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心に響く小説の冒頭の名言❻城山三郎/沢木耕太郎/宮沢賢治

第五代国鉄総裁の石田礼助の仕事振りに圧倒される言葉とは。
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「僕は散歩と読書と執筆が好き」
 
心に響く小説の冒頭の名言❻
 
人生で読んだ本の中に、心に残る言葉や心に響く言葉たちの、小説の冒頭の名文があります。

その言葉が何度となく頭の中を巡り、声に出して読んで見たくなることもあります。
 
そんな文豪や作家たちの、有名な心に残る言葉の、冒頭・名文・一節、名言などを集めて見ました。


“城山三郎『粗にして野だが卑ではない』”

「一 若き兵士の如く 総理大臣池田勇人は、国鉄総裁への財界人起用に執念を燃やしていた。だが、総裁に成る身にとっては――。 「何ひとつ権限のない仕事をやらせる気か」と、小林一三が初代総裁のポストをはねつけたのは、有名な話である。従業員数四十六万。その数だけでも統率力の限界を超えている上、政府の指揮監督、国会の監督と手枷(てかせ)足(あし . . . 」

城山三郎『粗にして野だが卑ではない』

これは城山三郎の『粗にして野だが卑ではない』の冒頭部分です。
 
第五代国鉄総裁の石田礼助は、総裁在任中に、勲一等を贈ると言われると「俺はマンキー(山猿)だよ。マンキーが勲章下げた姿見られるか。見られやせんよ」と言って固辞しました。

しかし国鉄総裁になり、初めて国会へ呼ばれた時、石田は代議士たちを前にこう自己紹介しました。「粗にして野だが卑ではないつもり」と。

石田はその生涯を、ほぼその言葉通りに生きた人物だったのです。

その人生は三井物産に35年間在職し、華々しい業績をあげた後、78歳で財界人から初めて国鉄総裁になりました。
 
明治人の一徹さと30年に及ぶ海外生活で培われた合理主義から“卑ではない"本物の人間の堂々たる人生を、城山三郎が克明な取材と温かな視線で描いています。
 
明治40年、石田禮助は東京高商専攻科を卒業し三井物産に就職。

石田が頭角を現すのは、大正5年、30歳でシアトルの支店長に起用された事で、着任後3年半ほどの間に目覚ましく業績を上げます。
 
当時は戦争の影響で、太平洋では船荷の動きが減り、シアトル港も閑散としていました。

そうした中で石田は間もなく好景気が来ると読み、船のチャーターに乗り出します。石田の読みは適中し、大戦景気によって運賃は暴騰したのです。
 
シアトル支店は船関係だけで1000万円に上る巨大な利益を上げます。三井物産の当時の資本金は2000万円。その半分を1人で稼ぎ出したのです。
 
だが赴任して3年半目、帰国を命ずる辞令が出ます。損失を計上したと言うのが更迭の理由でした。

確かに損は出ましたが、しかしそれは石田の責任ではなかったのですが、彼はその弁明を一切しなかったのです。そこには明治生まれの男の生き様が描かれていました。
 
城山三郎作品は社会人となりたての頃、滅茶苦茶読んでいました。それは社会とこういうもんだよ。頑張れば君にもチャンスはあるかもしれないと思わせるような言葉に、力を貰っていた気がしていたからでした。


“沢木耕太郎の『深夜特急』の冒頭”

「ある朝、目を覚ました時、これはもうぐずぐずしてはいられない、と思ってしまったのだ。」

沢木耕太郎『深夜特急』

 
沢木耕太郎さんの『深夜特急』の冒頭では、今すぐ行動を起こさなければならないと言う、強い意志が表明されています。
 
『深夜特急』は、ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが、1970年代にインドのデリーからロンドンまでを、乗り合いバスで旅したことを描いた紀行文です。
 
「かつてシルクロードがあったのならば、現代ならバスぐらい通っているだろう」と考えて、詳細な計画は立てずに、勢いで日本を飛び出した26歳の主人公「私」の物語は、

沢木耕太郎さん自身の旅行体験に基づいた紀行文で、今でも「バックパッカーのバイブル」と称されていて、多くの旅人たちに影響を与えて来ました。
 
沢木耕太郎さんの独特の乾いた文章で綴られる本書は、余計な感情の記述がなく、淡々と語られているにもかかわらず、その土地の空気や、湿気や臭いと言うものまでもを感じさせて呉れます。
 
そして、中盤ではこんな一節で旅を総括しています。

「旅がもし本当に人生に似ているものなら、旅には旅の生涯というものがあるのかもしれない。人の一生に幼年期があり、少年期があり、青年期があり、壮年期があり、老年期があるように、長い旅にもそれに似た移り変わりがあるのかもしれない。」

沢木耕太郎『深夜特急』

“宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の冒頭”

一 午後の授業
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
先生は、黒板に吊るした大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問いをかけました。

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

『銀河鉄道の夜』は、こんな一節から始まります。
 
銀河鉄道の旅は、銀河に沿って北十字から始まり、南十字で終わる、主人公ジョバンニ少年の異次元の旅です。
 
『銀河鉄道の夜』は、詩人で童話作家の宮沢賢治の作品の中でも、もっとも有名な代表作の一つで、彼が初稿を書いたのが1924年で、晩年まで推敲が行われていました。
 
現在流布しているストーリーは、戦後しばらくして発見された、第4次稿と呼ばれる作品です。
 
しかし、宮沢賢治は1933年に37歳の若さで亡くなります。
 
そのためこの作品は、宮沢賢治の生前には出版されることはなく、賢治の死後発表されたのです。
 
彼の業績は、生前はほとんど評価はされず、没後、遺稿の出版が相次ぎ急速に知名度を高め、その業績が評価されたのは、彼の死後だったのです。


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