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正義も悪もないこの時代。

昨日のブログでは、一昨日のブログの中でふと
Mr.Childrenの『マシンガンをぶっ放せ』という曲の
歌詞を思い出してからこの歌を聴いていた、
のことを申しあげました。今、また
この曲を聴きながらさらに思うのは、
やはり、歌の歌詞が過激だなあ! って。
この曲のリリース当時ぼくは中学3年生で、
中学生の自分自身が聴くには、過激な歌詞が
あまりにも刺激的で、だからこそ、
ぼくはこの曲からミスチルの音楽を
本格的に好きになっていったような記憶もある。

たとえば、昨日申しました
【そして僕にコンドームをくれ】
の箇所だけでなくって、
【核実験】【死の存在】【不条理】【都合のいい道徳】
【残念ですが僕が生きている事に意味はない】
【殺人鬼も聖者も凡人も共存してくしかない】
【毒蜘蛛も犬も乳飲み子も共存すべきだよと言って】
【宗教も化学もUFOも信じれるから悲惨で】
【どうせ逆らえぬ人を殴った 天使の様な素振りで】
【憎めよ生まれてきた悲劇を
 飼い慣らされちまった本能を】
【天に唾を吐きかけるような行き場のない怒り】
などなどなどなど、挙げてみるとすると
枚挙にいとまがない、というか、むしろ
歌詞全てが過激で刺激的だとも思われる。
そして、それらの歌詞のことばが
文字の字面で見るだけでなく、
歌として聴くと、及び、ぼく自身でも歌ってみると
より過激さを感じられる気がしている。

そして、その歌詞の中で、今
つよく印象に残るように思えたのが、、

見えない敵にマシンガンをぶっ放せ Sister and Brother
正義も悪もないこの時代を行進していく兵士です

マシンガンをぶっ放せ/Mr.Children

‥‥というサビの場面でのことばです。

【正義も悪もないこの時代を】
という歌を聴きながら、
「正義」とは何か? 及び
「悪」とは何か? って、
考えようとしていた。しかし、ぼくには
やはりうまいこと考えられないけれども。

「正義」とは、いわゆる
良いものとして言われると存じますが、
ぼく自身ははっきりそうとも思われない。
つまりは、たとえば、
戦争とは正義から始まる、
と言われることもあるとも思うし、つまり
「悪」をやっつけるのであれば
「正義」として何をしても良い、
とは言い切ることはできないと思っている。

親鸞聖人が言われていたとされる
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
(善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる)」
つまり、「悪人正機」という考え方について
ぼく自身はきちんとしたことは語れないが。
でも、なんだか、たとえば
悪は悪であり、正義は正義である、
という単純的な区別よりも、もっともっと
複雑であり、かつ、ごちゃごちゃしているのが
人間の正義及び悪なのだと思える。

もしくは、
「正しい」ということだっても、
いったい、何が正しいか?
というのも言い切れない。

「正しい」ことは大切なのだとしても、
自分自身が正しいと思えば、
その正しさを疑えず、ときに
どんどん突き進んで行ってしまう、
ということもある気もする。

Mr.Childrenの『マシンガンをぶっ放せ』で歌われる
【正義も悪もないこの時代を行進していく兵士です】
という歌詞において、
【正義】も【悪】もない時代、
と歌われながら、さらに、その時代において
【行進していく兵士】と表現されているのも、
恐ろしさを感じられる由縁だとも思われる。
つまり、行進するということは
たくさんの人が居て、全員が
行動を合わせるということであるから。

この行進とは、誰によって
命令されたのか? それとも、全員が
個人の自由意志によって行なっているのか?
はたまた、その兵士たちの行進は
どこまで進んでゆくんだろうか????
と考えると、なおのこと
こわくも思えてくるけれども。

ならば、ぼくは、ぼくなりに
正しさと悪さを携えながら、
疑いながら、信じながら、矛盾しながら、
行きつ戻りつしてゆけたいわ。

救いの唄は聞こえちゃこないかどうか?!

令和8年7月26日