100周年、どころじゃないんだ実は
はじめましての人も、前から知ってる方も、ごきげんよう。
岡埜 由木古です。
見出し写真は記念品として頂けたこうやくんキーホルダーと、なんのはなしですか白へびさん。
(文字数:約2700文字)
もう山頂はいいや
7日間中の2日分はガッツリ高野山で過ごしてきたんだが、
4日の町石道修行参拝が、私の貧血で医者の許可が出ず、参加できなかったのは仕方がないとして、
5日の10時からと聞かされていた、奥之院での御詠歌奉納は、
急遽朝の6時半からに変更されて、すでに終わりました、
と僧侶から笑顔で、しかしただ説明されて、フォローとか代替のイベントなども無く、
8日の新作御詠歌講習会を、私はそれはそれは楽しみにしていたというのに、実に令和2年から待ち望んでいたというのに、
基本的に教師の方しか受講する事は出来ず、しかも全ての講習を受講する前提で、費用は2万円だという。
当日現地に赴いてそれを言われても持ち合わせなど無い。
あったとしても大阪府から来ている人間は、時間的に一コマ程度しか聴講できないんだ。一コマ2千円とか3千円で切り売りしてはくれないか。
ネットの特設ページに公開されています。
とか言われても、こちとら5月頃に頂いた教師会報特別号で情報を得て、そこから6月7月8月と、いくら検索しても情報が公開されてくれなかったので、もう高野山としては大体的に告知なんかしないんだと、諦め切っていたからね。
私の御詠歌の先生も、御高齢な上に基本はふもとの自分のお寺で忙しいから、9月なんか秋の彼岸でてんてこ舞だったからさ。山頂の情報はそう簡単には届かないよね。
何より一コマ分の講習を担当した先生が、予約がいるとか、聴講料全体で2万円とか、知らされていないてどういうこと。
そんでやっぱり特設ページ見ても、「2万円掛かる」旨は明記されてないやん!
なんやのん。あんたらんとこ悪いけど、仕事ぬるいで。
分かるけど分からん
そして我々も御詠歌を奉詠するために、お寺のお堂にしか見えない大講堂へと赴いたらばだ。
中央に堂々と、金剛流御詠歌を立ち上げなさった流祖、曽我部俊雄和尚のお姿を写した巨大な掛け軸が掲げられていて、本来のこのお堂のご本尊である、
お大師様が見えない。
それは正直いいのかと。あんまりよろしくなくはないかと。
掛け軸だから垂れ下がっているだけだから。めくればそこにはお大師様が確かにいらっしゃるからいいのか。いいのか?
100年前に流祖様が、日本全国に散らばっていた御詠歌を、このままでは廃れてしまうから、高野山で集めて整理して楽譜なども作って保存しよう、と始めたのは確かに大した偉業なんだが、
御詠歌自体はそれ以前から、花山天皇が各地の寺院に和歌を残してからの実に約一千年もの間、日本各地のド庶民たちが、残された和歌に節をつけたり自分たちでも曲や歌詞を作ったりして、それぞれの集落で歌い継いできたものなんだよ。
彼らが胸に抱いてきた面影は、お大師様や日蓮や、法然親鸞一遍であって、正直ここに掛かってあるじいさん知らんねん。
誰やねんやねん残念ながら。そりゃだって金剛講御詠歌は、一千年続いた全体の、十分の一の百年でしかないんだもの。
とは言え司会を務めていらした内の一人のおじいちゃん僧侶が、
「皆さん今日はニコニコ笑顔で帰りましょう!」
と締めてくれて空気が一気に和んだのは、人柄が為せる技だなと思った。
そこそこ死にたくなった
あぁ。だけど高野山の責任じゃないですよもちろん。
物事が上手く進まないと、私の用事だけじゃなく家族の用事であっても、私が呪われているからだ、とか無駄に怒りをぶつけられたり、お前は天から見放されている、とか嘲笑われたり、まぁ正直に言ってクソみたいな教育、でもねぇよなハッキリ言って虐待、を実の両親から受け続けてきたもので、単純に条件反射です。
自分の反応が異常だという自覚はあるので世に訴え出やしません。
しかしそこに対して仏教は、「親は大事にしましょう。親がいなければ今の貴方の命も無いのですから」みたいな、聞くだに私の心が痛みと共に捻れ曲がって、両手が自動で自分の首締めるような事しか言いやがらねぇから、
基本的に性に合わねぇんだよ!
と怒り狂いたいところを、個人としての空海と、菩提寺の御住職が好きだから、推し活みたいに興味を持って通い続けてやっていたまでだから、
他の事柄は特に好きでもないです。ええ。
キリスト教イスラム教ヒンドゥーを眺めているのと特に変わらないです。
っていうか私そもそも「仏教徒の皮をかぶった神道徒」だから。日本語を駆使して生きていたいならば神道徒を名乗る以外に仕方がない、と私自身は考えているから。
見るにつけ聞くにつけ物悲しい
南海鉄道のおかげで今婚家の墓参りにも通い続けられているわけだから、そこは有難く思っているんだが、
高野町から山を下った天野や神谷が、宿場町として復活してくれたり、
細川や古沢や椎出といった、九度山全体の集落に人が住み着いて栄えてくれたら、庶民でも休み休み、宿に泊まったりしながら、町石道参拝を達成できるわけじゃないか。
江戸時代の庶民が今より頑健だったわけじゃなくて、そうした環境が整っていたからじゃないか。
ふもとからの寄進やお布施があって、寺院相手に商売してくれる人たちがいての、高野山だったんだろ?
今のふもと側のさびれ具合は一体どういう事だ?
ふもとが勝手に自堕落に廃れていったわけじゃないだろ? 時代の流れ、とか言ってごまかしたまま特に何にもしてこなかっただけだろ?
私は高野町よりもふもと側の九度山全域を栄えさせたい。
ちょっと今方法とか思いついていないし、叶うとしても十数年から数十年は先の話だろうけれども、それが叶ってくれるまでは慈尊院側の町石道には二度と挑戦しない、というより出来ない。クマが出るからな。
里が栄えてくれたらクマも出ないようになる、と言うよりクマが出ないような栄え方してなきゃいけないんだよ。
正直に言って江戸時代の方が、ヒトははるかに真っ当な「生き物」だったんだよ。
とりあえずふもと側集落をイメージした小説群
これまでに書いた分を一応リンク貼っときます。
だからなんだと鼻で笑われる以前に、気付かれも気にされもしないだろうが、気まぐれにでも手を付けて面白く感じる人が一人でも増えてくれれば。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。
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