【36歳からの人生の作り方】#9 「器用貧乏」という落とし穴。「自分の強み」が見つからない「劣等生」の生存戦略
36歳まで、わたしは「趣味で絵を描いていた専業主婦」に過ぎなかった。
それがイラストレーターになり、46歳で漫画家になり、51歳でインタビューライターになった。気づけば4冊の本を出し、NHKで教え、新聞やテレビ媒体でコラムを書くまでになったのだ。
36歳の自分に20年後の自分の話をしても、おそらく信じないだろう。
今までわたしが心がけてきたこと、やってきたこと、やらなかったことを、少しずつ書いていきたいと思う。
この冒頭から始まる記事も、今回で9本目となる。
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10秒で読める「前回までの話」
20年前、趣味で絵を描いていた専業主婦のわたし。ライター講座が縁で『ひよこ日記』の出版が決まるも、離婚と同時に企画も頓挫。
代わりに『仏像ぬり絵』の著者として華々しくデビュー!・・・したものの、フリーランスとしての足元には、すでにある『穴』が開いていた。

「三人寄れば文殊の知恵」のもとになった知恵をつかさどる仏さま。
右手に持った剣は「煩悩」「迷い」を断ち切るとされる
(2006年・Adobe Photoshop)
スクールで見つけた、新しい世界
『やさしい写仏ぬり絵帖」(ダイヤモンド社)でイラストレーター&著者としてデビューした頃、わたしは週3でWebの仕事をしながら、イラストスクール・パレットクラブに通いはじめた。
パレットクラブは、絵の実技を習う学校ではない。では何を学ぶかといえば、「自分の強みを見つけて、イラストレーターとしてどう売り込んでいくかを、実践的に学ぶ場所」なのだ。
結果的に、この学校に通ったことで、わたしはイラストレーターとして最初の壁にぶち当たることになる。
どんどん広がっていく画風
わたしにとって、スクールで学んだことは大きかった。アクリル絵の具で絵を描くようになり、画風がガラッと変わった。このころのイラストを見た人から「絵本を描いたら?」と言われたことが、今も続く絵本活動の始まりである。

(2006年9月・アクリルガッシュ)
しかし、仕事でさまざまなタッチを求められ、学校で多くの画材を試したことには弊害もあった。
画風がバラバラで安定しなくなってしまったのだ。
強み=自分の個性が見つからない
パレットクラブでは「自分の個性を見つける」ように、口酸っぱく言われる。だから、画風が安定しないことは致命的だった。
わたしは劣等生、いや落ちこぼれだった。
周りが「自分の色」を見つけてグングン「強み」を伸ばし、羽ばたいていく中、わたしは何色にもなれないまま、ただ筆だけを動かしていた。出口のない迷路で、ただバタバタと溺れているような、そんな劣等感にもがき続けていた。
ホトケでいくか、ヒヨコでいくか、それが問題だ
最初の本に続き、2冊目も仏さまの本で、このまま行くと「仏像イラストレーター」のポジションに収まれるのでは?と周りから言われた。

(2006年12月・透明水彩)
でも、わたしにはわかっていた。仏像に特化して邁進するほど、のめり込めそうにないことに。体感的に、自分がどれだけ「熱量を込められるか」が、そのまま「強み」になると気づいていたのだ。
そして、その強みをもとに仏像に注力している人がすでにいて、絶対に勝てないと感じた。だから「仏像イラストレーター」の道はあきらめた。
「熱量」だったら、鳥だ。そう考え、鳥ばかりを描くようになった。

(2006年5月・アクリルガッシュ)

(2007年2月・Adobe Photoshop)
と、ここまでザッと並べただけでも、画風がバラバラなのが見て取れる。
食べ物イラストのルーツ
鳥と並行してよく描いたのが食べ物。アクリルで描いた食べ物は、なかなか評判がよかったのだ。某大手児童書版元の編集長からほめられれたり、有名イタリアンチェーンから打診があったり。これはイケるかも?と期待に胸が膨らんだ。
それでも結局このタッチでは、ほとんど仕事に結びつかなかった。


これに近いタッチで唯一仕事をしたのは、MdNから発売された『素材集』と著者さんから直接依頼のあったNPO法人制作の『離婚本』のみ。

なぜこのタッチで仕事に結びつかなかったのか
今思えば、ポートフォリオからこのタッチ以外を全部消すくらいの勢いが必要だったのかもしれない。「陽菜ひよ子といえばこのタッチ!」という看板を、自分自身が信じきれていなかったのだ。
「あれもこれもできる」は、結局「何者でもない」のと同じだった。看板を掲げる勇気がなかったわたしの弱さが、仕事を遠ざけていたのだ。
やがて停滞期へ
アクリルの仕事は思うように増えなかったが、思いがけないタッチで次々と仕事が舞い込んだ。わたしは無謀にも2007年夏に会社を辞め、フリーランスになった。
「これからはイラストで食べていける」
そんな根拠のない自信が、じわじわと心の中に広がっていたのだ。
絵本の活動も始まり、イラストレーターの仲間もでき、日々は充実していた。しかし、足元は脆く、少しずつ仕事は減っていった。
本が出て書店で大きく扱われたことで得た「万能感」という魔法が、少しずつ解けていった。
来ないメールを待つ日々
PCの前で、来もしない依頼メールを待って何度も更新ボタンを押す。静まり返った部屋で、カレンダーの白さが自分のこれまでの決断を否定しているように見えた。
ライター講座で、ペンや筆一本でカッコよく生きている人たちに出会って、「ひよこ企画」が通ったことから、自分にもできる!と後先考えずに鳥かごから飛び出してしまった。でも、よく考えれば、今まで専業主婦だった自分に、そんな大それたことができるわけがないのに。
そんな風に、弱気になることが増えていった。
ここから恋バナへ?
振り返ってみると、ここからわたしの仕事は、かなり長い間、停滞期に入っていく。そう、最初っからうまく行ったわけではないのだ。
わたしが長い時間かけて紆余曲折した記録が、これから目指す人の「転ばぬ先の杖」になったら、少しは救われるかな、と感じる。
さて、仕事が消え、自信が崩壊し、暗闇の中にいたわたしの前に、ある日ひとりの男性が現れた。
それが、今の夫……ではない。
人生は、そこまで単純ではなかったのだ。
おまけ:かつてわたしは「G」と同棲していた(※大いなる誤解)
「ひよこ日記企画」が頓挫した後、しばらくはひよこを描けなくなって、「人間絵日記」を描いていた。

ちなみに左上の「カサッ」はGの音。この日の日記のタイトルを「彼と同棲はじめました」(もちろん彼=G)にしたら、タイトルだけ読んで、本当に男性と同棲を始めたと誤解した人がいた(驚)。
右下は、台風が来て大嵐の日。世間のみなさまが通勤で大変な想いをしている中、家でのんびり。これは今も同じで、用がなければ雨が降ったら家にいる。カメハメハ大王か!
……でも当時は、そののんきさの裏で、じわじわとカレンダーの空白が増えていたのだった。
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