【36歳からの人生の作り方】#22 絶望の淵で人生を切りひらいたのは「妄想」だった
note創作大賞2026 オールカテゴリ部門 応募作品
36歳まで、わたしは「趣味で絵を描いていた専業主婦」に過ぎなかった。
それがイラストレーターになり、46歳で漫画家になり、51歳でインタビューライターになった。気づけば4冊の本を出し、NHKで教え、新聞やテレビ媒体でコラムを書くまでになったのだ。
そして、36歳で離婚し、39歳で9歳年下の男性と再婚した。
36歳の自分に20年後の自分の話をしても、おそらく信じないだろう。
今までわたしが心がけてきたこと、やってきたこと、やらなかったことを、少しずつ書いていきたいと思う。
この冒頭から始まる記事も、今回で22本目となる。
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10秒で読める「前回までの話」
20年前、趣味で絵を描いていた専業主婦のわたし。ライター講座をきっかけに『仏像ぬり絵』の著者として華々しくイラストレーターデビュー。
36歳で離婚し、9歳年下男子Yと39歳で再婚。Yは持病のアトピーが悪化し、会社を退職して名古屋のひよこ実家へ。ひよこ母との地獄の日々の中、オットYは再度倒れるが回復。ひよこの仕事も順調に進むが…

再び、花に囲まれる日々
貯金が底をついた。
しばらくアトピー本の執筆にかかりきりだったせいだ。
実はこのとき、わたしたちは人生最大のピンチを迎えていた。
本の印税が入る12月末を前にして、10月末の時点で、銀行残高が数万円となってしまったのだ。
慌てて週3のパートをはじめたものの、すぐに給料が入るわけではない。
11月をどう切り抜けるか。30代と40代の夫婦としては、対外的に立派な大人として、出すべき時には出さねばならない。

もう無理だ、今月分の生活費は払えない。
そうあきらめながら、残高を印字すると、なんと11月末に印税が振り込まれていた。ありがとう、P社!
母に頭を下げて頼まずに済んで、心からホッとした。当時の母とわたしたちの関係は険悪だったからだ。
母の反発
パートに出ることを伝えた時の、母の猛反発は凄まじかった。「わたしにまた家事を全部押し付ける気?」と怒鳴られた。
「パートだから家事もできる」と言っても耳を貸さない。

要するに、母はわたしが働くこと自体が気に入らないのだ。オットが働いて19時までに帰ってきて、わたしが家事を完璧にこなし、自分は悠々自適に暮らす。それが母の理想だった。
大げんかの末、「母には一切家事を頼まない。その代わり、わたしも母の分はノータッチ」と決めた。
ギスギスした空気のまま2カ月が過ぎ、大晦日を迎えた。せめて今夜くらいは平和に過ごしたくて、年越しそばやおせちを準備していた。
事件は、そのときに起きた。
平和な年越しの静寂は破られた
母が突然、「今月の支払いがまだだから、今すぐに払って」と言い出した。
重ねて言うが、12月31日の夜である。もし手持ちがなくても銀行にも行けない。これから年越しをしようという最悪のタイミングだった。
幸い、お金はオットが事前に下ろしてくれていた。それを渡すと、「あんたたちは自分たちの部屋にこもってばかりで催促できなかった」とか「わたしに何でもやらせて」とまたグチグチ言ってきた。
「口を開けばそんなんだから、部屋にこもりたくもなるんだよ」わたしも負けじと反論した。
囚人のようだったオット
好きでこもっていたわけじゃない。
わたしが働きに出て以来、オットは常にベッドの上で食事をしていた。
母のいるリビングで食べるなど論外だし、仕事部屋へ行くにはリビングを通り抜ける必要があった。しかも仕事部屋は母の部屋の隣だったため、少しでも話すと「うるさい」と怒鳴られるのだ。
朝と夜は2人で、昼はたった1人で、ベッドの上で食事をし続ける毎日。まるで囚人だった。
こんな思いをさせるために、彼を名古屋に連れてきたわけじゃないのに。
母の言葉を聞きながら、4年間の苦い記憶が頭を駆け巡った。
ふと目の前を見ると、年越しそばはすっかり伸びていた。わたしは黙って自分たちの分を片付けはじめた。
テーブルにはおせちと、母の分のそばだけが残る。
「なんで捨てるの?もったいない。」とヒステリックな声が襲い掛かる。
「伸びて、もう食べられないよ」
「ご飯はどうするの?」
「コンビニで買ってきて部屋で食べる」
そう言い残して外へ出た。
凍りついた大晦日
コンビニから戻ると、玄関ドアのチェーンが掛けられていた。
12月31日の午後8時。外の気温は6度。一応コートは着ていたが、冷蔵庫の中に放り出されたような寒さだった。これからさらに冷え込むだろう。
慌ててドアを叩き、「開けて!」と叫んだが、母は「近所迷惑だから静かにしなさい!」と中から文句を言い続けるだけだった。
困り果てて、「お隣のOさんの家に行く」と言った瞬間、チェーンをはずす音が聞こえた。外面と体面だけは気にする母の弱点をついた形だ。いや絶対に、お隣にも聞こえてるよ。
母は、わたしたちがたとえ凍死しても平気なのだ。この日、それがはっきりとわかった。これ以降、母に対して期待する気持ちは、露ほどもなくなった。
これが「この家をどうしても出たい」という、決定的なトリガーになった。
妄想が、現実になる日
2014年春に写真の専門学校を卒業したオットは、2015年に入る頃には、少しずつ仕事の幅を広げていた。
ZIP-FMの人気番組内の「カメラ部」でストリートスナップの講師を務めたり、定期的に不動産会社の撮影を頼まれたりするようになっていたのだ。
彼は不思議と年長者から好かれた。不動産物件のオーナーから手土産をもらってきたり、気に入られてパンフレットのオーダーが入ったりと、わたしの仕事より順調に見えた。
しかし、今の環境では彼の仕事に支障が出る。天候による撮影のリスケのたびに母とバトルになれば、彼は消耗して仕事への意欲を失ってしまう。
とはいえ、保証人もなく、会社勤めもしていないわたしたちは、簡単に引っ越すことがかなわない。

わたしはあるときから、こんな妄想をするようになっていた。
(彼の写真を気に入ったオーナーが、「よかったらうちの物件にタダ同然で住まない?」なんて言って来てくれないかなぁ)
つまり、彼の才能を認めてくれる「パトロン」のような存在を心待ちにしていたのだ。自分には無理でも、オットなら……という、あまりに他力本願な妄想だった。
しかし、この突拍子もない妄想が、驚くべき形で現実のものとなっていくのである。



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