ウィルヒョウは「医学は社会科学であり、政治とは大規模な医学にほかならない」と言った
発疹チフスは、軍隊と難民によくみられ、社会性を帯びた疾患だとされています。いわば健康の社会的要因(SDH)の代表例です。
ドイツの病理学者ウィルヒョウが、政府の依頼を受け、シレジア地方で猛威を振るっていた発疹チフスの調査に赴きました。
調査の結論は、発疹チフスの蔓延が単なる生物学的な現象ではなく、劣悪な生活環境、貧困、教育の欠如であり、政治的な放置によって引き起こされているというものでした。
この調査を経て、ウイルヒョウは医学と政治の密接な関係を説く有名な格言を残しています。
医学は社会科学であり、政治とは大規模な医学にほかならない。
ウイルヒョウの発疹チフス調査は、健康は基本的人権であり、国家の責任であるとする現代の公衆衛生の基礎を築いた歴史的変換点と言われています。
ウィルヒョウは、後に国会議員となり、ドイツの帝国議会で鉄血宰相といわれたビスマルクと対峙しています。
私が北九州市で予備校に通っていたときに、ウィルヒョウの格言を産業医大の文化祭「医生祭」のパンフレットで見たことがあります。
聖路加国際病院の日野原重明先生の講演の案内文の中にありました。
その後、私が産業医大を受験して、卒業後に厚生労働省の医系技官の道を歩んだのは、ウィルヒョウの格言も影響しています。

発疹チフスは、歴史的に、軍の悪性熱、軍隊熱、囚人熱、兵舎熱、艦隊熱、戦争熱、野営地熱など、様々な名前が付けられました。
最大の感染だとされているのが、一八一二年のナポレオンのロシア遠征です。
発疹チフスは長年にわたってポーランドとロシアの地方病として存在していました。
このとき以前に、フランス軍が発疹チフスに遭遇したという証拠はなく、フランス軍が伝染病の大流行を経験したことはありませんでした。
モスクワから撤退してきた兵士たちが野営したベッドは、シラミがうようよいました。
兵士たちは、寒さのために体を寄せあいます。
一方、将校には発疹チフスの患者が少なかったのです。
理由は、将校は一人で寝たからだと言われています。
ラリー男爵が指揮するフランス軍の医学衛生部隊は、世界最高水準でしたが、発疹チフスに対処することは不可能でした。
水不足と不十分な着替えが身体を清潔に保つことを不可能にしたのです。

シラミが発疹チフスを媒介することを発見したのは、フランスの微生物学者シャルル・ニコル(一八六六~一九三六)です。
チュニスのパスツール研究所の所長でした。
一九二八年に、ノーベル生理学・医学賞を受賞します。
発疹チフスは「リケッチア」といわれる微生物が原因ですが、その名前の由来は、二人の研究者からきています。
米国のリケッツは、一九一〇年にロッキー山赤斑熱を起こす生物を特定しますが、研究中に感染して死亡しました。
リケッツは研究の大部分をモンタナ西部の開拓地のビタールート谷の病院の敷地内に張ったテントの中で行いました。
三九歳でした。
ハンブルクの熱帯病研究所のオーストリア人の研究者プロヴァツェックは、一九一五年にロシア軍の捕虜兵の流行を調査中に死亡しました。
四十歳でした。
ブラジルのリオデジャネイロ出身のリマは、一九一六年に原因微生物を分離します。
そして、死亡した二人の研究者の名前を取って、リケッチア・プロヴァツェックと命名しました。
そのため、今でもリケッチアと呼ばれているのです。
長すぎるので、プロヴァツェックは省略されています。

発疹チフスは、欧州の戦争ではかつては大きな役割を果たしましたが、DDTによるシラミの駆除とテトラサイクリン系の抗生物質による治療で、克服されて過去の疾患となりました。
ドイツでは、一九四三~一九四五年のベルゲン・ベルモンの強制収容所で、六〇%の致死率を示しています。
日本では、昭和二一年二月から発疹チフスが大流行しました。
戦災で風呂に入ることが少なくなったこともあって、シラミが多くなったことが背景にありました。
直接的な原因は、朝鮮半島から北海道の夕張炭鉱などに労務者として働いた中で、地域的な流行がありました。
終戦で開放されたので、朝鮮人たちは急いで帰国しようとします。
途中に東京や大阪に泊まったことで拡散しました。
GHQは、発疹チフス流行の報道を禁止しました。米国本国に知られないようにするためでした。
日本では、衣類を熱湯で煮てシラミを殺すことしか対策がありませんでした。
GHQは、DDTを使うように指示し、大量のDDTと散布する機器が米国から支給されました。
この費用は、後に米国から支払い請求があり、大蔵省がまとめて支払っています。

DDTは一八七四年にスイスのガイキー社で既に合成されていましが、一九三九年にスイスのミュラーにより殺虫作用があることが発見されます。
第二次世界大戦中にシラミ対策で使用されましたが、軍事秘密扱いとなっていました。
一九四三年には、米軍への供給量はガイキー社の製造量の六〇%にもなり、ビジネスを拡大したのです。
現在はスイスの世界的な製薬会社ノバルティスとなっています。
ミュラーは一九四八年にノーベル賞を受賞しています。
発疹チフスを勉強するとSDHを理解することができますが、ここまで医学部の講義で踏み込むことはないでしょう。
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