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医師向けの自己啓発本が必要である

イギリスのサミュエル・スマイルズという人が、1858年に「自助論」という本を出版しました。

日本から英国に留学していた幕臣の中村正直が、これを読んでいたく感動しました。

そして、日本に帰ってから日本語に翻訳して
「西国立志編」というタイトルで出版しました。

明治4(1871)年のことでした。

この西国立志編は、
福沢諭吉の「学問のすすめ」と並んで
明治の青年たちによって広く読まれました。

100万部ほど売れたと言われています。

「天は自ら助くる者を助く」
という独立自尊のスローガンが、
明治の青年たちを奮い立たせました。

竹内均さんの口語訳の文庫本を読んでみました。

外国人のオンパレードでした。 

中には、全く知らない人の名前も
たくさんありました。

高校の教科の世界史とか倫理社会
に出てくる人の名前が並んでいたので、
私にはなんとか読めました。

明治時代の日本の若者には、
こうした知識はゼロのはずで、よく読めたもんだと感心しました。

この自助論の中で、何人かの医師が登場します。 

代表的なのは、
ウイリアム・ハーベー
エドワード・ジェンナー

です。

医学の歴史に詳しい人は、ご存じだと思います。

ハーベーは、 
血液が体内を循環している
という事実を最初に発見した人です。

血液が体内を循環しているという説を
公表するまでに8年以上も研究を続けていたのです。 

慎重に実験を繰り返して、
自らの発見の正しさを確かめました。

しかし、公表後に待ち受けていたものは、
嘲笑の声だけでした。

ハーべーの学説は、
気の違ったペテン師のたわごと
と片付けられました。 

尊敬すべき医学の権威に疑問を投げかけた
不埒な人物とみなされ、
その説は、
聖書の威信を破壊し、
道徳と宗教の根底をくつがえすもの
だとまでこきおろされました。

ハーベーは、
医者の仕事も思うにまかせなくなりました。

友人たちも、
そのほとんどは彼のもとを去って行きました。

その後、数年を経て、思慮分別のある人の間に、
ハーベーの学説は徐々に受け入れられていきます。

ハーベーの説が、
医学界で認められるのは25年かかりました。

ジェンナーは、
天然痘の予防法(種痘法)を発見し、それを世間に広めようとした人です。

当時は、すでに牛痘の存在が知られており、
ジェンナーが生まれた地方では、牛の乳搾りの女たちの間で、
牛痘に罹ったら天然痘に罹らないという噂がありました。

ジェンナーは20年間、この噂をもとに、
天然痘予防の研究を続けました。

彼は自分の正しさを信じていたので、
息子にもワクチンの接種を試みています。

ジェンナーは、
23人に接種して天然痘の予防に成功したことをまとめて、
1798年に発表しました。

ロンドンに出て行ったジェンナーは、医学界から総スカンを食らいました。

ジェンナーの意図は歪曲されて世間に伝わり、
誹謗と中傷にさらされました。

種痘を受けた子どもは牛のような顔になり、
角が生え、牛の鳴き声そっくりになる
と噂されました。

勇気をもって種痘を受けた村人が、石を投げつけられたりしました。

こうした中で、
二人の身分ある女性が、自分の子どもたちに種痘を受けさせました。

貴族階級のこうした行為が、当時の偏見を打破する糸口となりました。

ジェンナーの種痘は、やがて世界に広がりました。

ジェンナーは、
成功の頂点に達した後も、無名時代の謙虚さを失いませんでした。

「ロンドンに行って開業すれば、年収1万ポンドは固い」
と勧められましたが、
断って地元での医師を続けています。

この二人のイギリス人医師が登場する項目は、「信念は力なり」
です。

明治の若者のように、
現在の医学生にも伝わるといい話だと思っています。

「信念は力なり」のスピリットで、 
地域医療を支えてもらいたいと思います。

スマイルズの自助論は、「自己啓発本」に分類されるでしょう。

今、本屋では、自己啓発本があふれています。

ビジネス書には、自己啓発本がたくさんあり、
本屋で一番いい場所にあります。

こうした自己啓発本が売れる国は、アメリカと日本だそうです。

医師である作家さんが、ビジネス書を書いてますね。

医師向けの自己啓発本も、必要だと思いました。

アメリカでは、ウイリアム・オスラーというカナダ人医師の
「平静の心」
という本が古くから医学生に読まれております。

聖路加病院の院長をされていた
日野原重明先生が、翻訳して出版しています。

noteでは、
シーバンさんの記事が面白いです。

出版されたビジネス本を要約し、その主張に沿って
キャリアアップやスキル習得の方法など、
今後の医師の働き方のあり方を解説しており、
お見事と言うほどハマっています。


私も直木賞を狙う作品と並行して、医師向けの自己啓発本
を準備しようと思いました。

私が学んだ産業医大では、
医学概論が1年から6年まで必修科目でした。

初代学長だった土屋健三郎先生が、
そういうカリキュラムを設定したのです。

学生だったときは、
医療倫理やバイオエシックスに
興味を持てず、時間の無駄だと感じていました。

卒業して30年以上経ったいま、
医学概論で学んだことが、
役に立っていると感じています。

すぐに役立つコスパのいい本は、
すぐに役立たなくなります。

土屋先生がよく口にされていた
哲学する医師は、ヒポクラテスの教えであり、
感謝されない医師は、
ドイツの衛生学の創始者である
ペッテンコーフェルの言葉
だと知ったのは最近のことです。

産業医大に、産業医学の父のラマツィーニ像を作ったのも土屋先生でした。

本国イタリアにもない全身像で、医師である駐日イタリア大使が、
北九州市にある産業医大に視察に来ました。

ラマツィーニ像

私が環境庁に勤務していたときに、入院中の土屋先生は、
無理をおして環境庁の会議に出席して、
容態が悪化してそのまま帰らぬ人となりました。

私は事務局として、資料の説明をしました。

出席された土屋先生のお顔が、
文字通りに土色だったのをよく覚えています。

土屋先生のお墓は、宮崎県出身の若山牧水と同じお寺にあると聞きました。

いつかお墓まいりに行き、
医学生時代の私はアホでしたと反省するとともに、
公衆衛生を広めることを誓いたい

です。

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