見出し画像

二人の陸軍中将について

 学校で習っていないけど覚えていることに、貴族の序列がある。公侯伯子男(こうこうはくしだん)。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。で英語では、Duke, Marquess, Earl, Viscount, Baronである。
 同じように、習ってもいないのに頭に入っているのは軍隊の士官officerの序列。将官、佐官、尉官。英語ではGeneral, Officer, Lieutenant。細分して並べると、大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉だ。
 その中で中将(ちゅうじょう)という位。将官として大将の次。かなり高位だということが分かる。で思い出したのは、第二次大戦時の二人の陸軍中将である。陸軍の軍人だが、二入とも比較的長い海外経験がある。戦前の陸軍の士官というと、イメージとして日本に閉じこもっていたようとらえ勝ちだが、こうした国際派もいたのだ。
 栗林忠道(1891-1945)は、本土決戦の防波堤として玉砕を強いられた硫黄島の指揮官(第109師団長兼小笠原兵団長)であり、1945年2月19日からの硫黄島の戦いの指揮をとり3月26日に戦死したと推定される。陸軍士官学校、陸軍大学校出身のエリートであり、ワシントンにあってハーバード大学で戦史を研究。1927年からアメリカに、一度帰国後は1931年からはカナダに、それぞれ駐在武官として長期滞在している。陸軍の中にあってとくにアメリカの国情・国力を肌で知る有数の人物だったと思われる。死後、特旨をもって大将に任官されている。2006年のアメリカ映画、クリントン・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」Letters from Iwo Jima (2006)(主演 渡辺謙)でその事跡は広く知られるようになった。ハリウッドが描く日本とアジア 2009/12
 岡田資(たすく 1890-1949)は、1945年2月19日からの硫黄島の戦い後の1945年5月14日の名古屋空襲時に第13方面軍司令官兼東海軍管区司令官だった人物。飛来したB29搭乗員27名(なお別の資料では38名とある)の処刑の責任を問われた(処刑の手続、斬殺であった点などが争点になったようだ)。終戦後の軍事裁判(横浜法廷)で絞首刑判決を受けたが、公判において岡田は無差別爆撃の不当性、つまりB29の側にこそ国際法違反があったことを主張した。岡田がこの法戦をなしえた背景として、陸軍士官学校、陸軍大学校出身者であるだけでなく、岡田もまたロンドンに駐在武官に派遣され(1925)長期の海外経験を持つ点は、偶然でないように感じた。「明日への遺言」(2008)(主演 藤田まこと)という映画が作られている。

歴史 聞いた記憶もなく覚えている第二次大戦前の話
歴史 植民地思想に関わる第二次大戦前の主な事件


いいなと思ったら応援しよう!

福光 寛  中国経済思想摘記 main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp