脱・長時間労働ーGMOの「休養学」に学ぶ、従業員のパフォーマンスを最大化する人事戦略ー日経ビジネス記事より
『人的資本の現場から GMO熊谷社長の休養学、「仕事より運動を優先」で組織のパフォーマンス最大化 戦略的“休養”のススメ【1】』(日経ビジネス、2025年8月4日)を拝読しました。
現代社会において、従業員の休養は個人の問題から、企業の競争力を左右する経営課題へと変化しています。この記事では、GMOインターネットグループの熊谷正寿会長兼社長が実践する「戦略的休養」に焦点を当て、個人のパフォーマンスを最大化することが、いかにして組織全体の成長に結びつくのかを解き明かしています。
パフォーマンスを最大化する5つの柱と時間術
熊谷社長が自身のパフォーマンスを最高レベルに保つために意識しているのは、「睡眠」「運動」「栄養」「定期的な検診」「ポジティブ思考」という5つの要素です。これらを単なる努力目標ではなく、科学的アプローチで管理している点が特徴的です。ウェアラブル機器を用いて睡眠時間や運動量を定量的に把握し、常に自身のコンディションを客観的なデータに基づいてコントロールしています。
特に重視しているのが「睡眠」と「運動」です。睡眠については、7時間半という量の確保はもちろんのこと、「質」を何よりも大切にしています。質の高い睡眠の妨げとなるアルコールを自らコントロールし、月の半分は禁酒日を設けるなど、徹底した自己管理を行っています。これは、1日1440分という限られた時間を、いかに質の高いアウトプットにつなげるかという経営者としての時間哲学に基づいています。

運動に関しても、その哲学は一貫しています。有酸素運動と筋力トレーニングを日々のルーティンに組み込み、多忙な中でも決して欠かすことはありません。その時間を確保するための秘訣は、「スケジューlingを人任せにしない」ことです。会議などの予定と同様に、運動や自己投資の時間もあらかじめ自身のスケジュールに「予約」してしまうのです。これにより、他者から予定を入れられることなく、主体的に時間をコントロールすることが可能になります。驚くべきは、50歳を過ぎてから「仕事よりも運動を優先する」という考え方に至った点です。まず運動によって心身のパフォーマンスを高め、その最高の状態で仕事に臨む。これが、熊谷社長の生産性の源泉となっているのです。
「しぶとい経営者」の共通点としての運動習慣
熊谷社長は、「経営者にとって一番の褒め言葉は『しぶとい』だ」と語ります。そして、幾多の困難を乗り越えてきた「しぶとい経営者」たちに共通するのが「運動習慣」であると指摘します。経営は、時に強い精神力と忍耐力が求められる厳しい道のりです。そして、その意志の強さは、日々の運動によって培われる体力や精神力と深く結びついていると熊谷社長は考えています。
運動を継続することは、決して楽なことではありません。しかし、その辛さを乗り越えるプロセスが、経営における困難な意思決定や、事業を粘り強く推進する力と相通じるものがあるのです。見た目の若々しさや健康状態はもちろんのこと、その人の持つエネルギーや経営判断の鋭さにも、運動習慣の有無が現れるとまで言い切ります。この言葉は、運動が単なる健康維持の手段ではなく、経営という厳しい戦いを勝ち抜くための「戦略的武器」であることを示唆しています。62歳にして「今が人生で一番体調がいい」と断言し、会社の業績も過去最高を記録している事実が、その哲学の正しさを何よりも雄弁に物語っています。
社員は「分身」― 組織に浸透させる健康経営
熊谷社長の休養学が個人の実践に留まらない点が、GMOインターネットグループを特徴づける最大の要素です。彼は、約8000人の従業員(パートナー)を「自分の分身」と捉えています。自身がパフォーマンスを最大化することで成果を上げているのと同様に、社員一人ひとりにも最高のパフォーマンスを発揮できる環境を提供したい。その強い思いが、業界でもトップクラスの充実した福利厚生へと結実しています。
その思想は、2010年から始まった福利厚生の拡充に明確に表れています。社内には24時間無料で利用できるフィットネスジム、プロの施術師が常駐するマッサージルーム、業務の合間に利用できる仮眠室などが完備されています。これらは単なる「あれば嬉しい施設」ではありません。社員の健康への「戦略的投資」なのです。
特に象徴的なのが、「昼寝の推奨」です。毎週水曜日には、昼寝を促すアナウンスが全館に放送され、会社として公式に「休むこと」を奨励しています。多くの企業では「勤務中に寝るなどもってのほか」という風潮が根強い中、GMOでは科学的根拠に基づき「昼寝はパフォーマンスを向上させる」と明確に位置づけ、むしろ積極的に活用することを推奨しているのです。この企業文化こそが、社員が気兼ねなく休養を取り、心身のコンディションを整えることを可能にしています。
この健康投資は、見事に業績にも反映されています。連結売上高は10年で2.5倍、営業利益は3.6倍に成長し、2024年12月期にはいずれも過去最高を記録しました。社員一人ひとりのパフォーマンス向上こそが、企業の成長エンジンであるという熊谷社長の信念が、具体的な数字となって証明されているのです。熊谷社長の休養学は、個人のウェルビーイング(Well-being)が、最終的に組織全体の持続的な成功に直結するという、現代における人的資本経営の理想的な姿を示しています。
【人事視点】「戦略的休養」を組織の力に変えるために人事が担うべき役割
GMOインターネットグループの熊谷社長が実践・推進する「戦略的休養」の取り組みは、企業人事の担当者にとって、これからの人事戦略を考える上で極めて重要な示唆に富んでいます。この記事を単なる一企業の成功事例として捉えるのではなく、自社の組織課題を解決し、持続的な成長を実現するための「人事戦略の教科書」として読み解くことができます。
福利厚生から「戦略的健康投資」へのパラダイムシフト
まず、人事として最も注目すべきは、健康支援を単なる「コスト」や「福利厚生」の枠で捉えず、「企業の成長を支える戦略的投資」と明確に位置づけている点です。日本の多くの企業では、福利厚生は従業員満足度向上のための施策、あるいは法定福利の延長線上で考えられがちです。しかし、GMOの事例は、従業員の健康が個人のパフォーマンスに直結し、その総和が企業全体の生産性、ひいては業績を向上させるという、明確なROI(投資対効果)の視点に基づいています。
人事部門は、健康経営に関する施策を企画・提案する際、この「投資」という観点を経営層に力強く訴えかける必要があります。「ジムを作れば、これだけ生産性が上がります」という直接的な証明は難しいかもしれません。しかし、「優秀な人材の離職率低下」「採用競争における魅力向上(エンプロイヤーブランディング)」「休職率の低下による労務コスト削減」「従業員エンゲージメントの向上によるイノベーション創出」といった、多角的かつ長期的なリターンを提示することは可能です。熊谷社長の哲学とGMOの業績は、その強力な裏付けとなります。人事は、健康を「守る」という守りの視点から、健康を「武器にする」という攻めの視点へと発想を転換し、経営戦略と人事施策を一本の線で結びつける役割を担うべきです。
トップの「率先垂範」が最大の推進力となる
GMOの取り組みがなぜこれほど強力な文化として根付いているのか。その最大の理由は、熊谷社長自身が誰よりも熱心な実践者であり、その哲学を自らの言葉で語り続けていることにあります。人事がどれだけ素晴らしい制度を設計しても、経営トップに関心がなければ、それは形骸化し、「やらされ感」のある施策で終わってしまいます。
「社長自らが仕事より運動を優先している」「社長が昼寝の重要性を語っている」。この事実は、従業員にとって何よりの「お墨付き」となります。「休むことは生産性を上げるための正しい行動なのだ」というマインドセットが、トップからのメッセージによって組織全体に浸透していくのです。
人事担当者は、経営層をこの「最大のスポークスパーソン」として巻き込む戦略を描く必要があります。社長や役員に健康経営の重要性を説き、まずはトップ自身にウェアラブルデバイスを試してもらったり、健康に関するイベントに登壇してもらったりするなど、積極的に「顔」となってもらうのです。トップのコミットメントを引き出し、それを組織全体に見える形で示していくこと。これこそが、制度を文化へと昇華させるための最も効果的なアプローチと言えるでしょう。
「休む文化」を醸成するための現実的なステップ
GMOのような大規模な施設投資は、すべての企業ですぐに真似できるものではありません。しかし、その根底にある「戦略的に休む文化」を醸成することは、工夫次第でどのような企業でも始めることができます。人事として、現実的かつ効果的な施策を段階的に導入していく視点が求められます。
第一歩は、「意識改革」です。まずは「昼寝」のように、最も心理的ハードルが高いが故にインパクトの大きい施策から小さく試してみるのは有効な手段です。特定の会議室を「リフレッシュルーム」として短時間開放したり、ランチ後の15分間を「パワーナップタイム」として推奨したりすることから始められます。重要なのは、「会社が公式に推奨している」というメッセージを明確に発信することです。
次に、「多様性への配慮」が不可欠です。熊谷社長は筋力トレーニングを実践していますが、全従業員がそれを好むわけではありません。ヨガやピラティス、ストレッチのオンラインセッション、ウォーキングイベントの企画、あるいは運動が苦手な人向けにマインドフルネスや瞑想のセミナーを開催するなど、多様な選択肢を用意することが成功の鍵です。また、オフィスワーカーとリモートワーカー間の公平性も重要です。在宅勤務者向けには、オンラインフィットネスサービスの法人契約、健康管理アプリの導入支援、スタンディングデスク購入補助など、場所を選ばない支援策を組み合わせる必要があります。
そして、「マネジメント層の巻き込み」が欠かせません。部下のパフォーマンスを管理するマネージャーが、「休む=悪」という古い価値観を持っていては、せっかくの施策も利用されません。1on1ミーティングの場で、業務の進捗だけでなく「最近、よく眠れていますか?」「リフレッシュできていますか?」といった声かけを推奨するなど、部下のコンディションに気を配ることもマネージャーの重要な役割であるという認識を広めるための研修や働きかけが重要になります。
人事戦略の未来像:ウェルビーイングが競争力の源泉となる時代
GMOの事例は、これからの人事戦略が向かうべき方向を明確に示しています。それは、従業員一人ひとりのウェルビーイング(身体的、精神的、社会的に良好な状態)を最大化することが、企業の持続的成長の基盤となるという考え方です。
優秀な人材、特にZ世代をはじめとする若い世代は、給与や待遇だけでなく、企業の価値観や働きやすさ、心身の健康を維持できる環境を重視します。「戦略的休養」を推進する企業文化は、求職者にとって極めて魅力的なものとして映り、人材獲得競争において大きな差別化要因となります。
人事部門は、もはや労務管理や制度設計といった従来の役割に留まることはできません。従業員一人ひとりが最高のパフォーマンスを発揮できるよう、心身のコンディションを整えるための環境をデザインする「組織のコンディショニング・コーチ」であり、経営と従業員のウェルビーイングを繋ぐ「戦略的パートナー」としての役割が求められています。熊谷社長の休養学を道標とし、自社の状況に合わせて「戦略的健康投資」を推進していくこと。それこそが、変化の激しい時代を勝ち抜くための、本質的な人事戦略といえるでしょう。

