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伊勢金剛證寺:大雨の中の懺悔と現在

大雨の伊勢路


1.心の苦しみの中で

昨年十二月中旬だった。

ある人との心のすれ違いをきっかけに、何十年も前のトラウマが突然よみがえった。

もう乗り越えたと思っていた。過去のものになったと思っていた。

それなのに、心は一瞬で当時に引き戻されてしまった。

人を憎んだ。頭の中は、執着や怒りでいっぱいになった。

車を運転していても、その考えは止まらず、苦しかった。

そんな心のまま、私は伊勢へと向かっていた。

目的地は、伊勢神宮の奥宮とも呼ばれる朝熊山金剛證寺と山頂の八大龍王社、伊勢志摩スカイラインの天空のポストだった。

2.心と天候

山道をつづら折りに上りながら、執着や怒りは増していた。

その日は朝から大雨だった。大雨警報も出ていたと思う。

伊勢志摩スカイラインを走っていても、景色は雲に覆われて、何一つ見えない。

天空のポストも雲に囲まれてよく見えない。

海も山も雲の中だった。

寺に着いても、雨はやむどころか、さらに激しさを増していった。

境内を歩いていても、激しい雨音しか聞こえなかった。写真の撮影もなかなかできない程だった。

その後、卒塔婆の壁を抜け、奥の院まで足を延ばした。

そこには、水子供養の仏像もあった。

雨の本殿

3.懺悔

私は水子の供養を続けている。神社仏閣を巡る中で、供養塔などがあれば、必ずそこで懺悔してきた。

雨は、私をあざ笑うように降っている。

私は供養塔に向け心の辛さを伝えるとともに、いつもの懺悔を行っていた。

「仕方がないよな。君たちをこんな目に遭わせて、自分が辛いなんて言ってられないよな」

「神様や、仏様、そして君たちが、私の心の弱さに罰を与えて、大雨を降らせているのかもしれないな」

そんな想いを抱いていた。そして精神的に弱っていたと思う。

水子供養塔

4.荒み

今振り返れば、雨が私をあざ笑っていたのではない。

あざ笑われているようにしか受け止められないほど、自分の心が荒れていたのだと思う。

その後、宇治山田に下りて、月夜見宮などを巡った。

こちらでも、大雨に打たれた。訪れたという記憶しか残っていない。

猿田彦神社の立ち寄りも取りやめた。

5.その後

この話に、大きな結論はない。何か劇的な出来事があったわけでもない。

あの日の雨が止んだからといって、私の心が晴れたわけでもなかった。

あれから半年以上が過ぎた。

トラウマは今も完全には消えていない。

それでも、少しずつ自分の心と向き合えるようになってきた。

その一つが、このnoteを書き始めたことだった。

過去の出来事や、その時の感情を言葉として残す。それは誰かのためというより、自分自身が前へ進むためだったのかもしれない。

だから、この文章にも結論はない。

あの日の雨も、苦しみも、弱さも、すべて今の私の一部として残しておこうと思う。

:tokisuke


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