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アライという概念に対する違和感

SNSを徘徊しているとよくLGBTQに関する声明に溺れることがあるのですが、発信してるのってほとんど当事者じゃない方々なんですよね。
「LGBTにも権利を!」とか、逆に「〇〇が××するのは嫌だ!」とか。
インプレッションが稼げるのかやたらと声が大きいように感じます。

「△△で□□されて嫌だった!」「私は◇◇だからこうしたい!」
とかいう極端な主張は置いといて、
ほとんどの当事者は放っておいてほしい、と思ってると思うんです。

そりゃあ多少の生きづらさは感じてるでしょう。
でもそれは病弱な人が元気に動けなかったり肥満体系の人が窮屈に感じたり
頭髪の薄い人が居心地悪かったり外国人が文化の違いで苦労したり
いわゆる健常な人々にも当てはまる事象で、
なにも特別扱いしてほしいわけじゃないと思うんですよね。

まぁ特別扱いしてほしい人もごく一部いるんでしょうけど正直それはおこがましいというか、特に法律に反することは遠慮願いたいものです。性的少数者セクシャルマイノリティだからって許されるものとそうじゃないものがあるでしょう。
その法律自体で緩和してしまうことによって普通に暮らしてる人々の肩身が狭くなっては元も子もないですからそこは多少の我慢はしょうがない事と割り切ってほしい、というのが本音です。

あ、この線引きが難しい感じですか?
私の意見を述べさせていただけるなら、迷惑かけないなら何でもいいです。同性同士で愛して良いけど公共機関を使わせろというのはご法度だろ、とか。自認するのは勝手にしていいけど心象を押し付けてくるのは辞めてほしい、とか。
ホラーを好きな人と苦手な人がいるように、異性に見えない同性の自認が異性だと気持ち悪いとか思うのは自由じゃないですか。私はそんなことないですけど。
ルッキズムで言えば私はヤンキーやギャルの人のほうがよっぽど苦手です。嫌悪してます。それと同じことが起こってるだけなのかなと思ってます。

基本的に私は他人に興味がない、というのは大きいかもしれません。
他人がどんな恋愛してようとどうでもいいというか、本人たちが幸せならそれでいいじゃない、幸せじゃないなら別れればいいじゃないと至極当然のように思ってます。口には出しませんが。
服装も自由にすればいいじゃないですか。私はどんなに見苦しいと思われようともこのファッションをやめようとは思いませんよ。多少奇抜でしょうけど好きでやってんのよ。後ろ指さされてるかもしれませんがそれを受容する気概は持ち合わせているつもりです。

なんでもかんでもカテゴライズする昨今の風潮が苦手なのかもしれません。名前を付けて特別にすることでこれまで諍いがなかったのに却って浮き彫りにして出る杭にされてるような気がして。そうすると実に叩きやすい。よくない習性です。口馴染みのいい言葉にすることでレッテルを張りやすくするのはそれこそ差別の始まりだと思います。

この「アライ」だってそうですよ。そういう人がいることは認知していましたがまさか名前がついてるとは。

「アライ」という言葉を調べると以下のような概要が出てきました。

政治とかの活動家にも同じ感情を抱いてるんですが、その考え方こそが弱者認定してるように見えてならないんです。
いえ、もちろん配慮は必要だと思いますよ?
でもそれは言外での行動とか所作で表すものであって、声高に叫ぶことじゃない気がしています。

寄り添おうとか理解しようとか、まるで腫れ物じゃないですか。
味方も敵もないですよ。合う人とは合いますし合わない人とは合いません。普通です。いや普通じゃないから苦労してんだろうけど、個性ってそういうもんじゃないですか。シャンプーめんどくせぇなぁとか思いながら長髪を維持してますよ。煩わしい思いをしてまで個性を大切にしてるんです。それとどう違うのでしょう。

思想はとてもいいと思うんですよ。個人を尊重する考え方は全人類持っていてほしい価値観です。でもそれをこれみよがしにひけらかすのはどうなんでしょう。嬉しい人もいるんですかね。この人は私をレズって判定してくれた!生きやすい!――とはならない気がするんですよね。いや干渉しないでよこっちはこっちでよろしくやんてんのよ、ってならないですかね。

大手を振って「支援する」という人々を「アライ」と呼ぶのであれば
こうしてフラットに接するのが善じゃない?と主張する私にも名称はあるんでしょうか。それともこの考え方はそれに至らないほど特殊なんでしょうか。いったい私は何に属しているのでしょうか。





あ、私はアセクシュアルだった!


Afterword

というわけでちょっと思考遊戯してみました。
この記事はこちらの記事に影響されて執筆したものになります↓

まるでアライさんを否定しているような書き口にはなってしまいましたが
おおよそ筆者とは同じ思考だと思います。そう、迷惑をかけなければどうでもいいんですよ。
いや無関心なわけじゃなくて、どうあってもいいという好意的な意味です。
みんな違って、みんないいんです。
筆者さんの考え方が素敵だな、共感すると思ったので筆を執ってみました。
というか経歴がまず興味深いので是非読んでみてください。

私の周りにも当たり前に性的マイノリティの方がいて、あまりにも自然に許容していたので気が付かなかった視点です。むしろそういう方をかっけーじゃん、多少生きづらいだろうけど是非変わらないでいてほしいなとさえ思ってます。これもアライに含まれるのかな?
まぁ、わかりませんが、私は私の価値観で人と付き合っていきます。

そんな、無性愛者を自認する私の主張でした。
どんな形でも人を愛せるならそれが幸せじゃないですか。知らんけど。


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えいちびぃ 最後まで長文お読みいただき誠にありがとうございました。 つっこみどころを残してあるはずなので 些細なことでもコメント残してくれると嬉しいです!