「あの言い方はない」と思っても、また「自分が悪い」に戻ってしまうとき
強く注意されたそのときは、ひとまずそのまま受け止められることがあります。
確認が足りなかったのは事実だし、迷惑をかけたのも本当だから、「すみません、以後気をつけます」と答えて、その場は終わる。
けれど、しばらく経ってから、ふと不満が出てくることもあります。
「あそこまでの言い方はないんじゃないか」
「せめて、こちらの話も聞いてほしかった」
そうした、小さな不満や憤りが、心の中でくすぶるのです。
でも、その気持ちはあまり長く続きません。
「いや、でも自分ができていなかったのが悪いんだから」
「こんなふうに思うのは、ただの言い訳だ」
そうやって、結局また「自分が悪い」のほうへ心が戻ってくる…。
そういった経験、ありませんか?
文句を言える立場じゃない、と思ってしまう
いったん出てきた不満が、なぜまた自責のほうへ戻っていくのか。
そこには、「自分にもミスがあったのだから、文句を言える立場じゃない」という考え、その中の特に『自分にミスがあった』という自分の非をことさら意識してしまう思いが、挟まっていることがあります。
確かに、確認は足りなかった。迷惑もかけた。それは事実です。
ただ、いつのまにかその事実が、「だから、あの言い方をつらいと感じてはいけない」「自分には、そんなふうに思う資格がない」というところまで広がっていきます。
つまり、「自分に非があったかどうか」が、「自分が何を感じていいのか」の判断基準のようになってしまうのです。
けれど、この二つは、もともと別のものだったりします。
例えば、確認が足りなかったことは、直せばいい。ここは事実です。
一方で、人前で強く言われたときに何を感じるかは、直すとか直さないという話ではありません。感じることのほうに、資格は要らないからです。
それでも「やっぱり自分が悪い」で話を閉じてしまうと、そのとき感じていたはずのものは、言葉にならないまま心の奥底に残ってしまいます。
「自分はダメだ」の下から出てくるもの
カウンセリングの場でクライエントさんから語られるのも、ちょうどこの、戻ってきたあとの自責の言葉であることが少なくありません。
「つらかったです」
「でも結局、自分ができていないのが悪いので」
ただ、その出来事について時間をかけてうかがっていくと、さらにその下から別の言葉が出てくることがあります。
「本当は悔しかった」
「あんなに準備していたのに、そこは見てもらえなかった」
「認めてもらえていなかったんだな、と思った」
そうした思いは、最初から隠していたわけでも、ごまかしていたわけでもありません。ご本人にとっても、話しているうちに初めて輪郭が見えてくる、という感じに近いように思います。
つまり「自分はダメだ」という考えはその人が感じていたことのすべてではなく、いちばん早く頭に出てきた言葉に過ぎなかった、ということがあるのです。
ですので、私は、この、心の奥底の思いを飛ばしたまま反省点だけに目を向けても、振り返りはうまく終わらないように感じています。悔しさや寂しさが残ったままだと、どれだけ直すところを挙げても、どこか腑に落ちず、片づいた気がしないからです。
その下に、何があったのか
ですので、「やっぱり自分が悪い」で終わりそうになったときに、もうひとつだけ。
「私は、本当は何が嫌だったのだろう」「本当はどう感じていたのだろう」
悔しかったのかもしれない。恥ずかしかったのかもしれない。あるいは、努力していたところを見てもらえなかったことが、思っていたより寂しかったのかもしれません。
答えがすぐに出なくても、それで十分です。ここで確かめたいのは、どちらが悪かったのかではなく、自分の中に何が残っていたのか、のほうだからです。
もし、思っていたより大きな気持ちが出てきて、しんどくなるようなら、そこで止めてしまってください。全部を言葉にしきらなくても、「何か残っていたんだな」と気づいたところで、いったん離れてかまいません。
それに、悔しさや寂しさがあったからといって、相手が全面的に悪かったことにはなりません。その気持ちを、相手にぶつける必要もありません。
見直す点は、見直せばいい。ただ、その前に一度だけ、自分の中に残っていたもののほうへ目を向けておきましょう。それは、「自分が悪い」の一言だけで、あの日をまとめてしまわないために。
相手の事情を理解しようとすると、今度は逆に「仕方がない」と自分のつらさを引っ込めてしまうことがあります。そんなときは、こちらの記事も参考になるかもしれません。
▶︎ 「上司にも事情がある」と考えるほど、自分のつらさを後回しにしてしまうとき
