「上司にも事情がある」と考えるほど、自分のつらさを後回しにしてしまうとき
上司からきつい言い方をされたあと、
「今日は忙しかったんだろうな」
「上司も余裕がなかったのかもしれない」
と考えることがあります。
こうやって相手の事情を考えること自体は、悪いことではありません。
「嫌われたんだ」「全部自分が悪いんだ」と、一つの見方に決めつけずに済むなら、自分の気持ちを立て直す助けになることもあります。
ただ、そこから、
「忙しかったなら仕方がない」
「自分が気にしすぎただけだ」
「こんなことで傷つく方がおかしい」
などと、自分のつらさまで消してしまうなら、少し話が変わってきます。
私が支援の中で大切にしているのは、相手の背景を理解することと、その人の言動をそのまま認めることは別だと考える視点です。
上司が忙しかったのかもしれない。疲れていて、いつもより余裕がなかったのかもしれない。
それはそれとして考えてよいと思います。
けれど、相手にどんな事情があったのかということと、あなた自身に何が起きたのかということは、分けて見てよいものです。
たとえば、
「今日は上司も余裕がなかったのかもしれない。だから、あんな言い方になったのかもしれない」
と考えたとします。
そこで終わらず、
「それでも、私はあの言い方で萎縮した。その後の仕事にも少し影響した」
というところまで、それはそれとして認めていいのです。
相手の事情は、あくまで相手の問題です。
たとえば、その余裕のなさが例えば八つ当たりのような形であなたへ向けられたのだとして、相手の問題に巻き込まれた分まで、あなたがガマンをしたり飲み込まなければいけないわけではありません。
あなた自身、大切な一人の人として、ご自身の傷つきを尊重していいのだと思います。
「事情はあったのかもしれない。それでも、私はつらかった」
相手を理解することと、自分のつらさを認めること。そのどちらか一方だけを選ばなければいけない、ということはありませんからね。
相手の機嫌や事情を気にするうちに、自分が本来引き受けなくてよいところまで背負ってしまうことがあります。その境界をもう少し詳しく考えたいときは、こちらの記事も参考になるかもしれません。
