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迷路はいつもだいたい赤い

《美しいおふざけ掌篇随筆・第一篇》

旅の情景と小さな気づきとすこしのおふざけ。

小さな気づきを「今世紀最大の新発見」であるかのように、美しい情景とともに綴る「不定期の掌篇随筆シリーズ」です。

……

シリーズ第一篇は
――『迷路はいつもだいたい赤い』

タイトルからしてゆるい!

——昔、あったよね、そういう迷路。

———

#到着便 ―Arrival Flight


海沿いにある松山空港の西の空、夕陽に赤く染められた雲が静かに流れていく幻想的な夕暮れ時。
ここまで赤く染まるなんて。
遠い日に見た記憶がある赤だった。

遠く水平線には忽那諸島(くつなしょとう)の島々が黒いシルエットになって浮かんでいる。

……

彼方の海の上空で銀色に光る点であった何処かからの到着便が、旋回しながら次第にはっきりとした機影になり、ファイナル・アプローチに入って近づいて来る。

夜、旅先のホテルでnoteの随筆を読んでいて、ふと気づいた。
いつものANAクラウンプラザホテル松山だ。
部屋の目の前には頂上に松山城をいただく城山がある。

……

最近、どうやら随筆などには、大きくふたつの「傾向」があるようだ。

抽象的な言葉で人の有り様(ありよう)を説くものと、些細な気づきを大発見のように扱うものだ。

どちらも魅力的だ。

ただ、それらを正確に理解するには、深海や迷路を彷徨う心構えも必要だ。時には、時宜を得た鋭いツッコミも。

遠い昔、赤い夕暮れ空に誘われ、迷い込んだ記憶がある懐かしい迷路だった。

それも赤かった。

——確か、赤い迷路と呼ばれていた気がした。

そんな迷路を、バイク乗りの繊細でしなやかな感性で綴ってみた。

——「松山の夜は静かにあれこれ考えたい」。

———

#ふたつの流行り


写真家・随筆作家である(のつもりだ)。
noteデビューは昨年10月7日午後8時47分だ。つい最近の夜だ。
なんだ、note新参者か。
そうです、そのとおりですが、何か。
相互村の村長様。

いずれ——と言ってもそう遠くない時期に——恋愛っぽい小説も少し発表するつもりでいる。
そしたら、小説家だ。
凄い。自分が小説を書いてしまうなんて。

生まれてこの方、恋愛などしたこともないのに……。

「お笑い恋愛幻想小説」だ。
「お笑い幻想恋愛小説」ではない。
ここ大切なところだから、くどく言っておきたい。

……

恋愛幻想と幻想恋愛ではまるっきり意味が違ってしまう。

幻想恋愛だと、恋愛などしていないのに恋愛をしていると幻想している、いわば勘違いしている主人公だ。妄想とも言う。実に危ない。
変な人の物語になりかねない。

恋愛幻想なら、リアルな恋愛もあって幻想的な現象もあり、とてもロマンチックだ。

——城山公園南のお堀沿いの落ち葉の小径を歩く男女ふたり。
男性は女性の腰あたりに右腕を添えて抱きかかえている。
遠くには松山市駅の灯りが小さく煌めいている。
ふたりは小径に置かれた木製のベンチに寄り添うようにして座り、楽しげに喋りはじめた。
そのときだった。
ベンチの後ろから、突然、もういないはずの女が、男性の肩口あたりにその冷たく美しい顔を覗かせ、「誰なの、その女」と囁き、男性の首筋あたりに冷たい息が吹きかかる——といった感じの物語だ。

とても怖い。
女が死んでいたらホラーだし、
生きていればストーカーだ。
これが“恋愛幻想”だ。

この後、オカルト方向にも、生き霊方向にも行ける。

                                                                    Hikari_Azami

……

旅先だが、今夜も、noteで色々な方の作品を読んで、感性や文章表現の勉強をする。

何処であろうとも、研鑽を怠ることはしない。
作家だから。

———

#好青年はかく有りたい


そんな中、ふとある特徴のようなものに気づいた。
随筆やエッセイが取り上げているテーマである。

noteの随筆には、
「人間関係を含む物事の考え方や、人としての有り様」をテーマとするもの、
「多くの人は見過ごしているかもしれないことへの気づき」をテーマとするものが、実に多いと感じられた。

前者の「人としての有り様」をテーマとするもの——長いので便宜上「有り様テーマ系」と言おう——は、とても抽象的で難しい言葉を用いており、意味深だ。……言葉が。

まるで迷路だ。

……

有り様テーマ系の随筆に限らず、エッセイであれ、ポエムであれ、読書感想文であれ、評論文であれ、「深そうで深くはないけど難解で意味わかんない文章」にはひとつの共通する特徴がある。

抽象的な結論なり抽象的なテーゼなりを、再度別の言葉で抽象的に説明している点だ。
その方なりの言葉で。

「再度の抽象化」とでも言うのであろうか。

抽象的な結論を再び抽象的な言葉で説明しているから、同じことの繰り返しで難解になりがちだ。

いったん示した抽象的な帰結やテーマを、気取って、再び抽象的に言い換えようとするから起きることだ。

たとえば、「他者との関係で、優しく有るべきだ」という抽象的帰結を示したとする。
本来、この後に続くべきは、具体的場面で、具体的にどのように行動するのかということのはずだ。

しかし、具体的場面や具体的行動が示されていない。
代わりに抽象的表現による別の言い換えが入る。

たとえば、「心に太陽を抱く温かさで」とか「いつも空に太陽があるかぎり」とか「愛の輪を繋げて」といった感じだ。

……

男女間に関する文章でもよく見かける。
「彼はいつも私の言っていることや彼のためにしていることを理解してくれない」というありがちな問題。

多くの美人熟女系YouTubeチャンネルでも、モテたいおじ様視聴者向けに、よく取り上げられているテーマだ。
「高齢者必見」とか「悪用厳禁」などのキャッチフレーズとともに。つい見ちゃう。高齢者ではない。何事も修行だ。

「相手へ思いやりや優しさで共感姿勢を示す」とか「共感すれば年下女性はメロメロになる」とか。
これが抽象的帰結だ。

この後に再度の抽象的言い換えが続くことがある。
「相手の気持ちに寄り添う」とか「相手を受け止める」とかだ。

……

問題はその後だ。

ここから先は、本来、具体的場面で、具体的にどのように行動するのかを示すことになる。
法律実務家がよく書く文章では、これを「あてはめ」と呼んでいる。

この「あてはめ」がないと再度の抽象的言い換えのまま終わることになり、深そうだけど何を言っているのかよく判らないまま終わる。

男女の例で言えば、「共感姿勢を示す」には男性はどういう具体的行動をとればいいのか。

イライラしても決して口答えをせずに、女性の言うことを真摯に聞いている風を装いながら、ひたすら嵐が通り過ぎるのを待つ。
このとき、何か将来的な具体的な解決案を出してはいけない。
拙速だ。
共感姿勢が正しいのであって、具体的な解決案の提示ではない。
まずは彼女の言うことを真面目に聞いている態度に徹し、頃合いを見計らって、小さい声で「すまなかった、鈍くて」とか呟いてみせる。
少し涙ぐむのも効果的だ。
バレなければ目薬をほんの少し素早くさすのも有効だ。
ただ、さし過ぎは、却って引かれてしまう恐れがあるので細心の注意が必要だ。

これが「あてはめ」だ。

まさに悪用厳禁の部分だ。

この具体的な「あてはめ」がないから、一体どう行動すれば良いのかが判ったような判らないような、結局、判らない文章になってしまう。

———

#本当の意味で


難解さのもうひとつの原因として、抽象的帰結を再び抽象的に言い換える際の表現が「言い換えにすらなっていない」ことがある。

街中の電柱にイルカの模様が描かれ、訪れた者に海辺の街であることを伝える。

抽象化されたモチーフで「そこが海辺の街」という雰囲気を視覚的に示す。とても良い方法だ。

でも、文章の中で、ある抽象帰結の言い換えとして、ただイルカを泳がせるような、雰囲気だけの言葉を使っても意味はよく判らない。

海とはほど遠い山奥の寒村で、電柱にイルカのモチーフが貼られていても、「何が言いたいのだろう」となってしまう――近くに水族館でもあるのかなとか。

                                                                   Hikari_Azami

……

男女の例で言えば、「共感姿勢を示す」という最初の抽象的帰結がある。これを再び別の抽象的な言葉で言い換える。

たとえば、「愛で相手の気持ちを揺らす」「相手の心を優しい手で包み込む」「思いやりで相手の気持ちを掴む」などだ。

「なんのこっちゃ、いったいどうせい」と言うのだろうかと思う。

言い換えられた表現が判りにくいし(何を言っているのかわからん)、同じことの繰り返しにも感じられる。

また、こうした場合、ほとんど、具体的な「あてはめ」もない。

……

抽象的帰結を再度抽象的に言い換え、その間にもっともらしく「本当の意味で」という前置きを入れても、本当も嘘もない。同じ意味だ。
「屋上屋を重ねる」行為であろう。

たとえば、「こうしたとき、男性は共感してあげることが大切だ。『本当の意味で』女性の気持ちを優しい手で包み込まなければならない。……お終い」って言われましても……。

どうしろって言うのでしょうか。

「本当の意味で」の前と後で、何か意味が違うのでしょうか。
「手を使え」」とでも言うのでしょうか。
じっと手の平を見つめてしまう方もいらっしゃるだろう……そこのおじ様とか。

再度の抽象的な言い換えは、それだけだと、たいして深くもないのに深そうで難解だ。
おじ様を惑わすことにもなりかねない。
まあ、惑わされちゃうおじ様もどうかとは思うが。

こうした有り様テーマ系ものを読み解くには、マリアナ海溝に潜り、ジブラルタルの断崖をよじ登るほどの覚悟と根性が必要である。

———

#森林への思いやりを


後者の「多くの人は見過ごしているかもしれないことへの気づき」系——ここもまた長いので「ボク気づいちゃいました系」と呼ぼう——は、よくそんなことに気づきましたね、というほど些末でニッチな事柄をテーマにするものが多い。

この神経質、もとい繊細とも言える気づきについては、自分では到底為し得ないところであり、感動さえする。

……

極端な例だが、日々使うトイレットペーパーの長さを一回あたり30センチほどに短くしたら、こんなメリットがありましたよ、といった感じだ。

観点が流石だ。その気づきはもはや職人の域と言えよう。

「トイレットペーパー1ロールが二カ月もった」「森林破壊の防止に役立つ」などのメリットを挙げる。

しかし、指先にウンチが付くリスクという重大なデメリットには触れられていない。
まあ、それをデメリットと捉えないのであれば、別だが。

……

いずれにせよ、「ボク気づいちゃいました系」は、ツッコミのとても良い教材になる。

いかに現代のトイレで洗浄や乾燥が高度に発達しても、お尻を拭くという行為から現代人は逃れられないのだろうと、あらためて感じられた。

だって気持ち悪いじゃないか、拭いておかないと。

赤い迷路から戻る頃、旅先でのひとりの夜が静かに更けて行く。

                                                                     Hikari_Azami

ホテル前の県庁通りを走る路面電車も、そろそろ今日を終わる頃だろう。

……

——「拭かぬなら乾きを待とうホトトギス」。

続きまして、もう一首。

——「日本語は正しく使いたい」。

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——生明ひかり

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きっと、いつか電子出版するであろう写真随筆集『いまも君が現(ここ)にいるようで』(今のところ下巻に収録予定)より。

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御礼

素敵なマガジンにピックアップしていただきました。
とても、ありがとうございます💙🌿🥹

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次回予告

次回は、幻想小説《シリーズ遥奈》・第一篇です。
バイク小説です。

——『彼方からの風——遥奈——』

大型バイク乗りの女性——遥奈——黄金色に滲む写真に隠されていた真実とは……。

高校生のとき、家族揃っての最後の旅。
いま、彼女は、懐かしさをなぞるように伊勢路を走りながら、ある悲しい過去に触れてしまう。

——『夕星(ゆふづつ)――いまも君が現(ここ)にいるようで』・第一篇

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