順風満帆ほど怖いものはない
📘 このシリーズでは、『五郎さんがえらくこだわってるモネと後妻アリスの関係、👉 深掘りしてみたら… 当時のブルジョワ社会の解像度が格段に上がった!』というテーマを軸に、モネをとりまく人間関係・経済・社会構造を多角的に読み解いていきます。
🖼️ 第1回の今回は、《印象、日の出》の最初のオーナーにしてモネの初期のパトロン、そしてアリスの最初の夫でもあった——エルネスト・オシュデ氏の生い立ちからプロフィールを紐解いていきます。
印象派の名作を最初に手にした男 ー エルネスト・オシュデの生い立ち
印象派の名前の由来となったモネの《印象、日の出》。その最初のオーナーとして知られるジャン=ルイ・エルネスト・オシュデ氏とは、どんな人物だったのでしょうか? プロローグ(#0)でご紹介した「モネと後妻アリスの関係」をたどるには、まず、彼女の最初の夫であるオシュデ氏を知っておく必要がありそうです。アリスと結婚する以前の、彼の生い立ちを振り返ってみましょう。
オシュデ氏は1837年12月18日、当時開発が進み、ブルジョワ階級の住宅街となりつつあったパリ9区に生まれました。1840年11月14日生まれのモネより3歳年上です。
父カジミール・ジャック・エドゥアール・オシュデは、エルネストが生まれた頃、高級布地やカシミア、レース、そして最先端の小物を扱う、1786年創業の老舗メゾン『シュヴルー=オーベルト』に勤めていました。そこで事業の才を発揮し、間もなく共同経営者に抜擢されるまでになります。
オシュデ氏について、五郎さんや展覧会カタログでは「デパートの経営者」と紹介されていますが、文献によっては「商人」や「貿易商」とも記されています。実際には、父の事業、つまりこの由緒あるメゾン「シュヴルー=オーベルト」の経営を指しているのです。

父の成功を継いだ若き後継者 ― ビジネス修行の日々
1861年、オシュデ氏は父の事業を継ぐべく、販売を皮切りにビジネスの修行を始めました。父は、一人息子であるエルネストを、大規模なラグジュアリーショップの後継者として育てるため、徹底した教育を施します。格式あるメゾンの経営者に相応しいビジネスセンスを磨く必要があったからです。
その一環として、商業の中心地ロンドンだけでなく、スイスやイタリアへも頻繁に赴かせました。ただし、理由はそれだけではなかったようです。当時、エルネストが夢中になっていた17歳のアリスから気をそらせる狙いもあったのではないかと言われています。
家柄の差を乗り越えて ― アリスとの結婚
エルネストが熱を上げていた7歳年下のアリス。その父、アルフォンス・レンゴは「装飾用青銅の製作者であり、チュイルリー宮殿に時計や燭台を納めた供給業者」でした。オシュデ家と同じく、ベルギー系の出自を持っています。一見すると、なぜエルネストの両親がこの結婚を快く思わなかったのか、不思議に感じられるかもしれません。
しかし、同じブルジョワ階級とはいえ、両家の立場には大きな違いがありました。オシュデ家は、一介の従業員から努力を重ねて老舗メゾンの経営者となり、堅実に財を築いた家系です。一方のアリスの家系は、政治家など支配階級とのつながりを持ち、家業に加えて不動産投機によって巨額の資産を築いていました。パリにおけるベルギー人コミュニティの中でも著名な存在であり、極めて高い社会的地位を誇っていたのです。
エルネストの両親がこの縁談に対して「少々身分不相応ではないか」と不安を覚えたのも、無理からぬことだったでしょう。
とはいえ、息子の熱意は揺らぎませんでした。オシュデ家は最終的に二人の婚姻を認め、1863年4月16日、エルネストとアリスはめでたく結婚します。
5人の子供と贅沢な暮らし ― オシュデ夫妻の黄金時代
アリスは結婚翌年の1864年3月18日、第一子マルトを出産。その後もブランシュ(1865年11月12日)、シュザンヌ(1868年4月29日)、ジャック(1869年7月26日)、ジュルメーヌ(1873年8月15日)と、次々に子宝に恵まれました。

一方、エルネストは商用で年に2回は渡英するなど、頻繁に旅行。自身も有名店で買い物を楽しみながら、高級品に囲まれた生活を送っていました。これは、アリスの生活レベルに合わせる意図もあったかもしれません。しかし、単なる贅沢ではなく、高級品ビジネスを営む者として、自らもそのライフスタイルを体現することが不可欠だと考えていたようです。
父の財力で実現した万博パヴィリオン
こうした姿勢が最もよく表れているのが、1867年のパリ万博に際して建てられたパヴィリオンでしょう。エルネストは父の援助を受け、この万博で一世一代の大勝負に出ました。
この万博では、展示希望者が多すぎたため、十分な展示スペースが確保できませんでした。そこで、エルネストは自費で展示場を建設し、大々的にメゾンを宣伝することにします。父から前渡しされた40万フランを元手に、建築家ポール・セディーユに設計を依頼。こうして、ルネサンス様式の「シュヴルー=オーベルト」のパヴィリオンが完成しました。セディーユは後にプランタン百貨店の建設で知られる著名な建築家です。内部には贅を尽くしたレースやカシミヤが飾られ、当時のレビューでも大きく取り上げられました。

成功者オシュデの不安 ― 完璧すぎた前半生の影
こうした経緯を見る限り、オシュデ氏は裕福な家庭に生まれ、父の全面的な支援を受け、順調にキャリアを築いてきました。幸福な家庭を持ち、誰もが羨む成功者です。
しかし、人生には山あり谷あり。表面上は順風満帆でも、内心ではさまざまな不安を抱えていたのかもしれません。1870年代、フランスは普仏戦争を経て経済的に厳しい状況に陥ります。オシュデ氏の人生にも、これから大きな試練が訪れるのです。
次回は、アートコレクターとしてのオシュデ氏を紹介します。もちろん、モネも登場します!ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!