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恋愛小説「今度、虹を見たら」第十四話〜大晦日の奇跡〜


🌈前回のストーリー(第十三話)はこちら▼


【第十四話】

「レイからは、その後連絡ないの?」

スクリュードライバーを飲みながら、ナツコが言った。 わたしはこくりと頷く。

ナツコはもうすぐ、同級生のタクヤと結婚する。

「結婚したら、あんまり飲みに行けなくなるから」

というナツコに誘われて、いつものカクテルバーに来ていた。

「タクヤはレイの連絡先知ってるみたいだけどさ。『あいつ未だに携帯持ってないから、連絡とるの大変なんだよ』って言ってた。まぁ、それもレイらしいけどね」

ナツコが可笑しそうに笑う。

レイが東京に戻って、一年以上が経っていた。

最後のドライブの夜、わたしが静かに確信した悲しい予感の答え合わせをするように、レイから連絡が来ることはなかった。

「あたしはさ、サラに幸せになってもらいたいだけなんだけど」

急にナツコが真顔になる。

「女としての幸せを望むなら、相手はレイじゃないと思う」

「……うん。わかってる」

そう言って、モヒートをひと口飲んだ。
溶けた氷のせいで、味が少し薄くなっている。

グラスの底に沈んだライムの緑に、ずっと以前にレイとこの店で飲んだ、コロナビールの光景が重なった。

『女の幸せ』って、なんだろう。

好きな人に愛されて、
その人と結婚して家庭を持つ。
子どもが生まれて、ゆっくり家族になっていく。

そんな人生はすごく素敵だなと思う。

大げさな幸せなんていらない。
穏やかな日々の中で、小さな幸せを重ねていくこと。

わたしにもそんな家庭が作れたら、
どんなにいいだろう。

でも、レイとわたしは、
きっとそんな風にはなれない。

それは、ずっと前から自分がいちばんよく分かっていたことだった。 だからナツコの言葉も、痛いくらいに胸に刺さる。

「もちろん、決めるのはサラだけどね。
でもあたしはずっと、あんたの味方だから」

そう言って、ナツコは自分のグラスをわたしのグラスにカチンとぶつけた。


それから、長い月日が流れた。

レイからの連絡もなく、街でバッタリ会うこともないまま、時だけが過ぎていった。

わたしは職場で知り合ったひとつ年上の男性と、二年の交際を経て結婚した。 同じ学習塾で営業をしている人だった。

目立つタイプではないけれど、彼の穏やかで誠実な人柄は、まるで春の陽だまりの中にいるような温もりをわたしに与えてくれた。

派手ではないけれど、穏やかで満たされた結婚生活。

子どもにも恵まれ、休みの日は家族で出かけたり、近所の公園を散歩したりする。
不満なんて何一つない、ありふれて愛おしい日常。

これが『女の幸せ』なんだろうな。
わたしはそう思っていた。


時々、レイの夢を見ることがあった。

夢の中のわたしは、いつも必死にレイの元へ行こうともがいていた。

遠くでわたしを呼んでいるレイにどうしても近づけなかったり、約束した待ち合わせ場所にいつまでもたどり着けなかったり。

目覚めた時に残るのは、
切なさと、隣で眠る夫への小さな罪悪感。

「浮気したわけじゃないんだから」
と苦笑いするけれど、自分の心の中に今もレイが存在していることに気づいて、情けない気持ちになるのだった。


そんな平和な日常に影が差し始めたのは、
結婚して五年ほど経った頃だった。

二人目の出産を機に、勤めていた塾を退職し育児に専念していた頃、いつも決まった時間に帰宅していた夫の帰りが遅くなった。

「残業が増えた」という夫の言葉を、
わたしは何の疑いも無く信じていた。

ある日、夫のカバンの中に、綺麗なうすいピンク色の封筒が入っているのを見つけるまではーー


封筒の裏には、塾の若い受付女性の名前。
切手は貼られていない。

いけないと知りつつ恐る恐る中を開けると、
静かに顔から血の気が引いていった。

……まさか、あの人が。

怒りよりも、悲しみの方が大きかった。

夫を問い詰めることもできたはずなのに、
わたしにはそれができなかった。

シンゴやレイとは作れなかった
「穏やかな家族」という自分の居場所を、
失うことが怖かったのだ。

ひとりきりに戻されたくない。

居場所を失うくらいなら、自分が我慢すればいい。

わたしは気づかないふりをして、夫に嫌われないよう振る舞うことで、必死に家族を守ろうとした。

表面的には平穏な日常が続いていたけれど、
わたしの心はゆっくりと、確実にすり減っていった。



――結婚して十年ほどが過ぎた、ある年の大晦日。

わたしはお正月用の花を買いに、
ナツコの花屋を訪れた。

店内には、仕事を終えて帰宅していた夫のタクヤもいた。

「よぅ、サラ。久しぶりじゃん」

「久しぶり。結婚式以来だね」

「そんなに会ってなかったか。まぁナツコとは時々会ってるんだろ?」

「そうね。でもお互い忙しいから、昔みたいにしょちゅうは会えてないな」

そんな他愛もない話をしていると、
タクヤの携帯が鳴った。


「はいはい。おー、久しぶり」


タクヤが電話に出ると、ナツコが店の奥から花を持って出てきた。

「中学の同級生で帰省してる連中と、これから飲みに行くんだってさ。年末の忙しい時に、男どもは気楽でいいよね」

とナツコが皮肉っぽく笑う。

すると突然、タクヤがこちらを見ながら電話口に向かって言った。

「今、サラもここにいるんだ。話す?」

ほんの少しの静寂のあと、タクヤが頷く。

「わかった、伝えとく。じゃあ後でな」

電話を切ったタクヤに、ナツコが尋ねる。

「誰だったの?」

「レイだよ。今電車乗ってて、もうすぐ駅に着くらしい。『サラさんによろしく』って」

ドクン、と心臓が跳ねた。

「え……でもレイ、携帯持ってないんじゃ」

「あー、職場で無理やり持たされたらしいよ。
本人は嫌がってたけどな。
明日すぐ帰るから、今日の飲み会も少ししか顔出せないらしいわ」

心臓の鼓動が、痛いくらいだった。

もう二度と
繋がることはないと思っていたのにーー

夫のいる身で、レイと連絡を取りたいなんて思ってはいけないかもしれない。

でも、これを逃したら、
本当に二度と繋がれなくなってしまう――。

「……タクヤ、お願いがあるの」

わたしは小さなメモ用紙をナツコから借りると、自分のメールアドレスを書いてタクヤに差し出した。

「レイに、連絡くれるように伝えてほしい」

タクヤは一瞬驚いた顔をしたが、
メモを受け取ると小さく頷いた。

「わかった。ちゃんと渡すよ」

そう言ってメモをポケットに入れかけると、
思い出したようにタクヤが言った。

「そういえばレイ、サラが結婚するって聞いたとき、なんて言ったか知ってる?」

「……知らない。え、なんて言ったの?」

タクヤが少し苦笑いを浮かべながら言った。

「『オレにおめでとうって言えとでも言うのか?』ってさ」

息が止まりそうだった。

「お前らって、昔からなんかよく分かんねぇよな」

タクヤはそう呟くと、

「じゃ、ちゃんと渡すから心配すんな。ナツコ、そういう訳で今日は遅くなる!サラ、良いお年を!」

と言って店を出て行った。

「もう、結局遅くなるんじゃない! ホントに男ってやつは……」

呆れた顔でそう言うと、ナツコがそっとわたしを見た。

「サラ、よかったじゃん」

「……良かったのかな」

こんなことをしたわたしを、ナツコは軽蔑するのではないか。

不安げな顔をしているわたしに、ナツコは優しく微笑んだ。

「うん、良かった。
あたしはそういうサラ、嫌いじゃないよ」

その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。

「さて、もう店閉めちゃうね。サラ、コーヒー飲んでいくでしょ? クッキー焼いたんだ」

エプロンを外しながら奥へ向かうナツコの背中を見つめながら、わたしはふぅ、と息を吐いた。

年末の冷たい空気の中で、凍りついていた心が
ゆっくりとあたたかさを取り戻していくのが分かった。


つづく。




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