【36歳からの人生の作り方】#21 1枚の絵日記が引き寄せた40代の逆転劇
note創作大賞2026 オールカテゴリ部門 応募作品
36歳まで、わたしは「趣味で絵を描いていた専業主婦」に過ぎなかった。
それがイラストレーターになり、46歳で漫画家になり、51歳でインタビューライターになった。気づけば4冊の本を出し、NHKで教え、新聞やテレビ媒体でコラムを書くまでになったのだ。
そして、36歳で離婚し、39歳で9歳年下の男性と再婚した。
36歳の自分に20年後の自分の話をしても、おそらく信じないだろう。
今までわたしが心がけてきたこと、やってきたこと、やらなかったことを、少しずつ書いていきたいと思う。
この冒頭から始まる記事も、今回で21本目となる。
最初の記事はこちらから
前回の記事はこちらから
10秒で読める「前回までの話」
20年前、趣味で絵を描いていた専業主婦のわたし。ライター講座をきっかけに『仏像ぬり絵』の著者として華々しくイラストレーターデビュー。
36歳で離婚し、9歳年下男子Yと39歳で再婚。Yは持病のアトピーが悪化し、会社を退職して名古屋のひよこ実家へ。ひよこ母との地獄の日々の中、オットYは再度倒れてしまう。

ある習慣が、再びわたしの人生を切り開いた
イラストの仕事で行き詰まり、働き始めた会社ではいじめられ、同居している母からは毎日嫌味を言われていた。さらに、オットは寝込んでいて、この先どうなるかもわからなかった。
そんな八方塞がりな毎日に、急に風穴があいた。
きっかけは、2014年2月に届いたあるメールだった。
メールの送り主は、出版社Pの編集者だった。名古屋出身のある女優が出す「名古屋本」の挿絵を描いてほしい、という。
2012年頃から、わたしはInstagramに絵日記を描いていた。その中の一枚を編集者も女優も気に入ったというのだ。

わたしの場合、Instagramの絵日記から仕事につながることが少なくなかった。以前に、クリエイターEXPOをきっかけに仕事をくれた編集者も、このイラストが気に入ったという。

36歳のときに『ひよこ日記』がわたしの人生を変えたように、44歳の今は絵日記が、行き詰まっていた人生を大きく開かせてくれたのだ。
その女優の書籍のイラストをきっかけに、どんどん仕事が舞い込むようになった。


4月末で派遣会社との契約が終了したとき、わたしはたくさんのイラストの仕事を抱えていた。ようやくフリーランスのイラストレーターとして再始動できたのだった。
イラストレーターとしてのキャリアを代表する仕事
2014年の秋には、わたしのキャリアを代表する大きな仕事の依頼が来た。NHK Eテレの番組『すイエんサー』に登場するイラストを担当してほしい、というものだった。
スケッチブックに描いたタイトルイラストをMCが手に持って紹介するのが番組のスタイルだった。

この番組は2023年春まで続き、わたしは約8年半、番組終了まで担当した。その間に、プロデューサーは4人代わり、デスクは6人、MCも2回変わった。
その間、イラストを自分一人で担当し続けられたことが、わたしにとって大きな力になった。
『すイエんサー』は、名実ともに、わたし・陽菜ひよ子を代表する仕事だ。

ゲストの森三中・黒沢かずこさん

コミックエッセイを出版
2014年の秋には、もう一つ大きなできごとがあった。
それまでのアトピーの闘病生活を、何らかの形でまとめたいと思い立った。そこで、書籍化したいと関係者に相談していたところ、著名なデザイナーが、出版社を紹介してくださることになった。
その大物デザイナーさんとは、2013年と2015年の展示でご一緒したご縁だった。このときほど「展示をやってよかった」と思ったことはない。
このアトピー企画も、一度は企画会議に落ちたのだけど、編集さんが粘ってくれて二度目で通った。2015年2月に企画が通り、10月に書店に並んだ。
それが、わたしの初の単著となるコミックエッセイ『アトピーの夫と暮らしています』(PHP研究所)である。

電子版はコチラ
この本は、地元の書店で大きく扱っていただいた。丸善名古屋本店では平積みとなった。
なんと、村上春樹、半沢直樹、『孤独のグルメ』に囲まれた。まさか自分の本が、こんなメインの平台に並ぶとは。場違いすぎて、何度も見に行ってしまった。

丸善名古屋本店ではトークショーとサイン会をしていただいた。


漫画原稿の裏話
わたしはそれまで、ブログに4コマ漫画を描いていただけで、仕事として漫画を描いた経験はなかった。なので、スクリーントーンの貼り方もわからず、とっても苦労した。そのとき初めて、PCのPhotoshopで貼れると知り、感動した。
入稿がお盆進行(印刷所が長期休みに入る前に一斉に入稿すること)と重なったので、8月に入るとトラウマレベルの大変さだった。オットが消しゴムかけなどを手伝ってくれて、何とか乗り切った。
それでも、8月前半の2週間は、朝起きてから夜眠るまで、大げさでなく「トイレと食事以外」席を立てなかったのだ。
お盆の間だけは母に頼み込んで、食事の支度をしてもらっていた。それは本当にありがたかったし、しばらくは平和な日々が続いた。
だから、少しだけ母に期待をしてしまった。
そう、あの頃はまだ、母にひどい言葉を言われると傷ついたりした。
それはまだ、母に対して淡い期待を抱くことがあったからだ。
けれど、そうした最後の「親子らしい感情」をすべて消し去ったのが、2015年の大みそかのできごとだった。
つづきはコチラ
20年間のフリーランスとして培ったノウハウを余すことなく書いたnoteを集めたマガジン
出版するためにどうすればいいか?について書いたnoteをまとめたマガジン
このシリーズをまとめたマガジンです。
いいなと思ったら応援しよう!
もし、この記事を読んで「面白い」「役に立った」と感じたら、ぜひサポートをお願い致します。頂いたご支援は、今後もこのような記事を書くために、大切に使わせていただきます。