|若手教員向け基本スキル|7月の授業、ただ終わらせるだけになっていないか
最近、少し反省していることがある。
7月に入り、一学期の終わりが見えてきた。
この時期になると、どうしても「終わらせなければならないもの」が増えてくる。
単元を終わらせたい。
テストを終わらせたい。
評価をつけたい。
ノートを確認したい。
一学期のまとめをしたい。
気付けば、授業がどんどん一斉授業に寄っていく。
もちろん、一斉授業が悪いわけではない。
むしろ、一斉授業には強さがある。
短時間で全員に同じ内容を届けられる。
学習の流れをそろえられる。
教師が説明すれば、授業はかなり効率よく進む。
7月のように時間が足りない時期には、この効率のよさがありがたく感じる。
ただ、その一方で思う。
最近、自分の授業は一斉指導に寄りすぎていないか。
子どもが自分で考える時間を、削りすぎていないか。
子ども同士で話す時間を、減らしすぎていないか。
教師が進める授業になりすぎて、子どもの主体性が弱くなっていないか。
これは、今の時期だからこそ一度立ち止まって考えたいことである。
一斉授業は便利である
一斉授業は便利である。
これはきれいごと抜きでそう思う。
全員を同じ方向に向かせることができる。
教師が説明すれば、短時間で内容を押さえられる。
板書を写させれば、ノートもそろう。
問題を一緒に解けば、進度もそろう。
一人で考えさせるより早い。
グループで話し合わせるより管理もしやすい。
特に、学期末のように時間に追われる時期には、一斉授業の効率はかなり大きい。
「ここまで終わらせなければ」
「このテストを今週中にしなければ」
「成績処理までに評価材料をそろえなければ」
そう考えると、どうしても教師主導になる。
これは自然なことだと思う。
だから、一斉授業を否定したいわけではない。
むしろ、必要な場面では一斉授業を使うべきである。
問題は、気付かないうちにそればかりになってしまうことだ。
便利な授業ほど、子どもは受け身になる
一斉授業は効率がいい。
しかし、効率がいい授業ほど、子どもは受け身になりやすい。
教師が問いを出す。
教師が説明する。
教師が板書する。
教師がまとめる。
子どもは聞く。
写す。
答える。
これが続くと、授業はスムーズに進んでいるように見える。
でも、その中で子どもが本当に自分で考えているかは別問題である。
特に7月は、子どもも疲れている。
暑い。
集中力も落ちる。
一学期の疲れも出てくる。
そんな中で、教師がずっと説明し続ける授業になると、子どもはどんどん「受けるだけ」になっていく。
授業が終わる。
ノートもある。
問題も解いた。
でも、子どもの中に「自分で学んだ」という感覚が残りにくい。
これが怖い。
終わらせることに追われると、授業の主語が教師になる
学期末の授業で気を付けたいのは、授業の主語が教師になってしまうことである。
「私が終わらせる」
「私が説明する」
「私が進める」
「私が評価材料をそろえる」
もちろん、教師の責任は大きい。
カリキュラムを進める責任もある。
評価をつける責任もある。
ただ、授業の主語が教師だけになると、子どもの学びは薄くなる。
本当は、
「子どもが考える」
「子どもが話す」
「子どもが選ぶ」
「子どもが試す」
「子どもが振り返る」
という時間が必要である。
しかし、学期末になると、それが削られやすい。
教師が進めた方が早いからである。
ここに落とし穴がある。
早く終わる授業が、必ずしも深く学べる授業とは限らない。
一斉授業をしたら、どこかで子どもに返す
私は、一斉授業をするなら、その分どこかで子どもに時間を返す必要があると思っている。
たとえば、一時間まるごと教師主導で進めたなら、次の時間にはグループ活動を入れる。
説明が多い授業になったなら、次の時間には子どもが話す時間を増やす。
テスト前に一斉で復習したなら、その後に自分で選んで復習する時間を取る。
つまり、一斉授業をゼロにするのではない。
バランスを取るのである。
教師が引っ張る時間も必要だ。
でも、子どもが自分で動く時間も必要である。
この二つのバランスを崩さないことが大切だと思う。
グループ活動は「時間が余ったら」ではない
学期末になると、グループ活動や話し合いは後回しにされやすい。
時間がないから。
まとめたいから。
テストがあるから。
そう言って、つい削ってしまう。
でも、グループ活動は「時間が余ったらやるもの」ではない。
子どもが自分の考えを出す時間である。
友達の考えに触れる時間である。
自分の理解を確かめる時間である。
言葉にして初めて気付くこともある。
人に説明して初めて分かることもある。
一斉授業では見えにくい子どもの思考が、グループ活動では見えることがある。
だから、忙しい時期ほど意識して入れた方がいい。
時間があるからグループ活動をするのではない。
子どもの学びを守るために、あえて時間を取るのである。
「今日は教師が話しすぎたな」と気付けるか
大事なのは、完璧な授業をすることではない。
毎時間、主体的で対話的で深い学びを完璧に実現することは難しい。
現場には現場の事情がある。
進度もある。
行事もある。
評価もある。
だから、一斉授業になる日があっていい。
ただ、そのことに気付けるかどうかが大切だと思う。
「今日は自分が話しすぎたな」
「今日は子ども同士で話す時間が少なかったな」
「最近、教師主導が続いているな」
そう気付けるだけで、次の授業は変わる。
次の時間にペアトークを入れる。
次の日にグループ活動を入れる。
単元の最後に子どもが選んで学ぶ時間を入れる。
少し調整するだけでも、授業の空気は変わる。
7月こそ、子どもの主体性を削りすぎない
7月は、教師も焦る。
子どもも疲れる。
教室も落ち着きにくくなる。
だからこそ、教師が全部管理したくなる。
一斉に説明して、一斉に書かせて、一斉に解かせたくなる。
その方が早い。
その方が安全に見える。
でも、そこで子どもの主体性を削りすぎると、教室はどんどん受け身になる。
「先生、次なにするん」
「先生、何を書けばいいん」
「先生、答えこれでいいん」
そういう姿が増えていく。
子どもに主体的に動いてほしいなら、教師がすべてを決めすぎないことも必要である。
少し任せる。
少し選ばせる。
少し話させる。
少し考えさせる。
7月だからこそ、その余白を意識したい。
一斉授業を否定しない。でも頼りすぎない
一斉授業は必要である。
全体で押さえるべきことはある。
教師が説明した方が分かりやすい場面もある。
時間をかけずに整理した方がいい内容もある。
だから、一斉授業を悪者にする必要はない。
ただし、頼りすぎると授業は教師のものになる。
子どもが自分で考える時間が減る。
子ども同士で学ぶ時間が減る。
子どもが選ぶ時間が減る。
それは少し危ない。
7月の今、自分の授業を振り返ってみたい。
最近、一斉指導に寄りすぎていないか。
終わらせることばかり考えていないか。
子どもが自分で動く時間を残せているか。
教師が話す時間と、子どもが考える時間のバランスは取れているか。
一学期の終わりが見えてきた今だからこそ、ここを見直したい。
授業を終わらせることも大切である。
でも、子どもの主体性を終わらせてはいけない。
一斉授業を使う。
でも、頼りすぎない。
教師が進める。
でも、子どもに返す時間もつくる。
このバランスを、7月の教室で忘れないようにしたい。
