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東村アキコさんは、宮崎中央郵便局から発送された原稿を見て「あまりにも下手すぎで雑誌に掲載できるレベルにない」と編集者から告げられた

本屋が好きです。

しかし、地域からどんどん「街の本屋」がなくなっていっているようです。

宮崎に帰ってきて、宮崎市の一番街にあった田中書店がなくなっていたことはショックでした。

東村アキコさんの漫画「かくかくしかじか」では、一番街の田中書店で本を買うシーンが出てきます。

一番街のミスタードーナッツのシーンもあります。

一番街のミスドは今も健在ですが、田中書店が消えたことは、私の心の傷となっております。

それでも、宮崎駅の近くに大型店が二つあるので、休日はどちらかに必ず行っております。

そこで、出会った本を紹介します。

タイトルは「ボツ 少年ジャンプ伝説の編集長の”嫌われる仕事術”」(小学館集英社プロダクション)です。

筆者は、Dr.マシリトこと鳥嶋和彦さんです。

伝説の少年ジャンプ編集長で、最大の功績は「ドクタースランプ」「ドラゴンボール」の鳥山明さんを見いだしたことです。

鳥山さんは23歳のときに「ワンダー・アイランド」という作品でデビューしました。

ジャンプの編集者の鳥嶋さんは25歳。

鳥山さんに、「ダントツで人気なかった。はっきりいってドベ!」と宣告します。

次回作の「ドクタースランプ」を生み出すまで、500枚の原稿をボツにしました。

多くの漫画家から、トリシマではなく逆読みで「マシリト」と呼ばれ、後に鬼の編集長と恐れられた人です。

私も、ドクタースランプを読んでいたときに、やたらとDr.マシリトというキャラがジャンプに登場するので、覚えておりました。

鳥山さんは、500枚をボツにされた1年間のことを、「なかなか勉強になっておもしろかった。わしはめげないのである。」と書いています。

漫画家を痛めつける編集長かと思いきや、全く違っており、予断はよくないなと改めて思いました。

才能の無い漫画家に対しては、漫画家になるのはあきらめて他の職につくように、と鬼のように言い渡しました。

まだ若いので漫画家になるよりは、他の職業に就いたほうがいいと、本人のために優しく言ったのが真相のようです。

鳥嶋さんは、集英社に入社するまで漫画をほとんど読んだことがありませんでした。

週刊少年ジャンプについては、編集部に配属されるまでその存在すら知らなかった。

鳥嶋さんは、ジャンプ編集部の方針に疑問を持ちました。

ジャンプの漫画も大嫌い。

編集部の雰囲気も好きじゃない。

そこで、小学館の資料室によくでかけていました。

「ジャンプ以外の漫画に触れられたのは、大きかった」と鳥嶋さんは言っています。

少年チャンピオンで「マカロニほうれんそう」で大ヒットを飛ばした鴨川つばめさん、や少年マガジンで大ヒットとなる「飛んだカップル」の柳沢きみおさんを外に追いやってしまって、ジャンプにはつまらない連載だけが残っているんですね。

これを上司に言ったとのこと!

鳥嶋さんは、漫画家が表舞台から消えていって、生活が成り立たなくなる様子をたくさん見てきました。

編集部の都合で漫画家が消えていくのです。

作家やクリエイターを幸せにできなかったら、結果的に会社は儲からない。

雑誌ではなく、漫画を買って読んでくれる読者と漫画をつくってくれる作家が大事だと常に考えており、上司とは衝突しました。

少年ジャンプは、発行部数史上最高の653万部を売り上げを記録しました。

編集部では、販売部数を伸ばすことに必死になっておりました。

鳥嶋さんは、「雑誌の部数のために、すべてのマネジメントを間違えた、スタッフも作品も作家も犠牲にした」と言っています。

上司からはにらまれた鳥嶋さんは、週刊ジャンプの編集部を離れて、Vジャンプの創刊の部署に異動となりました。

週刊ジャンプの編集長になったのは、鳥嶋さんの3期下の後輩です。

しかし、ジャンプの販売部数は次第に減少していきます。

ドラゴンボールの連載が終わってからは、その流れは徹底的でした。

読むべき漫画がなくなった雑誌からは、次第に読者が離れていきます。

このような時期に鳥嶋さんは、ジャンプの編集長として呼び戻されました。

断り続けたのですが、辞令が出てしまいました。

こうして古巣に戻って、週刊ジャンプの編集長に就任して感じたのは、掲載されている漫画が古くなっていて、パチンコ屋の新装開店みたいな状態になっていました。

読者が新しいと感じるものは提供されていませんでした。

売り上げが落ちていった理由と対策を考えたときに、初代の週刊ジャンプ編集長の方針に立ち戻ることにして、すでに連載が決まって準備していた企画を全部捨てました。

ちなみに、初代編集長の方針は次のとおりです。

①新人主義:新人は感性が新しい。しかも原稿料は安い。しかし実力は未熟。 

②二人三脚主義:そのため新人の作品を読者に読んでもらうようにするには、編集者と二人三脚で作り上げる必要がある。

③アンケート主義:読者の声を一番に置く。読者のアンケート結果で連載継続を決定する。


鳥嶋さんの指摘は手厳しいです。

今までは、編集者が作家気質で、作家になりたいと思っている者がいた。

作家になりたいと思っている編集者は全部ニセモノである。

漫画家を使って作家もどきのことをやる編集者ではなく、いろんな才能を世の中に出す編集者となれ。

編集とか出版社は偉くない。

誰がお金を持っているのか。

誰がお金を払っているのか。

お金を払ってくれる読者が一番大事。

寝ないで仕事しているのは漫画家である。

担当編集者が、こうした漫画家の生活を守らなくてはいけない。

鳥嶋さんは、漫画家に収入がはいるようなことを常に考えていました。

今では普通となった「コンテンツ・ビジネス」もしかけています。

ドクタースランプアラレちゃんのときは、アニメやさまざまなグッズも、原作者である鳥山明さんにはコンテンツ料は発生しませんでした。

その苦い経験を踏まえて、ドラゴンボールのときには、コンテンツ料が原作者に入るように制度を整えました。

さらに、ドラゴンクエストの制作は、直接、鳥山明さんに発注して、コンテンツ料の中抜きをさせませんでした。

出版社の仕事は、ざっくりいえば、原作者がつくったコンテンツ(原稿)を雑誌や本に加工して、読者に販売することです。

典型的な中抜き会社です。

雑誌の販売部数を増やしても、雑誌自体の価格は安いので、ほとんど利益はありません。

むしろ雑誌に掲載したコンテンツ(原稿)をまとめたコミックをつくって販売することで、作家には印税が生まれて潤います。

また、読者もまとめて読み通すことができるので、喜びます。

鳥嶋さんの目的はただ二つ。

才能のある漫画家をみつけること。

読者を喜ばせること。

中抜き会社の小説家気取りの自分が偉いと思っている編集者の集まるジャンプ編集部が嫌いで嫌いでしょうがなかった。

こうした気概のある人が編集長に返り咲いたことで、会社は発展しました。

かくかくしかじかの東村アキコさんは、集英社の梅岡さんという編集者に見いだされました。

漫画では「U岡さん」、映画では「岡さん」という名前で登場します。

宮崎中央郵便局から発送された原稿を見て、「あまりにも下手すぎるので、雑誌には掲載できるレベルにない」と電話で告げられました。

東村アキコさんは、何度もボツにされながら、めげずに原稿を書き上げ、ついに雑誌に掲載されました。

編集者が、東京から遠く離れた宮崎に住む東村アキコさんの才能を見いだしたことで、運命が変わりました。

漫画の編集者にも、いろいろな人がいるのだと感じました。

Dr.マシリトさんやU岡さんのような編集者がいて、よかったと思いました。

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