アート市場の主導権を握った戦略家たち──近代画商のビジネスモデル進化論①
📘 このシリーズでは、『五郎さんがえらくこだわってるモネと後妻アリスの関係、👉 深掘りしてみたら… 当時のブルジョワ社会の解像度が格段に上がった!』というテーマを軸に、モネをとりまく人間関係・経済・社会構造を多角的に読み解いています。
🖼️ 今回は「モネの『市場価値』の実像」シリーズの第4回目(最終回)──の予定でしたが、情報量があまりに多くなってしまったため、本稿を構成する3章を数回に分けてお届けすることにしました。第1部では、美術商たちが築き上げたビジネスモデルに焦点を当てていきます。
芸術作品の価値がサロンから市場へとシフトしていった19世紀後半、時代の変化をリードしたのは、美術商という新しいプレイヤーたちでした。本稿第1部の①では、彼らはどのようにしてこのニッチな市場の主役となっていったのか?──彼らの立場の変遷と新たな役割を探っていきます。
「官」による支配から、芸術が市場に放たれるとき
創設以来、「公式芸術」の発表の場であり続けた美術展覧会「サロン・ド・パリ(通称サロン)」。このサロンが、ついに「官展」としての役目を終えた1880年以降、芸術を取り巻く環境は急速に変化を遂げていました。それまでほぼ唯一の展覧の場であったサロンの「官」による独占体制が崩壊したことで、展覧・評価・流通システムに大きな変容がもたらされたからです。当然のことながら、制作した作品を売ることを生業とする芸術家の立ち位置も、大きく様変わりしていきます。

もっとも、サロンそのものは民間主催のもとで継続されていました。表向きには「官」から「民」への主催者交代という形式的な変化にすぎず、当初は何も変わっていないようにも見えました。しかしこの変化は、時間の経過とともに思いのほか大きな波及効果をもたらすことになります。というのも、サロンから「官」のお墨付きが外れ、ただの“民間展覧会”となるや否や、他の民間団体も次々と独自の展覧会を開き始めたからです。
こうして、1880年代以降、独立芸術家グループによる展覧会や、画商主催のグループ展・個展が相次いで開催されるようになります。それまで「官」の審査に漏れると発表の場すら持てなかった芸術家たちにとっては、願ってもない朗報です。無審査で作品を発表できるアンデパンダン展の登場をはじめ、作品を発表できる機会は飛躍的に増加していったのですから!
芸術のパトロン役を継承する、エリート美術商の誕生
作品発表の場が多様化すると、それまで芸術の価値基準や芸術家の社会的認知を一手に担っていたサロンの権威は、必然的に揺らぎ始めます。作品の評価軸も単一ではなくなってくるからです。もはや「官」が定めた美の基準は絶対ではありません。むしろ、優れた作品の基準は次第に市場での人気──すなわち値段──に委ねられるようになります。美の主戦場はこうして徐々にサロンから美術市場に移行していったのです。
この流れの中で、これまでサロンの脇で活動していた“美の商人”たちは、いきおい市場をハンドリングする主役としての「権力」を握るようになります。そうなると、長らく芸術の後援者であった旧エリート層や国家と肩を並べはじめ、やがてはそれを凌駕するような存在になっていく者も現れはじめます。
もっとも、「官」の権威を超え、市場を制する勢力となり得た美の商人たちは、ごく一握りに過ぎません。むしろ、少数先鋭化していったと言えるでしょう。というのも、商業年鑑『ボタン・デュ・コメルス』によると、画商の数は1827〜1876年の約50年間で5倍近くに膨れ上がったものの、その後わずか15年足らずで約3分の1にまで激減してからです。つまり、美の主戦場が市場へと移るにつれて競争は激化し、画商という職業そのものにも質的変化と専門化が進んでいったことがうかがえます。

競争を勝ち抜き、美術市場の主役に躍り出た”成功者”たちは、もはや単に芸術作品の流通・販売を担うだけの仲介者的存在ではなくなります。それどころか、彼らは芸術家に助言するアートディレクターであり、作品の真贋や価格を査定するエキスパートであり、さらには社交界の嗜みとして作品を購入する顧客にとっては資産アドバイザーでもある──そうしたマルチタスクを一手に担う、創造と市場を自在に操る“芸術の操縦士”へと進化していったのです。
フランス近代絵画の世界的名声を築いた、芸術の操縦士たち
こうなってくると、アカデミーが授与する賞や勲章といった「官」の評価軸はほとんど意味をなさなくなります。より重要なのは、いかに需要を掘り起こし、作品の“価値=価格”を引き上げていくか。そして高価格を維持できる作品を安定して取り扱い、高額を支払える顧客層をどれだけ獲得し、囲い込めるか──それこそが、美術商にとっての最大の課題となっていきます。
では、値段を引き上げ、高値を維持し、顧客を惹きつけ、芸術の“価値”そのものを”操作”する仕組みを、彼らはどのように作り上げていったのでしょうか? 次章以下では、競争が激化する19世紀第4四半世紀の美術市場で勝ち残った、フランスの三人の代表的な画商たちのビジネスモデルをみていきます。西洋近代絵画といえば、今なおフランス近代絵画がスタンダードとされる背景には、彼らの存在が少なからず寄与していると言っても過言ではありません。そのビジネス手法の中には、現代のアート市場や一般ビジネスにも応用できるヒントが多く潜んでいます。
まずトップバッターは、アドルフ・グーピルが設立したグーピル商会。
ゴッホ兄弟も勤務したことで知られるこの商会は、サロン連動型ビジネスで19世紀後半のマーケットを席巻したばかりでなく、世界市場への進出でも先陣を切りました。
続いては、五郎さんも「画商シリーズ」で最初に取り上げていたデュラン=リュエル。
自らの“推し”に賭けるビジョナリー型ビジネスで、バルビゾン派から印象派まで──今日もなお世界中の人々に愛される19世紀フランス絵画を世に広めた人物です。
彼の商才はそれだけにとどまりません。美術品の市場経済的価値をいち早く理解し、金融界の手法を先駆的に取り入れた洞察力は、今なお注目に値します。
最後に紹介するのは、今日のラグジュアリービジネスにも通じる、付加価値創出の名手──ジョルジュ・プティ。
トレンドセッター型のビジネスで“プレステージを売る”ことに長け、売れ筋を見極めてそれ自体をトレンドに変えてしまう手腕は、現代ビジネスにも通じる普遍性を感じさせます。
ご興味のある画商からリンクをクリックして読み進めていただけたら幸いです。
👉 グーピル商会──アートを“グローバル産業”に変えた近代画商の原点
👉 自分の”推し”に賭けたギャンブラー──デュラン=リュエルのビジョナリー型ビジネス
👉 プレステージを売る社交人──ジョルジュ・プティのトレンド創出法
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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