カレン・バラッド著『宇宙の途上で出会う』について
この本は、こんなことを言っている。
物質(私)とは、物質(私)になっていく現象であり、(私とあなたの)それぞれの内部の結びつきによって、作用(コミュニケーション)が起こる。観察者(私)と観察対象(あなた)は切り分けられない。よってそこには倫理が必要だ。
私に言わせれば、それを記述するのに理性的で論理的な文章は向かない。
私は犬であり、虹である。私が虹を観察すると
虹も私を見る。そうして私は、虹人間になる。
(私が私の見ている犬や虹は分離できない)
なんて、統合失調的な狂気そのものではないか。詩的言語以外にどうやって表現できるのか。

//////本の紹介と要約//////
カレン・バラッド(1956-)は、理論物理学者であり、本書『宇宙の途上で出会う』により、エージェンシャル・リアリズムの考え方が、明確になった。それは、この世界において、「対象(object)」はあらかじめ個物として存在するのではなく、「内部作用(intra-action)」を通じて現象から生成される。この内部作用は、さまざまな「関係性」の「もつれ(entanglement)」に起因する。エージェンシーとは「関係性」のことである。
バラッドの専門は、ニールス・ボーア(1885-1962)の物理学であり、エージェンシャル・リアリズムは、ボーアの量子物理学を継承している。わたしたちが何かを「知る」ということは、知識を得ることではなく、差異を生み出す実践である。知ることと存在することは、相互に包含しあっている。私たちは、外部からではなく世界の一部として知る。
認識論を存在論から切り離すことは、形而上学の残響であり、バラッドは人間と非人間、主体と対象、精神と身体、物質と言説のあいだに本来的な差異をみとめない。存在の問いと認識の問いを同一平面上で扱う?
この宇宙のあらゆる物質をはじめ、空間、時間までもあらかじめ確定したものとして存在しているのではなく、関係する諸部分のもつれと内部作用から創発すると。
ニュー・マテリアリズムは、物質が単に受動的な存在であるとみなす従来の見方を超えて、物質そのものが能動的であり、世界を形成する力を持つと考える。事物ではなく現象こそが存在の基本単位であり、あらゆる存在は現象という「内部作用しあう『諸々のエージェンシー』の存在論的分離不可能性」によって構成されるという理論である。
「測定される対象」と「人間による記述」を切り離すことは不可能である。私たちが『現実』と呼んでいるものは互いに作用しあう存在の動的可変的なネットワークであると考える。エージェンシャル・リアリズムは、物理学者のニールス・ボーアの量子理論や哲学者のジュディス・バトラーやミシェル・フーコーのポスト構造主義を統合する。エージェンシャル・リアリズムは「表象主義」や「個体主義的形而上学」を批判する。表象主義は、表象とそれが表象すると称するものとの間の存在論的な区別を前提とする態度である。
バラッドは、相互作用 interactionの代わりに、
内部作用 intra-actionという造語を導入し、もつれあった諸エージェンシーが相互に構成されることとした。バラッドは、事物が先に存在するのではなく、関係の中から事物が構成されると考える。私は、個別に存在するのではなく、現象であり、あなたもまた、現象と関係である。関係の関係は作用になる。これを言語化すれば、まさに詩そのものになる。
関係項は関係に先立って存在するのではなく、特定の内部作用を通して現象‐内‐関係項が出現するのである。物質とは、物質化のプロセスにある現象である。物質とは、固定的な本質ではなく、内部作用しながら生成していく。『もの』ではなく『行為』である。
バラッドは、「『観測対象』と『観測エージェンシー』の間の境界は決定不可能であるというボーアの主張に依拠し、「装置は、観測対象と観測エ-ジェンシーとを区別する切断を実行する」と主張する。つまり、ある特定の装置を選択することでしか、特定の変数に意味を与えることはできない。観察者‐観察装置‐観察対象があらかじめ繋がり合う出来事から、ある瞬間を切り出す操作をバラッドは「エージェンシー切断 agential cut」と呼んでいる。
これに加えて、バラッドは、言説と物質の境界は曖昧であるというバトラーの理論を評価したうえで、知‐言説‐権力の実践に警告を鳴らす。エージェンシー切断は排除に責任を持つべきだと主張する。エージェンシャル・リアリズムの立場では、観測対象と観測主体がもつれ合っているため、「知ることと存在することの実践は、分離可能なものではなく、相互に包含しあっている」と主張する。さらに、バラッドは「倫理‐存在‐認識論」が必要だと主張している。
バラッドによれば、現象や事物は相互作用に先立って存在するのではなく、「特定の内部作用」を通じて現れるものである。つまり「関係項は関係に先立って存在するのではなく、特定の内部作用を通して現象‐内‐関係項が出現するのである」バラッドは「物質とは、固定的な本質ではなく、内部作用しながら生成していく実質であり、『もの』ではなく『行為』であり、エージェンシの凝固である」と述べる。
「知ることと存在することの実践は、分離
可能ものではなく、相互に包含しあっている」
バラッドはこのことを「存在‐認識論」と表現している。
