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水彩詩集 私の本棚は誰かの孤独⓭僕はイエローでホワイトでちょっとブルー

私の本棚は、誰かの孤独と繋がっている。
その書物は、誰かに読まれることを待っているのか?

この詩と絵は、ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』からインスパイアして、その世界観を形にしたものです。】

「ぼくのなかの、いくつかの色」


 境界線のうえで、ぼくはステップを踏んでいる。
イエローでもなく、ホワイトでもない、
だけど、そのどちらでもあるようなステップを。
 
世界はぼくに「何者だ」と問い掛けるけれど、
ぼくの心は、名前のない色で揺れている。
 
あの日、ぼくが選んだ荒れた校庭。
グラフィティの描かれた壁と、鋭いガラスの破片。
 
そこは、正しさだけで生きられない、
奴らの吹き溜まり。
 
ぶつかり合い、罵り合う声のなかで、
ぼくは自分のなかの「ブルー」に気づく。
切なくて、少し寂しくて、だけどどこか澄んだ青。
 
パパとママ、二人が紡いだぼくのルーツ。
アイルランドの風と、日本の海の青が、
ぼくの血のなかで静かに混ざり合っている。
 
時々、二人が見せる誇らしげな、
でも少し心配そうな顔。
 
言葉にしない優しさが、 この冷たい街で、
ぼくの小さな灯火(ともしび)になる。
 
アイデンティティなんて、
きっと一枚のカードじゃない。

イエローとホワイトが混ざり合って、
ブルーの涙で薄まって、
世界にひとつだけの、
グラデーションになっていくんだ。
 
10年後の未来へ
 
ねぇ、10年後のぼく。
君はどこで、どんな顔をして立っていますか?
 
世界と自分のあいだに、
うまく折り合いをつけられたかな。
 
それとも、まだ何かに怒ったり、
悩んだりしているのかな。
 
願わくば、あの泥だらけの公立校で学んだ
「他人の靴を履いてみる」という優しさを、
忘れない大人になっていてほしい。
 
ぼくは今日も、
イエローで、ホワイトで、ちょっとブルー。
だけど明日は、
もっと新しい色を自分で塗り足していくよ。


「あの日のブルーを、夜明けの青に変えて」


 あれから、10年。
23歳になったぼくの前に、新しい扉が待っている。
 
学生と言うモラトリアムの終わり、
社会という荒野の始まり。
 
鏡に映るぼくの顔は、
あの頃より少しだけ大人びて、
だけど、あの泥だらけの校庭で揺れていた
「ぼく」の地続きに、確かにいる。
 
振り返れば、激動の10年だった。

イエローとホワイトの狭間で、
何者かにならなきゃいけないと、
あんなに焦っていたのに。
 
いまなら、少しだけ分かる気がする。
 
ぼくは、何者かになろうとする
必要なんてなかったんだ。
ぼくはただ、
ぼくというグラデーションを生きればよかった。
 
あの日、あの荒果てた公立校で、
ぼくらは剥き出しの命で、ぶつかり合っていた。
 
理不尽な格差、いわれのない偏見、言葉のナイフ。
だけどそこには、教科書には載っていない
思春期の「リアル」があった。
 
両親が教えてくれた、世界を見つめる眼差し。
 
そして、ぼくが傷つきながら手に入れた、
「他人の靴を履いてみる」という、あの想像力。
 
それが、冷たい風が吹くこの社会を生き抜くための、
ぼくの最強の武器であり、お守りになった。
 
これからを生きる、ぼくの色彩
 
23歳のぼくは、
もう「ちょっとブルー」なだけの少年じゃない。
 
憂鬱(ブルー)を知っているからこそ、
他人の痛みに寄り添える、
優しい夜明けの青(ブルー)を胸に宿している。
 
これからの社会では、
きっとまた理不尽な境界線に出会うだろう。
 
誰かをカテゴリーに押し込めようとする声に、
耳を塞ぎたくなる日もあるだろう。
 
だけどぼくは、イエローも、ホワイトも、
そのあいだにある名もなき色も、
すべてを抱きしめて歩いていく。
 
境界線の上に、
ぼくだけの新しい道をデザインしよう。

かつて少年だったぼくが、
今日のぼくを誇れるように。
さあ、靴紐を結び直して、
新しい世界へ踏み出そう。


ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の世界観を、中学生の主人公の視点で見つめ、10年後の自身に思いを馳せて、更の10年後になった時点で、どんな思いで、この10年を生きて来たかを、詩に託してみました。


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