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モンジュロンの装飾画 ── 絵画に秘められたアリスとモネの物語

📘 このシリーズでは、『五郎さんがえらくこだわってるモネと後妻アリスの関係、👉 深掘りしてみたら… 当時のブルジョワ社会の解像度が格段に上がった!』というテーマを軸に、モネをとりまく人間関係・経済・社会構造を多角的に読み解いています。

🖼️ 第5回の今回は、
モネと後妻アリスが出会うきっかけとなった、モンジュロンの邸宅用装飾画について見ていきます。アリスの夫でモネのパトロン・オシュデ氏の大盤振る舞いぶり、意欲的に大画面制作に取り組むモネ、そして、そこには何が描かれていたのかーー作品から、当時のオシュデ夫妻との関係性を探ってみましょう。



豪華な宴の再開、ますます印象派に傾倒するオシュデ氏

大成功に終わった1875年4月の第2回目コレクション競売の売却益で商業債務を清算し、金銭的不安から解放されたオシュデ氏は、同年5月にもシャトー・ロッテンブールで壮大なパーティーを再開します。伝えられるところによれば、招待客の移動にはパリから専用列車が手配されるほどの盛大なものでした。

こうした宴には、オシュデ氏の友人である芸術家たちも招かれており、エドゥアール・マネアルフレッド・シスレーもよく参加していました。

シャトー・ロッテンブールに招かれたエドゥアール・マネが、モンジュロンの庭で描いた《エルネスト・オシュデ氏と娘マルトの肖像画》(1876年頃、アルゼンチン国立美術館所蔵)。マネはオシュデ氏とあまり馬が合わなかったようで、この作品を完成させないまま、約2週間でシャトーを去ったと言われています。

シャトー・ロッテンブールは、オシュデ氏にとって自身のビジネスや社会的成功を象徴する場所でもあったので、支援するアーティストたちの作品でシャトーを彩るのは、ごく自然なことでした。彼はまた、シャトーにアーティスト・レジデンスを設ける構想も持っており、招いたアーティストたちに作品を注文し、制作させました。

1876年7月にはマネ夫妻が招待され、肖像画を含むいくつかの作品を依頼されました。同じくシスレーも招かれ、モネもまた、この流れで作品制作を依頼されたと考えられます。

クロード・モネ《七面鳥》(1877年、高さ174cm x 幅172.5cm、パリ・オルセー美術館所蔵)。
未完成のまま1876年末に納品された作品ですが、サインは1877年の日付となっています。

シャトーを彩るモネの大画面装飾画

モネがシャトーの円形広間を装飾するための絵画を正式に依頼されたのは、1876年8月末のことです。彼は4カ月近くかけて、《モンジェロンの庭の一角》《モンジェロンの池》《七面鳥》《狩り》の4枚を制作しました。いずれも高さ約175cmの大画面で、モンジュロンを題材としています。これほどの大作を仕上げるため、モネは現地に滞在しながら制作に打ち込みました。しかし、円形広間にはすでにヴィクトール・ルクレールの絵画が飾られており、モネが急いで仕上げる必要はなかったようです。実際、《七面鳥》は1877年の第3回印象派展に出展されています。

オシュデ氏が友人たちとモンジュロンの並木道で狩猟する様子を描いたモネの《狩り》(1876年、高さ173cm x 幅140cm)。現在、デュラン=リュエル家のコレクションとして、パリの狩猟と自然博物館に寄託されています。

これらの作品は、モネの1870年代に特有の鮮やかでみずみずしい色彩で描かれており、大広間に飾られていたなら、オシュデ氏が誇らしく客人を迎え、彼らを存分に魅了する空間を生み出していたことでしょう。

実際、4枚のうち2枚にはオーナーであるオシュデ夫妻が描き込まれています。そのひとつが《狩り》で、オシュデ氏が友人たちとモンジュロンの並木道で狩猟する様子が描かれています。

もう一つは、《モンジェロンの庭の一角》と対になる構図を持つ《モンジェロンの池》です。

クロード・モネ《モンジェロンの庭の一角》(1876年、高さ175cm x 幅194cm)。ロシアの美術収集家イワン・モロゾフが1907年にデュラン=リュエルから購入。ロシア革命を経てモロゾフのコレクションは国有化され、現在はエルミタージュ美術館に所蔵されています。2022年にはルイ・ヴィトン財団の特別展で展示されました。

《池》の向こうに仄かに浮かぶシルエット、揺れる水影

《庭の一角》が明るい色彩の前景に花々を描き、華やかな雰囲気を醸し出しているのに対し、《池》は前景の約3分の2を池の水面が占め、暗い色調で描かれています。水面に映る反射の美しさが目を引く《池》ですが、よく見ると池の向こう岸にひっそりとたたずむ女性のシルエットが描かれています。この女性こそ、アリス・オシュデ夫人です。

アリス夫人の姿を描き込むよう依頼したのはオシュデ氏だったのでしょうか? それともアリス自身がモネにお願いしたのでしょうか? あるいはモネが自らの意図で描いたのでしょうか? その答えは分かりませんが、モネとアリスがモンジュロン滞在中に親密な関係を築いたのは間違いないでしょう。

クロード・モネ《モンジェロンの池》(1876年、高さ174cm x 幅194cm)。イワン・モロゾフが1907年にアンブロワーズ・ヴォラールから購入。《モンジェロンの庭の一角》と同じ経緯をたどり、現在はエルミタージュ美術館に所蔵されています。2022年、ルイ・ヴィトン財団の特別展で《モンジェロンの庭の一角》とともに展示されました。

奇しくも、1876年8月、オシュデ氏は資本金300万フランの新会社を共同経営者たちと設立し、高級織物市場での再起を図ったばかりでした。しかし時代は大不況に突入しており、彼は商用で家を空けることが多くなります。アリス夫人はその不在に不満を漏らしていました。

こうした状況で、シャトーのオランジュリーで作品制作に励むモネとの交流は、アリス夫人にとって寂しさを紛らわせる救いだったのかもしれません。《モンジェロンの池》に密やかに描かれたアリスの姿は、彼らの関係の深まりを暗示しているようにも思えます。

残念ながら、これらの装飾画がシャトーの大広間に飾られることはありませんでした。1877年8月、アリスがモネの子供ではないかと噂される第6子を出産した頃、エルネスト・オシュデ氏は破産し、シャトーもその財産の一部として差し押さえられてしまったからです。


次回は、モネがアリスと親交が始まる1876年8月末から、アリスの第6子出産とオシュデ氏の破産宣告が行われる1877年8月末に至るまでの出来事を時系列で追いながら整理していきたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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