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コレクション価値のリトマス試験紙

📘 このシリーズでは、『五郎さんがえらくこだわってるモネと後妻アリスの関係、👉 深掘りしてみたら… 当時のブルジョワ社会の解像度が格段に上がった!』というテーマを軸に、モネをとりまく人間関係・経済・社会構造を多角的に読み解いています。

🖼️ 第3回の今回は、初期から印象派の作品を購入していたモネのパトロン、オシュデ氏の初の美術コレクション競売について見ていきます。印象派絵画の初オークションの結果はいかに?



初めて競売にかけられた印象派絵画とその時代背景

オシュデ氏が初めて自身のコレクションを売却したのは、第一回印象派展の3カ月前にあたる1874年1月13日のことでした。会場はパリの競売所オテル・ドルオー。競売人ピレ氏の指揮のもと、画商デュラン=リュエル氏が専門家として補佐し、競売が進行されました。

オシュデ氏が最初にコレクション競売を行ったパリの競売所「オテル・ドルオー」のファサード。

1873〜74年は、普仏戦争・コミューン後の混乱が落ち着き始めた一方で、経済の先行きが不透明になり、大不況の兆しが見え始めた時期でもあります。すでに経済的に余裕のない人々は、懸命にこの苦境を乗り越えようとしていました。

私たちが「第一回印象派展」と呼ぶ1874年4月15日から1カ月間の展覧会は、写真家ナダールのアトリエで開催されました。しかし、これは単なる新しい芸術様式の発表の場というより、販路の開拓を模索する芸術家たちが、自らの作品を世に広めるために開催したものでした。

何より象徴的なのは、当時、モネやピサロら印象派の画家を支援していたデュラン=リュエル氏ですら、不況の影響で彼らの作品の購入を一時的にストップせざるを得なかったことです。印象派の画家たちがいかに厳しい経済環境のなかで戦っていたかがわかります。

第1回印象派展が開催された、カピュシーヌ大通り35番地にある写真家ナダールのアトリエ。

オークションで印象派絵画の商機を占う

一方のオシュデ氏は、高級品市場が低迷しつつあることを認識しつつも、資金を投じればまだ挽回できると考えていた節があります。少なくとも1874年の年明け時点では、資金繰りに窮してコレクションを手放すほどの切迫感は、本人の中にはなかったようです。

むしろ、彼は自らの蒐集品を競売にかけることで、先見の明あるコレクターとしての鑑識眼を試したかったのではないでしょうか。同様に、印象派に商機を見ていたデュラン=リュエル氏も、この機会にアートマーケットの反応を探ろうと考えていた可能性があります。

実際、オークションカタログの前書きには、次のような文言が記されています。

「本日ご紹介するコレクションには、非常に独特な特徴がございますので、美術愛好家の皆様にお知らせいたします。

現代美術において既に確固たる地位を確立し、非常に高く評価されているディアス、クールベ、ヴォロン、ミシェル、コロー、シャルル・ジャックといった名だたる巨匠の作品と並び、今回のコレクションでは、非常に若いアーティストたちの作品も初めて公の競売に出品されることになります。

これらの若手アーティストたちは、極端にシンプルな表現への傾向や、徹底した自然主義的解釈の誠実さにおいて議論を呼ぶグループに属しています。しかし、熱烈に議論される芸術表現というものは、個性が強く感じられるものであるのが常です。」

「これから皆様の目に触れるであろう、若きフランス派の作品群は、現在の試練を乗り越えた後、必ずや最終的な評価を勝ち取る運命にあると確信しています。」

1874年1月13日、パリの競売所オテル・ドルオーで行われた近代絵画競売のカタログからの引用です。筆者は「E.C.」というイニシャルで署名していますが、これはエルネスト・シェノー氏とされています。シェノー氏は、アカデミズム美術の良き理解者でありながら、新しい美術運動にも寛容な姿勢を持つ批評家として知られています。


どうでしょう? これはまさに、印象派の将来に期待を寄せていた画商デュラン=リュエル氏と、彼らの作品にいち早く目をつけて購入していたオシュデ氏の考えそのものではないでしょうか。

なお、このカタログには、コレクションを競売にかけたオシュデ氏の名前は記されていません。彼はまず匿名で市場の反応を試しつつ、同時に自身のコレクターとしての存在を広める意図もあったのかもしれません。

売れ筋はレアリスムとバルビゾン派、それでも印象派に光明

もちろん、競売には投機的な目的もあったと考えられます。前書きで印象派の価値を強調していたものの、実際に競売にかけられた全84点のうち、中心を占めていたのはレアリスムとバルビゾン派の作品でした。

印象派の作品は、ドガ1点、モネ3点、ピサロ6点、シスレー3点と、決して多くはありません。しかも、ほとんどが小サイズの作品で、ブルジョワ階級の家庭でも飾りやすいものが選ばれていました。つまり、市場での売れ行きを意識したラインナップだったと言えます。

オシュデ氏が1874年の競売で売却したモネの「ザーンダムの青い家」(1871年)。この作品は1879年の第4回印象派展に「ザーンダムのブルジョワ住宅」という題で出展されることになります。

とはいえ、競売の結果は、当時まだ買い手が少なかった印象派絵画にとって、一筋の光となるものでした。たとえば、モネの「青い家」は、1872年にデュラン=リュエル氏から300フランで購入されていましたが、この競売では405フランの値がつきました。わずか2年足らずで35%も価値が上昇していたのです。

この初回オークションの成功は、オシュデ氏にとって、自身のコレクションの価値を確認するとともに、印象派絵画に投機の可能性があることを示唆するものでした。

その証拠に、オシュデ氏は第一回印象派展に出品された、モネの「印象、日の出」をデュラン=リュエル氏を介して購入しています。一方で、いくつかのコレクションを直接取引で売却し、翌1875年には再び競売を行う決断を下しました。

しかし、この二度目の競売にかけられたコレクションは、初回とは異なる性質の作品群でした。どうやら、まとまった資金が必要となる事態に陥っていたようです。

雲行きが怪しくなってきました——。

次回は、この1875年のオークションについて詳しく見ていきます。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


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