「業績数字追いかけマシン」から脱却せよ:丸井グループに学ぶ「哲学的対話」と「フロー状態」の人事戦略ー日経ビジネス記事からの考察
山崎良兵氏による日経ビジネス記事「リベラルアーツがリーダーを鍛える #3 丸井・青井社長 危機に瀕し、数値目標で疲弊した会社を救った哲学的対話」を拝読しました。
この記事では、丸井グループの青井浩社長が、2000年代後半の経営危機をいかにして乗り越えたか、そしてその際にリベラルアーツの学びがどう役立ったかを浮き彫りにしています。
以下に、記事内容から、企業人事の視点からこの内容をどう活かすかについて考察してみます。
丸井グループは2007年の貸金業法改正と2008年のリーマン・ショックにより、倒産の危機に瀕しました。青井社長は、業績低迷の要因を景気などの外的要因だけに求めず、「理念を見失い、利益だけを追いかける『業績数字追いかけマシン』になった」という内的な要因に着目しました。そして、リストラなどの「外科手術」ではなく、企業文化の変革という「内科的治療」を選択しました。この着想の背景には、青井社長が子供時代から親しんできた文学、哲学、歴史といったリベラルアーツの学びがありました。
「哲学的対話」による内発的動機の発見
具体的な施策として、「何のために働くのか」を社員同士で語り合う「哲学的対話」を導入しました。当初は「忙しいのになぜ」と社内から猛反発を受けましたが、若手社員から徐々に参加者が増加。対話を通じて、社員一人ひとりが「お客様に喜んでもらうことが好きだ」といった自らの内発的な動機に気づき始めました。個人の思いが共感を呼び、組織のベクトルが揃い始めた結果、業績も次第に回復していきました。
「フロー状態」と「手挙げ」の文化へ
現在は、社員が仕事に喜びを感じて没入できる「フロー状態」で働ける会社を目指しています。これは、CWO(チーフ・ウェルビーイング・オフィサー)の小島玲子氏との出会いを機に、心理学者ミハイ・チクセントミハイの理論を取り入れたものです。上意下達の「やらされ感」を撲滅し、社員が「私はこれがやりたい」と自ら手を挙げる「手挙げ」の文化を重視しています。この「好き」を原動力にする考えは、顧客に対しても「『好き』が駆動する経済」というビジョンとして掲げられ、「ミュージアムエポスカード」のような具体的なサービスにも結実しています。

企業人事の視点から:丸井グループの事例をどう活かすか
本記事、人事にとっても非常に示唆に富む内容でした。多くの企業が直面する「数値目標による疲弊」や「エンゲージメントの低下」といった課題に対し、丸井グループが実践したアプローチは、人事戦略を根本から見直すヒントを与えてくれます。
1. 「業績数字追いかけマシン」からの脱却と人事の役割
記事にある「業績数字追いかけマシン」という言葉は、人事担当者として耳が痛い現実です。KGI/KPI管理やMBO(目標管理制度)は、組織運営に不可欠なツールですが、その運用を誤ると、社員は数値目標を達成すること自体が目的となってしまいます。結果として、青井社長が指摘する「理念の見失い」「やらされ感」「モチベーションの低下」という悪循環に陥ります。
この悪循環を断ち切る「内科医」としての役割を担うべきです。具体的には、評価制度や目標設定プロセスの見直しが急務となります。
目標設定の「質」の転換
MBOやOKR(Objectives and Key Results)を設定する際、単に「何を(What)」達成するかだけでなく、「なぜ(Why)」それを行うのかという目的や意義を、上司と部下が深く対話するプロセスを組み込むことが重要です。その目標が会社の理念や個人の「やりたいこと」とどう結びついているのか。この紐付けこそが、数値目標に「魂」を吹き込み、「やらされ感」を軽減します。人事は、管理職に対し、こうした「意味づけ」を支援するコーチングスキル研修を提供する必要があります。
評価軸の多様化
短期的な業績数値(結果)だけで評価するのではなく、理念に基づいた行動(プロセス)や、新たな挑戦(チャレンジ)を評価する軸を明確に打ち出すべきです。丸井グループが「手挙げ」を重視するように、失敗を恐れずに挑戦した社員を称賛し、評価する仕組みがなければ、社員は既存の安全な業務に安住してしまいます。
2. 「哲学的対話」を現代の人事施策に組み込む
青井社長が導入した「哲学的対話」は、現代の人事施策における「1on1ミーティング」や「理念浸透ワークショップ」の理想形の一つと思います。
1on1ミーティングの質的向上
多くの企業で導入されている1on1ですが、実態は「業務の進捗確認会議」になってしまっているケースが散見されます。人事は、1on1を「対話」の場として再定義すべきです。アジェンダから「進捗」を外し、「最近、仕事でワクワクしたこと」「何のために今の仕事をしていると感じるか」「どんな時にやりがいを感じるか」といった、丸井グループが実践したような根源的な問いを投げかける時間として設計します。
もちろん、当初は社員も管理職も戸惑うでしょう。記事にも「先輩方にはひどく叱られました」とあるように、変革には抵抗が伴います。人事は、この「対話」の重要性を経営トップから発信してもらうと共に、管理職が安心して対話を実行できるよう、ファシリテーションスキルや傾聴のトレーニングを粘り強く提供し続ける必要があります。
「自分事」にする理念浸透
MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)を策定しても、それが社員手帳に書かれているだけ、ポスターとして貼られているだけでは意味がありません。丸井グループが「一人ひとりの思いが出てくる」場を作ったように、理念やバリューをテーマにした対話ワークショップを人事が企画・運営することが有効です。
「私たちの部署にとって、このバリューはどういう意味を持つか?」「あなた自身の仕事と、このミッションはどう繋がるか?」といった問いを通じて、理念を「自分事」として再解釈するプロセスこそが、真の理念浸透につながります。

3. 「手挙げ文化」を育むキャリア自律支援
「やらされ感を根絶したい」という青井社長の思いは、近年の「キャリア自律」の重要性と完全に一致します。社員が自らのキャリアを主体的に選択し、「手挙げ」できる環境を整備することは、人事部門の最重要ミッションの一つです。
キャリア選択の機会提供
「手挙げ」を促す具体的な制度として、社内公募制度やFA(フリーエージェント)制度の整備・拡充が挙げられます。社員が自らの「好き」や「やりたいこと」に基づき、部署異動やプロジェクト参加に手を挙げられる仕組みを透明化し、活性化させることが求められます。
また、副業・兼業の許可も、社員が社外で「好き」を追求し、新たなスキルや視点を得る機会となり、結果的に本業への内発的動機を高める可能性も秘めています。
「好き」を見つけるための支援
一方で、「何がしたいか分からない」という社員も少なくありません。人事は、キャリアデザイン研修やキャリアコンサルティングの機会を提供し、社員が自らの内面(価値観、強み、興味)と向き合い、内発的動機を発見するための支援を行うべきです。対話を通じて社員の「好き」や「やりたい」を引き出し、それをタレントマネジメントシステムに蓄積し、最適な配置転換やプロジェクトアサインに活かしていくことが理想です。
4. 「フロー状態」を実現するウェルビーイング経営の推進
丸井グループがCWO(チーフ・ウェルビーイング・オフィサー)を設置し、「フロー状態」を目指している点は、人事部門が主導すべき「ウェルビーイング経営」の最先端と言えます。
「守り」から「攻め」のウェルビーイングへ
これまでの人事の役割は、メンタルヘルス不調者の対応やストレスチェックといった「守り」の健康管理が中心でした。しかし、これからは、社員が「生き生きと働ける」(フロー状態)環境を積極的に創り出す「攻め」のウェルビーイングが求められます。
フロー状態に入るには、「明確な目標」「集中の機会」「裁量権」が必要です。人事は、柔軟な働き方(フレックスタイム、リモートワーク)の導入、集中ブースの設置といった物理的環境整備、そして管理職が部下に適切に権限移譲(エンパワーメント)できるよう支援することが重要です。
リーダー育成とリベラルアーツ
この記事の根底にあるのは、青井社長自身がリベラルアーツから学んだ「物事の本質を追究する力」です。短期的な業績や効率性だけを追求するリーダーシップは、組織を疲弊させます。
次世代リーダー育成プログラムにおいて、経営戦略やファイナンスといった実務スキルだけでなく、哲学、歴史、芸術といったリベラルアーツの要素を取り入れることを検討したいところです。一見「無用の用」に見える学びこそが、危機的状況において本質的な問い(我々は何のために存在するのか)を立て、組織を正しい方向に導く羅針盤となるからです。
まとめ:人事は組織の「内科医」たれ
丸井グループの事例は、経営危機という「病」に対し、リストラという「外科手術」に頼るのではなく、「企業文化の変革」と「社員の内発的動機の回復」という「内科的治療」で根本治癒を目指した稀有な成功例です。
私たち人事は、日々のオペレーションに追われ、ともすれば短期的な数値目標や効率化ばかりに目を奪われがちです。しかし、組織の真の健康は、社員一人ひとりの「働く意味」や「やりがい」によって支えられています。
この記事を機に、自社が「業績数字追いかけマシン」になっていないか、社員から「やらされ感」を奪う仕組みになっていないかを猛省し、組織の健康を中長期的に育む「内科医」として、「対話」を軸にした人事戦略を再構築していく必要があると強く感じたところです。

