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住吉大社で観月祭

 はじめましての人も、前から知ってる方も、ごきげんよう。
 岡埜 由木古です。

 実は相当にご近所だった千世さんから誘われた。

2025年10月12日
(文字数:約3300文字)



♪ガッタゴト

 観月祭はそれは月を観るので夜に始まるんだけども、

 大阪に移り住んで20年も経つのに、私は住吉大社自体に行った事が無く、阪堺電車(大阪唯一の路面電車)にも乗った事が無いので、

 昼頃から観光してます、
 と連絡したところ、千世さんも待ち合わせて案内してくれるという。

 まぁ長崎出身なので路面電車には馴染みがあるんだが、お会いした時点から千世さんとは話がはずんだので、乗車中に思い出す事は無かったんだが、

 どういうわけでか「うたごえ喫茶」に紛れ込んでしまって「チンチン電車の歌」を合唱させられた謎の思い出があって、
 歌詞に「浜寺」という駅名があったからあの歌は阪堺電車確定。

 ♪ガッタゴト


住吉神社の総本宮

 石灯籠がそりゃでっかい上にビッグネームが刻まれてるなぁ。
 江戸時代から豪商たちが寄進を続けてきた事が良く分かる。

 鳥居くぐったらすぐ見えてくる太鼓橋は渡りたいです太鼓橋。初めて見るけど文献や浮世絵なんかで噂には聞いている太鼓橋。

 ノリノリで渡り終えて境内観光後に戻って来たら、太鼓橋が観月祭の舞台になる模様で立ち入り禁止になってた。
 ラッキー、ってか千世さんのタイミング采配に感謝。
 (・∀・)

 私の実家の岡埜おかの家は、諏訪神社(水神)を氏神にしていたので、水つながりで住吉さんとはそこそこ仲が良い感じがする。
 とは言え中央にでかいやしろが四つもあって、どれから拝めばいいのやら。まごついていたら千世さんが宮司さんに聞きに行ってくれたけど、別にどれから拝んでもいいらしい。

 一応縦に並んだ三社が三兄弟で、優劣は無いみたい。
 強いて言うなら水底担当、水中担当、水面担当。そら全部拝まな意味無いわな。水は流れてるもんやからな。

 水面担当の真横にある社だけが女神で、神功じんぐう皇后。


テーマパーク扱い

 高野山も私は「お大師様のテーマパーク」だと思っているが、住吉大社もなかなかのテーマパークだ。
 境内を四方の端までひと巡りすると盛り沢山だ。しかも巡り切れてない。弁天様は見逃していた。だけど今度行く神社にもいらっしゃるから良いや。

 なんとなく楠には縁がある気がするので、樹齢千年の楠を祀った楠珺社なんくんしゃは拝んでおく。

 種貸社たねかししゃは「飯が食える」という、それさえ無難なら何よりの、現世利益が分かりやすくて面白い。もちろん拝む。

 江戸時代の書籍組合が建てた御文庫おぶんこがあって、今でも2万冊以上保管されているんだって。うわぁそれ私めっちゃときめく。もしかして中に入れたら出られないよ?

 あとすみません。田んぼが見たいです。
 (*・∀・)ノ(・▽・;)田んぼ?
         ↑
 マニアックな要望を出して千世さんを驚かせる。

 御田植神事で実際に稲を植える田んぼ。今ちょうど実りまくりだよ。
 神道の儀式に使われるお米、とは言っても実質ごく普通の田んぼ。それでも米が心底有難い農村出身者としては見逃せない。

 ♪日本の米はぁ世界一! マイ
(@打首獄門同好会)
 (*Φ∀Φ)ノ (・▽・;)


仲秋の名月の日の18時

 観月祭についての情報は、ネットで検索しても18時開始、くらいしか出ておらず、
 準備中の宮司さんを呼び止めて訊いて、太鼓橋に向けられた自由席の範囲を把握。そこが埋まると立ち見になるとの事で、
 早めに夕食を済ませて16時頃から席を確保。

 かがり火が点され薪も焚べられて、きらびやかなほぼ満月も空に上り始めて、雰囲気は抜群。
 ……なんだけど18時から30分以上待たされる。なぜ。

 その間アナウンスも無くて状況が分からない。
 “「(;・∀・)(・▽・#)
   ならばネットに19時からと書いて

 神社仏閣ってそういうとこありますからー。
 神や仏に対して執り行ってる儀式なんだから、人は二の次、とかそもそも気にしてないみたいな。
 (;・∀・)(・▽・)あ。そうか。
        人ー3

 我々は「お客さん」じゃなかった。
 神社が毎年やらなくてはならない儀式を、金も払わず日頃からお布施を払うでもなく、勝手にやって来て見ている連中なんだった。

 案の定本殿での神事を行った後に、太鼓橋での催しでした。 


和歌と俳句の奉詠

 まずは月をお題にした和歌が、この日のために選出されていたみたいで、

 住吉大社宮司の短歌を、節を付けて歌うように詠じた後、
 天・地・人と佳作10首、計13首の奉詠。

 私が習っている御詠歌もそうなんだけど、基本的に神仏に向けてお唱えするものだから、感情を込めるような歌い方ではないし、太鼓橋のたもとに並んだ群衆なんか意識していられないわな。
 “(・∀・)うん

 楽しいか面白いかと訊かれると、人それぞれの知識や経験に寄りそうな気がする。
 感情なんか込めなくたって迫力とか威厳があるし、言葉によって節を変えている様子で私は興味深いんだが。

 続いて月をお題にした俳句を、
 これも天・地・人と佳作10句、計10句を、

 ただ文章として朗読するんだ。
 (;・∀・)←ちょっと驚いた。
 そうか。「句」だからか。「歌」じゃないからか。

 奉詠の後は私は初めて見聞きする「住吉踊り」があった。


これを見に来た舞楽

 4月の四天王寺での聖霊会しょうりょうえでは鑑賞に適したポイントを見つけ切れなかったので、

 ようやく目の前でガッツリと舞楽ぶがくが観られるぞ。
 (年明けのNHKでの舞楽なら鑑賞した事はある。)

 アナウンスがあっても音だけがかろうじて拾える程度で、文字までは分からん。帰ってから調べたところ、
 左方(唐楽:しょうメイン。衣装は主に赤系)と、
 右方(高麗こま楽:鞨鼓かっこメイン。衣装は主に青系)に分かれていて、

 振鉾えんぶ三節 …… 鉾を振って場を清める舞。左方一人、右方一人、左方右方揃って二人、の順に舞台に上がる。
 左方 桃李花とうりか …… 四人舞。曲水の宴で舞われた記録あり。
 右方 仁和楽にんならく …… 四人舞。高麗楽だけど日本で作られた。
 退出まかで音声おんじょう …… 舞楽終了を知らせる曲。
 みなもとの博雅ひろまさ作曲『長慶子ちょうげいし』、だと思うけど個人的に博雅大好きなのでその時点でテンションが上がって、曲名が聞き取れなかったので自信無い。

 初めて通しで見た上で、千世さんに質問。
 舞楽を日本に伝えたのは聖徳太子ですよね?
 (・∀・)ノ(・▽・)そやで

 今日初めてしっかり見て思ったんですけど、舞楽って、唐から来た音楽と朝鮮から来た音楽を、神道に合わせて並列に配置した気がするんですよ。
 神道って一つの神様が和魂ニギミタマ荒魂アラミタマに分かれるんで。

 すると崇仏か廃仏かで物部もののべ氏と争った、という一般的な理由が納得いかない。他にも理由があったように思うんですよ。
 “(・∀・)うん (・▽・;)
       また極端な話を


ここからは小説家の妄想半分です

 さすがにこれは千世さんには話さなかったし、
 歴史学者どころか都市伝説研究者に聞かせても鼻で笑われてしまいそうだから、話半分で読み流してもらいたいんだけど、

 聖徳太子って(物部)守屋だったんじゃね?

 いや。さすがに「聖徳太子=守屋」とは考えてないけど。

 聖徳太子に弟いたの知ってる?
 それも結構な人数いたの知ってる?

 彼らが全く知られていなくて、聖徳太子が単体だけ浮き出て見えるという事は、そもそも「聖徳太子=厩戸皇子」じゃなくて、重臣に兄弟たちで行った治世を、人格化した象徴名だったんじゃね?
 依代としての生身には厩戸皇子が置かれてたって事じゃね?

 お大師様伝説だって半分以上は、全国を行脚した高野聖だったと思うし。
 “(・∀・)うん


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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