姿に何度も立ち会ってきました。大学は、失敗をしてはいけない場所ではなく、試しながら学べる場所なのだと、私は思っています。


ときには、環境の側を整えることも大切です。ちょっとしたアプローチの違いで、見える景色が変わることもあります。また、学生のほうが先に新しい道を見つけ、私が教えられることも少なくありません。地図は一方向に与えるものではなく、関わりの中で更新されていくものだと感じています。


今回の対談は、そのことを見つめ直す時間でもありました。対話のなかで、自分の言葉にできていなかった思いに気づかされる場面もありました。その感触を、これからの実践のなかで確かめ続けていきたいと思います。


番園さん、また続きをご一緒できることを、楽しみにしています。




番園寛也さんより


瓜生さんとは以前、ある研修のグループワークでご一緒したことがあり、勝手ながら、物静かな方という印象を持っていました。今回、DIINセンターからお声がけいただき、対談をすることになり、私自身、対談ということをしたことがなく、瓜生さんと二人で物静かに時間が過ぎてしまってページが埋まらなかったらどうしようという不安を実は持っていました(瓜生さん、ごめんなさい)。


実際に当日を迎えるとそんなことは全くなく、瓜生さんからは、障害学生支援コーディネーターという仕事への情熱と、人が学び成長していく場所としての大学への思いが詰まった言葉が途切れることなく続き、それに触発されて、私も自分を振り返りながら、丁寧に言葉を紡ぐことができました。時間いっぱい話してもまだ話し足りない、そんな風にして対談は終わりました。


対談を終えて、瓜生さん、編集の木谷さんへのメールに私は次のような感想を書きました。


“ 瓜生さんの学生との距離感とか、その中での気遣い、工夫、専門職としての立ち方について伺って、自分を見直す時間にもなり、とても勉強になりました。自分で話しながら、自分のなかの矛盾というかアンビバレンスに気づくような瞬間があって、心動く時間でした。”


瓜生さんのコーディネーターとしてのあり方は対談の中で存分に語られているので、後日記として、自分自身のためにも、私の中のアンビバレンスについて少し考えて書いておきたいと思います。


プロフィールにも書きましたが、私はべてるの家で「障害」の世界と出会い、CIL系の介助者をやるようになって本格的に「支援者」として歩み始めました。そんな風に始まった「障害」や「障害とともに生きる人」との関わりが、気がつけば今年で20年になります。その時間の中で、「障害者」を抑圧・排除する社会構造への認識とそれに簡単に加担してしまい得る自分の立場性への自覚だったり、そうした立場性の違いの中で安易な自己同一化や自己投影をすることの危うさだったり、「支援」と「支配」が近づいてしまうことへの警戒心といった、「支援者としてのわきまえ」を身につけてきた気がします。こうした「わきまえ」が大切だという気持ちは今も変わりません。


でも、もう一方で「障害」の世界との出会いの時に何に心を動かされたのか、そして、今もつながり続けている理由を考えると、「障害」を経験した人が、一度失われかけた世界との信頼を紡ぎ直す場がこの社会にあること、自分もそこに一人の人間として立ち会いたいという思い、があるように思います。そこに立ち返ると、今の自分の「支援者」としてのあり方はどこか狭苦しい気もしてきます。その狭苦しさの中にとどまることを大事だと思いつつ、少しずつ自分の世界を広げたいと模索していることに、改めて気づかせてもらえた対談でした。


瓜生さん、またお話ししましょう!





番園さんからの手土産「みつばちのあんみつ」