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【元2E発達障害児の回想】何度叱っても効かないのに、『納得』すると一発で変われる――あれはいったい何だったのだろう

「何度言えば分かるの」
「分かってるなら、最初からやりなさい」

何度叱っても効かない子がいる。
怒られても変わらない。お仕置きをしても改まらない。
でも、ある日突然、自分で納得すると、すっと変わる。

こういう子を前にすると、大人はたいてい「頑固、わがまま、反抗的」といった性格で説明する。

でも、実はこれ性格の話ではない。
叱る、という手段が、設計上きかない脳がある。

僕がそうだった。
だからこの記事では、僕自身を標本にして、その脳の中で叱責がどう処理されていたのか——なぜ「効かなかった」のかを、分解してみようと思っている。

これは、「ASDとADHDを併せ持つ2E児」という特性を持つ子どもだった僕の頭の中で起きていた、情報処理の話だ。


外から見えていた「症状」

外から見れば、僕はかなり扱いにくい子どもだった。

何度叱っても同じことをする。
怒られても、すぐには変わらない。
お仕置きをされても、根本的な行動が改まらない。
でも、ある日突然、自分で納得するとすっと変わる。

「叱っても効かない。でも納得すればすっと変わる」——大人はこれを頑固さの記述として聞く。

でも、これはひとつの脳の動作仕様を、外側から正確にスケッチした言葉だ。

圧力では書き換わらない。構造を渡されると書き換わる。

叱責は「危険の記録」になっても、「実行手順」にはならない

ここが、いちばん奥にある機構だ。

子どもの頃の僕にとって、叱られることはもちろん不快だった。
怖かったし、嫌だったし、まずいことをしたらしい、という感覚もあった。

でも、それだけでは、行動ルールが更新されなかった。

怒られた。お母さんが不機嫌になった。先生に注意された。周りの空気が悪くなった。
そこまでは入力される。

でも、そこから先の、

「なぜそれが問題なのか」
「誰に、どんな影響があったのか」
「次に同じ場面になったら、具体的に何をすればいいのか」
「どこまでが許されて、どこからがダメなのか」
「そのルールは、他の場面にも適用されるのか」

という部分が、自動で生成されない。

叱責は、僕の中では「これは危険な出来事だった」という記録にはなった。
でも、「次回からこう動けばいい」という実行手順にはならなかった。

ここが、叱ることが効く脳と、効かない脳の分岐点なんだと思う。

多くの子どもは、叱られた経験から、実行手順を自分で補完できる。「怒られた」から「じゃあ次はこうしよう」までを、暗黙のうちに繋いでしまう。

僕の脳は、残念ながらその補完を勝手にやってくれなかった。記録は残るのに、手順が生成されない。

だから、叱られても、行動を変えるための地図が手に入らなかった。

大人はよく、「分かっているなら、やめなさい」と言う。
でも僕の中では、「分かっている」にいくつもの段階があった。

怒られていることは分かる。
相手が不快そうなことも分かる。
自分が何かまずいことをしたらしいことも分かる。

でも、それはまだ「次から自分で止まれる」という意味の「分かる」ではない。

外から見れば、「分かっているのにやらない」。
内側では、「”危険だ”という記録はあるが、まだ実行手順になっていない」。

なぜ手順が生成されないのか──高IQ × ASD × ADHD

僕は、高いIQとASD+ADHDという組み合わせの特性を持っている。
叱責が実行手順に変換されない理由を深堀りしてみると、この三つの噛み合わせの中にあった。

高IQの部分は、理由や構造を理解する力として働く。
筋道が通れば分かる。自分なりにモデルを作れれば、納得できる。納得できれば、かなり速く行動を変えられる。

ASDの部分は、暗黙の文脈や場の意味を読むことを難しくする。
言葉そのものは分かっても、言葉の温度が分からない。校則は読めても、式典の象徴性は読めない。明文化されたルールは理解できても、そこに付随する社会的な注釈が抜け落ちる。

ADHDの部分は、分かっていても止まれないことを起こす。
先の結果を思い描く前に身体が動く。注意が別のものに持っていかれる。その場の衝動が、未来の危険を追い越してしまう。

この組み合わせから、二つの軸の故障が出てくる。

ひとつは、手順が補完されない軸
ASDの部分が、叱責に付随する「社会的な注釈」を読み落とす。「怒られた」の周りにある、なぜ・誰に・次はどう、という暗黙の情報が拾えない。だから記録だけが残って、手順にならない。

もうひとつは、手順があっても実行が間に合わない軸
ADHDの部分が、理解より先に身体を動かす。仮に正しい手順を持っていても、その場の衝動がそれを追い越す。

だから僕の中には、二つの厄介さが同居していた。

分かるまで動けないのに、分かる前に動いてしまう。

大人から見れば、「賢いはずなのに、どうしてこんなことが分からないの」となる。
でも実際には、頭のよさで処理できる領域と、特性によって抜け落ちる領域が、まったくもってチグハグだった。

勉強はできる。でも場の意味は読めない。
説明されれば理解できる。でもその場では止まれない。
後から反省はできる。でも次の瞬間に同じ構造を検出できるとは限らない。

抽象的な叱責は、実装可能な形式に変換されない

手順が補完されない軸を、もう少し深堀りしてみようと思う。

大人の言葉の多くは、僕の幼い脳にとっては情報量が少なすぎたようだ。

「ちゃんとしなさい」
「迷惑をかけないで」
「空気を読みなさい」
「普通はそんなことしない」

ちゃんと、とは何をすることなのか。
迷惑とは、誰の中で何が起きることなのか。
空気とは、どの手がかりから読むものなのか。
普通とは、どの範囲の人が共有しているルールなのか。

そこまで分解されないと、僕の中では実装できなかった。

僕の脳は、抽象的な指示のままでは行動を制御できない。
それを実行可能な手順に翻訳する工程が要る。
そして僕の脳は、その翻訳を自動でやってくれなかった。

叱責が効かなかったのは、叱責に含まれる抽象的な指示が未翻訳の状態で渡されていたからだったのだ。

「納得」とは、内部モデルの更新が完了すること

ある人が僕について言ったらしい、「自分なりに考えて納得すれば、すっと変わる」を、機構の側から訳すとこうなる。

ここでいう「納得」は、「自分の思い通りになった」という意味ではない。
わがままが認められたという意味でも、大人が折れてくれたという意味でもない。

僕にとっての納得とは、内部モデルの更新が完了することだった。

「この行動は、こういう理由で問題になるのか。」

「この場面では、こういうふうに見られるのか。」

「相手はこう感じるのか。」

「次はこうすればいいんだ。」

「これは自分の価値観とも矛盾しないし、
このルールは、こういう場面にも応用できる。」

そこまで繋がった瞬間、ようやく行動が変わる。

外から見ると、急に素直になったように見える。
でも僕の内側では、時間をかけてルールのインストールが完了した、単にそれだけだった。

どうやらこのタイプの脳は、権威に従うことでは動かない。
構造が見えると動く。

服従型ではなく、納得実装型。
これが、僕の動作仕様の正体、ということになるのだろう。
圧力では更新がかからず、構造を渡されると更新がかかる。

叱責が効かなかったのは、叱責が圧力であって構造ではなかったからだ。

この故障のコストは、外側で支払われていた

しかし、僕のこの「頑固」な脳のコストは、別の人間が支払っていたことを、大人になった今では理解できる。

親は、叱られたり注意を受けたりしてから、僕が納得する(この記事で言うところの「インストール完了」)までの間、恥ずかしい思いも、イライラも我慢しなければならなかったはずだ。

僕の内側に悪意がなかったとしても、外側で起きるトラブルは現実だった。
親は謝らなければならない。先生に頭を下げなければならない。周りの目に耐えなければならない。また同じことをするのではないかと、常に気を張っていなければならない。

僕の脳がインストールを完了するまでの遅延コストを、親が外側で肩代わりしていた。

このことについては、親に感謝してもしきれないと、今では思っている。

結び:効かなかったのは、手強かったからではない

叱責が効かなかいのは、その子が大人を舐めているからでも、意地を張っているからでもないことがある。

叱責という手段が、その脳には、行動を変える形式で届いていないのかもしれない。

「怒られた」「ヤバい」「マズい」「危険だ」という記録は残る。
でも、そこから「次にどう動くか」が自動生成されない。
抽象的な指示は、実行可能な手順に翻訳されないまま積み上がる。
そして圧力では、この脳の内部モデルは更新されない。

これは、叱る側と叱られる側、どちらが正しいという話ではなく、ただ、手段と処理系が噛み合っていなかった、というだけの話だ。

もしあなた自身が、子どもの頃に「何度言っても分からない子」だったなら、ひとつだけ、思い出してみてほしい。

あのとき本当に、分かっていてやらなかったのか。
それとも、記録は受け取っていたのに、そこから先の手順が、まだ自分の中で生成されていなかっただけなのか。

その違いは、外からは見えない。
だから、頑固、で片付けられてきた。

でも内側では、たぶん、ずっと別のことが起きていたのではないか。


この「ややこしい」システムを、もう少し知りたい人へ

ここまで読んで、自分の中の何かが少し動いた人へ。
同じ「記録は残るのに手順にならない」脳の話を、別の時間軸・別の角度から書いた記事を紹介します。

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