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豪傑列伝 保健師さの

1980年代後半化学会社に入社した私は、大阪にある工場で豪傑保健師さのさんに会った。新入社員は雇い入れ時の健康診断を実施するので、その過程で会話を交わし声が大きくて面白い人というのが第一印象であった。

独身寮の新入社員歓迎会があった週末に一緒に飲んでいたさのさんは、あいさつに寄った社長をつかまえ
「おい、社長。新入社員歓迎会やっとるんやから金ださんかい!」
と凄んだのである。
社長は参ったという表情で言われるままポケットマネーを出して場を盛り上げて笑いながら帰っていった。

さのさんの武勇伝はいくつもあったが、社員旅行のときある社員が柿を喉に詰まらせ窒息して倒れてしまい、それをさのさんが指で掻きだしぶちゅーと人工呼吸して助けたというのが有名で、助けられた社員は口うるさく癖の強いおやじだったが、一命を取り留めてくれたさのさんには常々感謝していた。
誰彼となく皆と会話を交わすさのさんには工場の荒くれ男達も従順であった。

「社員のいのちはわしが守っとる、わしは社長より偉いんじゃ。」
と宴会で社長に絡む場面を何度も目にしたし、社長も
「ほんまやなあ。あんたが一番やでぇ~。」
と肩を組んで楽しそうに飲んでいた。

その頃、女性の生理休暇はさのさんが一人一人個別に
「あんたはここからここまでな。」
事前確認し、当該日は彼女が課長に連絡していた。
恥ずかしがる若い女性社員には
「ちゃんと取らなあかん。わしはあがってるのに取っとるでぇ。」
と笑い飛ばすので、殆どの女性が生理休暇を取得していたと思う。

昭和のこの頃は工場に300人ほどが在籍し、作業工程が入ると徹夜作業があったり厳しいところがある反面、比較的暇なときは釣り好きが突然渓流釣りに出かけてしまったりが許される時代であった。
汚れ仕事や危険な仕事も多かった工場で、保健師さのさんの底抜けの優しさに包まれて、男たち女たちは楽しい日々を送っていたのである。


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