宮崎西校の先輩は、ゴルバチョフ大統領とエリザベス女王に会い、9.11テロ事件にも遭遇して、健康の社会的決定要因(SDH)」の重要性を痛感した
本講演は、順天堂大学大学院医学研究科医学教育学部教授である武田裕子先生が、自身のキャリア形成と医学教育・地域医療・国際保健の実践に関する経験と知見を語ったものです。
講演では、宮崎県立宮崎西高等学校での原体験から、筑波大学、ボストン、琉球大学、東京大学、三重大学、英国での研鑽を経て、現在の大学で医学教育を牽引するまでの歩みが詳細に述べられました。
特に、米国での研修中に遭遇した9.11テロ事件や、その後のアフガニスタン復興支援への参加経験を通して、平和や安全、収入、教育といった「健康の社会的決定要因(SDH)」の重要性を痛感したことが語られました。
講演の中心テーマは「健康格差」であり、ロンドンの地下鉄沿線で見られる寿命の差や、タイの過疎地域での実践例(貧困村の生計改善、生態系を活用したデング熱対策など)を挙げながら、健康が個人の自己責任だけでなく、社会経済的な状況によって大きく左右される不公平な現実を解説されました。
医療者が診断・治療に留まらず、患者の背景にある社会的問題に目を向け、解決に働きかける「ヘルス・アドボケート」としての役割を担うべきだと説いておられました。
さらに、日本でもSDHの概念が医学教育に導入され、弁護士との連携(メディカル・リーガル・パートナーシップ)が始まるなど、具体的な動きを紹介されています。
最後に、外国人、聴覚障害者、LGBTQ+など、困難を声に出せない人々への配慮の重要性を強調し、「やさしい日本語」の普及や多言語ツールの活用、差別をしない意思表示など、誰もが安心して医療を受けられる環境づくりの必要性を訴えかけられました。

1. 講師のキャリア形成と国際的事件との関わり
筑波大学卒業後、大学院進学を経て臨床研修を開始。
呼吸器内科専門医資格取得後、紀伊國健三先生の勧めでボストン(ベス・イスラエル病院/ハーバード関連)へ渡り、プライマリーケアを学ぶ。
その後、琉球大学、東京大学(国際保健)、三重大学(地域医療)を経て、英国(キングス・カレッジ・ロンドン)で修士号を取得。
米英の医療・医学教育を比較検討した後、2014年から現在の大学で教員として医学教育を担う。
初期体験と恩師の影響: 宮崎西高時代に主体的な学習姿勢を培う。
紀伊國健三先生の授業がプライマリーケアを志すきっかけとなり、約35年にわたり指導を受けた。
9.11テロ事件との遭遇: 琉球大学在職中、海外研修で訪れたニューヨークで9.11テロに遭遇。
マンハッタンから脱出し難を逃れる。
この事件は沖縄に「次は基地が標的になる」との風評被害をもたらし、観光経済に大打撃を与えた。
アフガニスタン復興支援への参加:
9.11後のアフガニスタン紛争時、幼い子が戦闘機の轟音に怯える経験をし、紛争を身近に感じる。
東大異動後、国際協力部門の一員として復興支援のためカブールへ渡航。
平均寿命40代、乳幼児死亡率が4人に1人という劣悪な健康指標や、女性が教育や就労の機会を奪われ物乞いせざるを得ない厳しい現実を目の当たりにする。

2. 健康格差と健康の社会的決定要因(SDH)
健康格差の定義: 単なる健康数値のばらつきではなく、本来避けられるはずの健康上の差が、社会経済的な状況によって不公平・不公正に生じている状態を指す。
健康の社会的決定要因(SDH):
WHOが提唱する概念で、生まれた場所、経済状況、教育、労働環境など、個人の健康に影響する社会的背景のこと。
個人の努力や自己責任だけでは解決できない構造的問題であり、SDGsの17項目全てがSDHに関わるとされる。
所得格差と健康・社会問題: 先進国ではGDPの高さより国内の所得格差の大きさが、寿命、肥満、薬物依存、犯罪率などの社会問題と強く相関する。
所得格差の大きい米国は問題が多く、かつて日本は格差が少なく優等生だった。
ロンドンの寿命格差:
英国留学中、ロンドンの地下鉄ジュビリーライン沿線で、都心(ウェストミンスター、平均余命約80歳)から東へ一駅進むごとに寿命が1年短くなるという衝撃的な事実を学ぶ。
これは貧困、治安、言語の壁などが健康に影響する典型例である。
WHOによる健康の定義: 健康とは「身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態」であり、特に「社会的に良好な状態」の重要性が見過ごされがち。
平和、安全な水、収入、仕事(生きがい)などが健康の前提条件となる。

3. プライマリーケアと地域医療・国際保健の実践
国際保健と地域医療の共通原則:
どちらも
①地域のニーズを中心に考える、
②持続可能な仕組みを作る、
③住民の主体性を尊重する、
という原則が共通する。
医療者が一方的に技術を提供するのではなく、住民と共に健康な社会を築く姿勢が重要。
タイでの地域医療実践例(スーパーカップル医師):
背景: 過疎地域で殺到する患者に対応するうち、不定愁訴や軽症患者が外来の4分の3を占めることが判明。
介入① 保健センター強化:
非医師の医療スタッフを訓練し、病院への不要な受診を抑制。伝統薬草の活用などセルフケアも推進。
介入② 貧困へのアプローチ:
医療費未払いの背景にダム建設による移住と貧困があることを突き止め、生計改善支援を開始。家庭菜園、竹製品作り、家畜銀行(牛・豚)、植樹(バナナを伴植して苗を保護)などを住民と共に実践し、現金収入と自給自足の基盤を構築。
介入③ 感染症対策:
病院敷地内にビオトープを作り、ボウフラを食べる魚(カダヤシ)を導入。殺虫剤を使わずにデング熱の発生を劇的に抑制した。
沖縄での地域医療実践例(波照間島): 診療所での診察に加え、畑仕事中の住民への声かけ、民家での転倒リスク評価、保健師と連携した検診設計、ドクターヘリの活用など、地域の生活に溶け込みながら住民と共に健康課題に取り組んだ。

4. 医療者の役割拡張と社会的処方
ヘルス・アドボケートとしての役割:
CanMEDS(カナダの医師の能力枠組み)で示される医師の役割の一つ。
診断・治療だけでなく、健康格差を生む社会制度や環境(SDH)に働きかけ、患者の権利を代弁する存在となることが求められる。
「被害者叩き」への警鐘: 患者が治療指示を守らない背景には経済的困窮や多忙などのっぴきならない事情がある。
その背景を理解せず「自己責任」と断じることを「被害者叩き」と呼び、医療者は「原因の原因」に目を向けるべきである。
米国の取り組み「メディカル・リーガル・パートナーシップ」:
劣悪な住環境が原因で喘息を繰り返す子どもに対し、医師が弁護士と連携して大家に住環境の改善を求め、症状を劇的に改善させたボストンの事例。
米国の取り組み「Health Leads」:
医師が患者に必要な生活支援(食料、交通費など)を特定し、学生ボランティアが地域の無料サービスに繋げる活動。
英国の取り組み「社会的処方」:
薬だけでなく、フードバンクや相談窓口といった社会資源を「処方」し、患者の社会的課題の解決を支援する。
日本での展開:
SDHが医学教育のコアカリキュラムや医師国家試験に導入。
日弁連と連携し、日本版メディカル・リーガル・パートナーシップの導入に向けた視察やカンファレンスが計画されている。
5. 取り残される人々への支援と具体的なツール
ニーズを表明できない人々:
厳しい状況下では、人はそもそも望むことを諦めてしまう(適応的選好形成)。
医療者は「助けて」と言えない人々の存在を認識し、安心して相談できる環境を作ることが重要。
多様な人々が直面する壁:
外国人:
言葉の壁で受診を断られることがある。
聴覚障害者: 医師の口の動きと資料を同時に見られない、検査の指示が聞こえないなどの困難がある。
LGBTQ+:
差別を恐れて医療者に自身のセクシュアリティを伝えられず、適切な医療を受けられないことがある。
具体的な解決策:
やさしい日本語: 外国人だけでなく、高齢者や障害のある人にも伝わりやすい言葉遣いを心がける。医学部で必修講義として導入。
翻訳アプリ「VoiceTra」:
無料で高精度な翻訳が可能。意図通りに翻訳されているか確認できる「逆翻訳機能」が有用。
多言語問診票:
事前に記入してもらうことで、スムーズな診療に繋がる。
意思表示:
レインボーフラッグの設置やパッチの着用など、差別しない姿勢を目に見える形で示すことが、当事者の安心感に繋がる。
制度改革:
大学の人事制度を改定し、同性パートナーや事実婚の配偶者も福利厚生の対象とするなど、組織的な環境整備を進めている。
講演会の後、懇親会に参加され、一緒に写真撮影をさせていただきました。
武田先輩、どうもありがとうございました!

