「私が悪かったのかな」が止まらない夜に
「やっぱり、私が悪かったんだ…。」
怒られた日の夜、この言葉が何度も浮かんでくることがあります。
最初は、ひとつの出来事を振り返っていただけだったかもしれません。
「確認が足りなかったかな」
「もっと早く相談したほうがよかったかな」
けれど、考え続けているうちに、「私が悪かった」の範囲が少しずつ広がっていくことがあります。
「相手を怒らせた私が悪いのかな」
「私はいつも、こうやって迷惑をかける」
「やっぱり、全部私のせいだったのかな」
そもそも、「悪かった」という言葉には、いくつもの意味があります。
仕事の進め方に見直す点があった。
相手に負担をかけたかもしれない。
相手を不機嫌にさせてしまった。
仕事ができないと思われた。
人として、ちゃんとしていない。
本来は別々に確かめる必要があることまで「私が悪い」というひとことでまとめてしまうと、とても苦しいですよね。
して、「今回、見直したほうがよいことはあっただろうか」という問いが、いつのまにか、「相手が怒ったのは、全部私のせいなのではないか」という問いに変わってしまうことがあります。
夜のふとした時に浮かんでくる「私が悪かったのかな」が苦しいのは、自分を振り返るための問いだったはずなのに、いつのまにか、自分を責めるための言葉になってしまうことがあるからです。
もちろん、適切ではなかったこと、改善ができることは実際に見直したほうがよいでしょう。
そうしたことを考えるのは、これからのためにも必要なことです。
ただ、必要以上に自分を責めてしまうことは、すべきではないと私は思います。
強い口調で言われた直後や、相手の表情が頭からなかなか離れないでいると、相手が本当はどう思っていたのか、明日はどうなるだろうかを考える余裕がなくなりがちです。
そうして気持ちに余裕がないままだと、心は、ひとつの分かりやすい答えを探そうとすることがあります。
確かに、自分の中にばかり原因を探すと、
「私が悪かった。だから次はもっと気をつければいい」
と、一応の説明はつきます。
けれど、その説明だけでは、相手の言い方、その場の状況、仕事の進め方、役割の違い、その日の疲れなど、ほかに関わっていたものが見えなくなることもあります。
「私にも見直せるところがあるかもしれない。」
それと、
「だから、全部私が悪い。」
は、同じ意味ではありません。
今夜のうちに、どちらか一方へ決めなくてもかまいません。
考えても同じ場所を回り続けるときは、無理に答えを出す代わりに、こんなふうに自分に言い聞かせてみてもよいかもしれません。
見直したいことは、あるかもしれない。
でも、全部私が悪いとは、まだ決まっていない。
保留にすることは、反省から逃げることではありません。
少し落ち着いてから、今回の出来事はあくまでも今回の出来事として見直すために、時間の力を借りることです。
「私が悪かったのかな」という問いが、どうしても自分を責める言葉に変わりそうな夜。
今夜は、敢えて判断を保留にして、まずは心を休めてもいいのかもしれません。
「自分が悪かった」と思う一方で、「でも、あの言い方はつらかった」という気持ちも残っているときは、こちらの記事でその二つを分けて考えています。
