1520ルーメンの暗い常盤 ⑧
佐根さん節2
「あたし、常盤くんのことは諦める」
「……へっ!?」
登校するとすぐ、佐根さんに呼び止められ、僕たちは廊下の隅で話していた。声は自然と小さくなる。
昨日の、「常盤くんのこともっと知りたい!」からの急展開だ。
「昨日の聞こえてきた会話……。まぁ察するよね。常盤くんのお母さんって、ご病気なのかもね」
「うん……僕も詳しくは分からないけど、そんな気がする」
「あたしは、そういうご家族がいる人とはお付き合いできない」
その気になれば常盤と付き合える前提なのにも驚くけど、佐根さんの言い方が思ったよりずっと冷たく聞こえて、もっと驚く。
昨日、耳にしたわずかな会話。そこから導き出された答えと、常盤を切り捨てるみたいな言葉に、僕は焦る。
「え、そ、そんな……?!」
「そういうの、悪気がなくてもトラブルに繋がることあるじゃん。あたし、自分の家族に心配かけるようなことはしたくないから。残念だけど、恋愛対象としては無理だなって」
僕は、昨日家に帰ってから、今までで一番ってくらい悩んだ。
もちろん、佐根さんと同じようなことは正直、考えた。常盤とは、もうあまり関わらないほうがいいのかもしれないって。でもどうしても、それで自分が納得できる気がしなかった。
自分や家族を一番大事にしたいのは、当たり前のことだ。でも、そのうえで「僕ら」に何かできることはないのか、佐根さんに相談したかった。
佐根さんはしっかりしているし、唯一、常盤の家の事情を知ってしまった友達として、一緒に悩んでくれると思い込んでいた。
それなのに、佐根さんは迷いなく反対方向へ進んでいくように見えて、愕然とする。
「だからさ、あたし……」
——もう、関わりなくないな。
そんな言葉を想像して、僕は耳を塞ぎたくなった。
「自分に何ができるのかなって考えてたの」
「………へっ!?」
「でさ、こういうプリント、よく配られるじゃん? もう持ってると思うけど。これ渡したら、“心配してるよ”ってメッセージにはなるかなって」
そう言って、佐根さんは一枚のプリントを取り出した。正子おばさんも前に持っていた、相談窓口一覧のプリントだ。
僕がぽかんとしていると、佐根さんが不思議そうに首をかしげる。
「どうした?」
「いや……なんか、もう常盤のことどうでもいいって思ったのかと。『付き合えない』って、もう関わりたくないって意味も含んでるのかなって……」
「はぁー?! んなわけ! 恋人になるのは諦めたとしても、それはそれ! 困ってるなら助けたいよ。友達としてそう思うの普通っしょ? 羽村くんだって心配なんでしょ?」
その言葉に、胸の奥が少し軽くなる。
「あとねー、うちのじいちゃん地域の民生委員だから、“ちょっと様子見てあげて”って言っといた」
「……えっ」
そんなことまで、さらっと言う。僕がひとりでうじうじ悩んでる間に、佐根さんは何歩も先に進んで、できることをしていた。
めちゃくちゃ頼りになる。思わずハグしたいくらいだったけど、さすがにできないので、僕は拝むみたいに手を組んだ。
「何そのポーズ」
「崇めてる。僕はただ悩むことしかできなかったから。心強い。頼もしい。最高。佐根さんって長女?」
「弟2人いる」
「あー、やっぱり」
「羽村くんは弟っぽいよね」
やはり長女なことに納得したし、僕の弟気質も見抜かれてしまった。
「あと、羽村くんは、悩むことしかできなかったって言うけど、自分のために悩んでくれる人がいるのって嬉しいことだからね?」
佐根さんは、照れもせず、こういうことを真っ直ぐ言えるんだな。何もできなかった自分まで肯定してくれて、胸のあたりがふわっと温かくなった。好きになっちゃいそう。
でも佐根さん、ミステリアスな男がタイプらしいからな。たぶん脈なしだ。
「ってかさ、さっきの話し? 羽村くんこそ“もう関わりたくない”って思いそうなタイプじゃん? 『とにかく平和に生きる』がモットーだって前言ってたよね」
そう言われて、僕は言葉に詰まった。
「……そう、だね」
「平和主義ってさ、ある意味、傍観者じゃん。我関せずしてれば、羽村くんの平和は保たれるわけだし。他人の家庭問題なんて、一番ほっときたいことじゃない?」
その通りだった。電球と言動にズレがある人間には、なるべく近づかないようにしていた。
トラブルに巻き込まれないため。自分の平和を守るためだ。
……そうなんだけど。
僕は、自分の矛盾をうまく説明できずにいた。
常盤の告白
「昨日……、羽村がプリントを届けてくれたのか?」
その日、常盤は登校してきていた。それとなく様子をうかがっていたけど、常盤は普通だった。昨日の事はとりあえずスルーしとくべきかな……なんて思っていた僕は、帰り際の突然の質問に、いたずらがバレた子どもみたいにうろたえてしまう。
「あ、いや、う、うん。そうだよ。早く確認した方がよさそうなプリントだったから」
佐根さんが一緒だったことは隠しつつ、僕は挙動不審な感じになってしまう。
部活へ急ぐ子たちが駆けていく。人の気配が薄くなった廊下を、下校のため一緒に歩きながら話す。
「そうか……。何か、聞こえたか……?」
「え? ええと、お母さんと常盤の声が、少し」
僕の言いづらそうにしている雰囲気から、察したらしい常盤は、眉間にしわを寄せた。
「そっか。聞かれてたんなら仕方ないな。うち、母さんちょっと病んでて。……引いたろ」
一気に緊張が駆け上がってきた。血液がお腹に集中する感じがする。頭が真っ白になりそうだった。
常盤と家のことについて、いつか話せたらいいなと思っていたけど。まだ心の準備ができていない。
人から悩みや秘密を打ち明けられた時。
その受け答え方は無限にあるのに、そのほとんどが間違いなんだ。否定も、肯定も、同情も、進言も。
そこまで分かっていても、僕は正しい答え方なんて、なんにも分からない。
そして、これは些細な打ち明けじゃない。
これ、答え方を間違ったら終わるやつだ。
僕は、常盤と終わりたくない。せっかく、話してくれたのに。なんて言えばいい。頭をフル回転させる。
「……そっか、なるほど。いや、引かないよ」
「……」
常盤が黙って、僕の言葉の続きを待っている。
「僕、おばさんがSSWやってるから、色んな家の事情の子の話、聞くことあるよ。常盤んちだけじゃない。ええと……常盤に聞きたいのは、どこかに相談したい?」
「いや……」
「学校の相談室とか、相談ダイヤルとか。あと、僕のおばさんも、けっこう頼りになるよ」
「いや、いい。人に知られたくないんだ。放っておいてほしい」
「そう……?」
今度は僕が黙る番だった。
やっぱり知られたくないんだ。
本人がそう言うなら、仕方ないんだろうか。
困ってる、助けてって言われない限り、何もできないんだろうか。
知られたくないって言ってるのに、僕が勝手に他の大人に話したら嫌われてしまうだろうか。
お母さんは一体なんの病気なのか聞いていいんだろうか。
頭の中がぐるぐるする。
「えーと、答えたくなかったらいいけど、どんな状況なの……?」
「……母さんは、俺が小さい頃から病みがちで。何度か入退院を繰り返してる」
「お父さんは?」
「2年前から単身赴任中」
「えっ……それ、大丈夫なの?」
「母さんも波があって、具合がいい時もあるから。その時は普通に家事もできたりするし。結構、料理上手なんだ。俺も簡単な家事ならできるし、父さんも月一で帰ってくる」
表情を変えず、淡々と常盤が語る。それだけの情報じゃ、実際どれくらい大変なのかは分からない。
でも。
「いや、大変だろ、絶対!」
すると、ふっと常盤の表情がゆるんだので、僕は少し安心した。
「そうなんだよ。具合いい時は、夕飯食べながら学校の話ししたり……。なんか、そういう普通の母さんの時もあれば、昨日みたいに、妄想にかられる時もあって。そういう時は勘弁してくれって思う」
「ふーん……。よく分からないことを言われたりするの?」
「うん。テレビは向こう側からも覗かれるから点けちゃだめだ、とか言って、もう2年観てない」
「マジか。スマホでこっそり観るしかないわけか……」
「父さんからの電話なのに、父さんを装った違う人に違いない、とか言って出なかったり」
「うわ、お父さん悲惨……!」
常盤がいろいろ話してくれたことで、ホッとする。
分かってあげられることは少なくても、僕に話して少しでもスッキリしてくれるなら、それでいい。
「あそこに誰かいて、こっちを見てる、とか。実在の人の時もあるし、宇宙人だとか言ってる時もあるし……」
常盤は苦笑いした。
「そんなこと、あり得ないのにな」
その瞬間。僕は、自分の力のことに思いを馳せてしまった。
ずっと、電球なんてそんなもの見えるわけない、あり得ない、と否定されてきた。また変なこと言ってる、と呆れられたり。誰も信じてくれなかった。馬鹿にもされた。
見えてる僕がおかしいのか?とも思ったし。
でも、本当に見えてるのに誰も信じてくれなくて、絶望したあの頃。正子おばさんがいなかったら、僕はどうなっていたんだろう。
だから僕は、多分、一番言っちゃいけないことを言ってしまったんだと思う。
「……でもさ」
口を開いた僕を、常盤がジッと見つめてくる。
「本人にとっては、本当に見えたりしてるってことだよね? 常盤には見えてなくても。
お母さんにとっては真実なんだとしたらさ。一番近くにいる常盤に否定されるのって、しんどいんじゃないかなって……」
気づいたら、僕は思ったことを吐き出してしまっていた。
たっぷりと沈黙したあと、常盤は言った。
「………簡単に言うなよ」
上がっていた口の端が下がって、目から光が消える。明らかに、がっかりしたという表情だった。
しまった、と思った。
間違えた。
一生後悔しそうなくらい、大きく間違えた。
僕は、絶対に常盤の味方でいたかったのに。
きっと勇気を出して家の話をしてくれたのに。
言い訳をしたい。そう思ったとき、常盤の電球の明かりが揺らいだ気がして常盤を見る。
足早に歩いていってしまう常盤の背中が、とりかえしのつかない失敗をした僕を拒絶しているように見えた。
