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【短編小説】〈隻翼の竜の書〉碧空の鷹 新たな軌跡 前編

 本作は、『霜夜の星』の外伝『碧空の鷹』の後日談です。
『霜夜の星』第四章後半以降および完結後の物語です。
 現在『霜夜の星』をお読みくださっている方、これからお読みくださる方で、先の展開を知りたくないと思われた方は、『霜夜の星』読了後にお読みくださることをお勧めします。

『霜夜の星』の序章はこちら↓


前編 白鷹の祈り


 ジディア暦八九八年第五の月第四の週五日。
 ティビウスがラルティウスの館で、兄の孫であるシェイスに初めて会ってから、五年の歳月が過ぎた。
 ジディア国内では、かねてより、次期王位継承を巡り、貴族たちが二派に分かれ、対立していたが、この日、ついに病臥びょうがしていた国王が崩御し、程なく、二派の間に、戦端が開かれることとなった。
 第一王子派の領袖りょうしゅうは、ティビウスの生家である第一位貴族ラルティウス家。そして第二王子派の領袖は、長年に亘るラルティウス家の不倶戴天ふぐたいてんの敵、同じく第一位貴族であるロディオル家であった。
 戦の中、第二王子派が蛮行に及んだことを受け、魔導士会議において非常事態宣言がなされ、通常は防衛戦をのぞいて許されぬ、破壊力の大きい攻撃魔法の使用が認められた。さらには、魔導士団副団長ヴァレス、ロディオル公の弟が、同調する者たちを率いて第二王子派に走り、あくまでもジディアの国益のために動き、いかなる場合も中立を守るとされていた魔導士団が二派に分裂。ジディア全土を揺るがす、史上例を見ない全面的な戦へと発展したのだった。

 やがて追い詰められた第二王子派は、思い切った挙に出る。人質を用いて、第一王子派の領袖ラルティウス公ガイウス、即ちティビウスの兄の孫、シェイスを捕らえ、和解交渉の切り札としたのである。その作戦の指揮を執ったのは、他ならぬ魔導士団副団長、ヴァレスであった。だが、捕らえられた際、シェイスは恐るべき呪槍じゅそうを受け、意識不明の重態となっていた。そのような状況で取引をしようなどと、言語道断であると、ガイウスは交渉の条件をねつけ、シェイスの即時返還を要求。交渉がならぬとなれば、ヴァレスは、シェイスを己の炎で焼きさいなみ、惨殺する所存だった。それでなくとも、シェイスの容態は、一刻を争うものだった。もはやシェイスの命運は、風前のともしびと思われた。
 しかし、すんでのところで、シェイスは、ロディオル公の異母弟レジスの策、そしてアスラル家の尽力、魔法戦士団の協力により、救出されることとなった。
 けれども、代償は、あまりにも大きかった。
 シェイスの怪我は重く、呪槍の呪いを解くことはあたわず、もはや魔法戦士にはなれぬだろうとのことだった。
 そして、第二王子派の要塞が次々と落とされていく中、シェイスを逃したことにより着せられた、裏切り者との汚名を雪ぐべく、激戦地に身を投じたレジスは、戦死を遂げた。


 雪が降っていた。白い、汚れない綿毛のような雪片が、暗い鉛色の空から無数に舞い降り、みるみる積もっていく。
 ――ああ、天からの、最後の慈悲か……。
 心地よげに、ティビウスは、目を細めた。
 彼は、地獄の底のような泥濘でいねいの上に横たわっていた。辺りには、動く者はいない。皆、息絶えるか、低く断末魔のうめき声を発していた。彼自身、全身、余すところなく赤く焼けただれ、あるいは黒々と、ほとんど炭化している箇所もあった。辛うじて視界が保たれているのが、奇跡と思われた。そうして無惨に焼かれた、まだ熱い身体に、ひんやりとした雪は、あたかも癒しの天水のごとく感じられた。

 ジディア歴八九八年第八の月第一の週九日。
 レジスが戦死した翌日、ティビウスは、残されていた第二王子側の要塞の一つで、レジスの異母兄である、魔導士団副団長ヴァレスと対峙たいじした。
 互いに死力を尽くし、持てる限りの魔法を駆使し、壮絶な戦いを繰り広げた。ティビウスの放つ青い稲妻が大気を震わせ、ヴァレスの生じさせた青白い炎が大地を焦がした。辺りを覆い尽くす熱波、耳をろうせんばかりの轟音。さながら、ものみな全てが青く燃える世の終末が現出したかのような光景だった。
 果てしなく続くかと思われたその戦いも、ついには終焉を迎えた。
 ティビウスの稲妻が、ヴァレスの防御を破り、その身体を直撃した。後に残されたのは、原形をとどめない、黒焦げの塊だった。
 同時に、ティビウスの防護壁も、限界に至った。ヴァレスの炎の威力を、もはや、抑え切れなかった。青い炎が、ティビウスの全身をめた。
 そうして荒れ狂った青い終末の嵐は、辺り一帯の雪を解かし、地面は黒褐色の泥濘と化していた。その中に、瓦礫と、倒れた人々の姿があった。二人の魔導士の激闘の間に、周囲の者たちは、皆、倒れていた。

 ――あの子が、この炎に焼かれずにすんで、よかった。
 天からとめどなく降りしきる雪を見つめながら、ティビウスは、初めて会ったときのシェイスの姿を思い起こしていた。少女のように愛らしく、それでいて勇敢な、少年だった。自らの身の危険も顧みず、己の孫のメリウスを、鷹の脅威から守ってくれた。そしてその後の、成長した、りんとした姿。相変わらず中性的な、美しい少年であるが、その精神は、まさにラルティウス家の世継よつぎ、さらには未来の魔導士会議議長にも相応ふさわしいものとなっていた。彼は、己の身柄と引き換えに、人質とされた彼の友人と、その友人の村の人々を救った。惨殺されることをも覚悟の上で、己が立場をわきまえず友情を結んだ故に生じたことと思い込んでいる事態の責任を、取ったのだ。
 白き鷹のごとく気高い、少年。その白き翼で羽ばたく先には、輝かしい未来があるはずだった。
 次第にかすんできたティビウスの視界のなかで、雪が、徐々に形を変えてきた。白い、羽毛。引きちぎられた翼から飛び散る、繊細な、羽毛――。
 ――あの子の翼は、奪われてしまった。
 捕らえられた際に負った怪我のため、シェイスはもう、羽ばたけない――魔法戦士にはなれぬのだ。あれほど魔法戦士になることを熱望し、鍛錬に励んでいたのに。内戦が終結し、落ち着いたならば、魔法戦士団に行く筈だったのに。そして、やがては副団長になっていただろう。
 団長である己が、魔導士団の分裂を防ぐことができていれば。そうできていたならば、戦がこれほど苛烈かれつを極めることはなく、また、ヴァレスがシェイスを捕らえるようなことも、なかったかもしれない。
 自責の念が、冥府の業火のごとく激しく燃え上がり、ヴァレスの炎よりも強く、ティビウスの身内を仮借かしゃくなく焼いた。
 しかし、焼き尽くされ、乾ききった身体には、流れる涙さえ、残されてはいなかった。

 いよいよ暗さを増していく視界を、不意に、白い、鋭い光が矢のように射抜いた。厚い雲の間から、が射し込んでいた。その光を、雪片が弾く。硬質な光が乱舞する。冷たい、清冽せいれつな、銀の輝き。あたかも幻界の銀のような。銀竜の、鱗のような――。
 ティビウスの脳裏に、このとき、一つの幻影が、光のようにひらめいた。この上もなく美しい銀の鱗をまとった、竜。人々を悪しき存在から守るための戦いで、片方の翼を失いながらも、誇らかに頭を上げた、銀の竜。伝説の、隻翼せきよくの竜。
 ――そうか、あの子は、白鷹というよりも、むしろ、銀竜であるのかもしれぬな。
 その方が、しっくりくるような気がした。シェイスの母親は、古来、竜と深く関わってきた一族の出であるとも聞いている。
 ――鷹であったのは、むしろ、わたしの方か。
 ふと、そう思った。飼い馴らされた、鷹。それ故に、あの白鷹の、そして幼かったシェイスの胸の底がひりつくような、秘めたる痛みが、わかった。兄とは異なり、世継として家に縛られていたわけではなかった。しかし、家を継がぬ身であるからには、魔導士団に入り、ラルティウスの名に恥じぬよう、そこで身を立てねばならない。そのような思いを抱き続けていた。そうして副団長となり、さらには団長にまで登り詰め、責務を全うしてきた。けれども本当は、他に、自らの望みが、あったのではなかろうか。

 雪が、再び形を戻した。白い、柔らかな羽毛へと。白鷹の羽毛。
 少年時代、旅行記や、博物学の書を読むのが好きだった。世界のどこかに、このジディアでは希少な白鷹が群れ飛ぶ地が、あるという。そのような地を求め、広く世界中を、旅してみたかった。白鷹ばかりではなく、まだ見ぬ美しい生き物、とりわけ空飛ぶ鳥を、求めて回りたかった。
 結局、それは叶わなかった。
 しかし、ジディアで、魔導士団で生きた日々も、充実していた。最後、分裂を防げなかったことは心残りだが。飼い馴らされた鷹であったとしても、この足緒あしおは、全く不快というわけではなかった。
 だが、あの子、シェイスは違う。
 あの子が、竜であるならば。竜は、何者によっても飼い馴らされることはない。そして、竜は、翼の力のみで飛ぶのではないという。ならば、隻翼となっても、飛べるだろう。誰一人見たこともないような、遥かな高みまでも。何よりも、あの子、シェイスは、意志が強い。たとえ傷つき、打ちひしがれても、再び前を向くだろう。空を、見上げるだろう。
 雲間を貫く、陽光。厚く覆い被さる雲の向こうには、陽が照らす、広い空がある。空は、閉ざされはしない。開かれている。
 ――ならば、飛んでゆけ。たとえ、そなたが望んでいた、その通りの軌跡ではなかったとしても。新たな軌跡を、描いて――。
 もはや、その先を、ティビウスは見届けることができない。それでも、祈らずにはいられなかった。
 それから、雪の羽毛は、最後の変化を遂げた。風に舞い散る、無数の白い花片。小さな薔薇のような、エフィーラの花が群れ咲く野。その中にたたずむ、花が人の姿を取ったかのような、一人の華奢きゃしゃな女性。触れれば容易たやすく折れてしまいそうな、それでいて強い風にもしなやかに耐えるエフィーラのような、女性。妻だ。
 ティビウスは、妻の手を取った。二人の背に、白い翼が生えた。ティビウスの魂は、全てから解き放たれ、妻とともに、白き鷹のごとく、天へと舞い上がった。厚い雲を抜け、その先に開けている、輝く碧空へきくうへと。
 そうして、その見開かれた目に、太陽の光を映したまま、ティビウスは、その生涯に幕を下ろした。凄絶な戦死を遂げたとは思えぬような、穏やかな表情をたたえていた。

後編に続く


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