琵琶湖歩き旅③ (JR近江舞子駅 → 白髭神社 → 風車街道 → JR近江今津駅)
著 dewa_heron
3回目(JR近江舞子駅 → 白髭神社 → 風車街道 → JR近江今津駅)
琵琶湖を徒歩で制覇する旅。前回は比叡山坂本駅から北上し、大津市北部の近江舞子まで進んだ。市街地を抜けて、湖西路ののんびりとした旅を楽しんだ一方、未だに大津市を出ていないという現実を突きつけられた筆者。そして、今回湖西線を心の拠りどころとしてきた筆者に、さらなる困難が襲い掛かる…。
第1回目はこちらから→
1.近江舞子駅→白髭神社 ~線路と謎のカーブに導かれて~
2025年5月10日(土)。3回目。
歩き旅は面白い。小さい頃から行き慣れた湖西地域であっても、電車や自動車とは違う景色を見せてくれる。琵琶湖の旅をはじめた当初は、モチベーションが下がるかもと思っていたが、2回やってみると先が気になって仕方がなくなる。
この日は昼頃に京都駅を出発。
前回「新快速が停まるから」という理由で近江舞子まで進んだが、混雑が嫌なので近江舞子行きの普通列車で移動(なんだこいつ)。各駅に停まる上に、堅田で特急「サンダーバード」の通過待ちを行ったため、相当時間がかかったと思うが、たまには良いだろう。
13時20分頃、近江舞子駅に到着。今回で大津市から高島市に入り、白髭神社、乙女ヶ池(高島市高島)、風車街道を通って、新旭もしくは近江今津まで進む予定。湖西線でいえば、近江高島から近江今津まではほぼ一直線だが、湖岸は琵琶湖に向かって半円状になっている。したがって、琵琶湖の旅を掲げる以上は遠回りを承知で湖岸を進むしかない。

前回までは、途中疲れても最寄りの駅まで歩けば、我が心の友、湖西線が助けてくれた。しかし今回は、近江高島を通過するともう湖西線(あいつ)は助けてくれない。嫌でもゴールまで歩かないといけない。これが私を襲った「困難」というやつである。
まあ、前2回で歩き旅に慣らしているので大丈夫だろう。ちなみに、浜大津から反時計回りに歩いた場合はこうはいかない。並走する鉄道が無いため、最初から厳しい条件下で歩かないといけない。このあたりが今回時計回りに歩き旅を進めている理由である。
近江舞子駅からは湖西線横の道路を北上。しばらく進んだところで、滋賀県発祥の「飛び出し坊や」を発見。飛び出し坊や自体は珍しくないが、ここで見つけたものは劣化が進んでおり色落ちが進んでいた。赤く変色した目が異様に目立つ。こんな坊やが飛び出して来たら、違う意味で恐怖だろう。

しばらく進むと、県道は再び湖西線から離れて、謎のカーブを描きながら北小松に向かう。前回もそうだが、鉄道と違って変なカーブが多いなあ。
その後、細い道を通って北小松駅前を通過。ここには一度立ち寄ったことがある。
高校生のときの遠足。山の方にあるキャンプ場まで歩いて、グループでバーベキューをした。ちょうどゴールデンウィークの直前だったので、新しいクラスに慣れる目的もあったのだろう。
北小松の集落を抜けたところで国道161号線(当時)と合流。しばらくは国道を北上することになる。
(注:前回まで何度もお世話になった県道558号線は、国道のバイパスが終点になった関係で、国道161号線と重複している。ありがとう、558。ただし、この歩き旅の後にバイパスが延伸したため、現在の北小松周辺の道路事情は大きく変わっていることを付け加えさせていただく。)
山と琵琶湖に挟まれた狭い区間を抜けると、開けた場所に出る。そして、14時半頃、近江舞子から1時間程度で高島市に入った。

高島市は滋賀県北西部にある人口約45,000人の市。2005年1月に高島郡の5町1村(マキノ町・今津町・朽木村・安曇川町・高島町・新旭町)が合併して誕生した。これまた「平成の大合併」である。高島市をはじめ、合併で広くなった自治体に関しては、場合によっては旧町村で説明することもある。ご了承いただきたい。なお、旧朽木村以外はこの歩き旅で通過するので、いずれ取り上げる。今いるところはかつて「高島町」だった地域である。どうでもよいが、高島市の形を見て唐揚げを連想してしまうのは私だけだろうか(多分そうです)。
余談だが、この「高島」という地名は古くからあり、百貨店の高島屋の名の由来ともいわれている。
(注:創業者の養父が高島郡の出身だったから。高島屋の名前の由来で調べると、この説で問題はなさそうだが、肝心の高島屋のホームページでは明確に由来が書かれていないため、断言するには少しためらいがある。)

15時前、白髭神社に到着。ホームページによると、御祭神は猿田彦命、2000余年前に創建された「近江最古の大社」であるという。何度かお参りしたことがあるが、恥ずかしながらここまでの歴史を持つ神社とは知らなかった。お参りをした後に、おそらく白髭神社でよく知られているスポット、湖中鳥居を見に行った。

文字通り琵琶湖上に建てられている鳥居であり、多くの参拝客が写真を撮っていく。
白髭神社と湖中鳥居の間に国道が通る位置関係なので、鳥居を間近で見る(あるいはより写りの良い写真を撮る)ために国道を無理やり横断する人が出てきて、テレビに取り上げられるほど問題になったこともある。さすがに私が行った時にはそのような人はいなかった。
境内には鳥居を見るための展望台が設置されており、少し高い位置から琵琶湖を眺めることができるが、すでに展望台の上が混雑していたので今回は遠慮した。この展望台、定員が書かれていて、10人程度(もう少し多かったかも)しか上がれないようだったが、他の方は気づいていたのだろうか。
白髭神社の周りは観光客が多く、レストランやカフェ、コンビニと店舗が連なっていたが、少し北に進むだけで山と琵琶湖以外に何も無いゾーンに入ってしまう。よくこんな狭いところに国道を…と思うのだが、昔は鉄道もこの区間を通っていたのだから驚きである。鉄道については、後で触れる。
2.白髭神社→乙女ヶ池 ~湖西路千年以上の歴史の証人~
乙女ヶ池に向かう途中、「鵜川四十八体石仏群」と書かれた看板があったので、山道(といってもある程度舗装されていたが)に入ってみる。野生動物と遭遇する可能性を考えて、今回から持参してきた熊鈴をはじめて使う。この熊鈴はマグネット付きで、使用しないときは鳴らないようにできる優れもの。
そういえば昔、島根県の母の実家に行ったときに近くでイノシシと遭遇したことがあったな…、
まだ子どもだったので事の重大さを分かっていなかったが、今なら頭真っ白だろう。
なぜかイノシシの心配ばかりしていたが、距離も少しだったので、あっという間に石仏群に着いた。
墓地の中にあるようで、途中の道が舗装されていたのもそのためだろう。現地の案内板を読んだときの記憶では、この石仏は戦国時代に近江南部を支配していた六角義賢が亡き母の菩提を弔うために建立したらしい。
えっ、六角氏の拠点といえば観音寺城、今の近江八幡市安土町だから、わざわざ対岸まで来たのか?
再度調べたところ、従来六角義賢が建立したという説が有力だったが、最近の研究では従来の説から100年さかのぼることが分かったため、由来は謎になっているらしい。写真を撮っても良かったのだが、一般の墓地がすぐ隣りにあることと、私があまり仏様を写さないポリシーの持ち主なので控えた。
ちなみに、六角義賢という名前はまたどこかで聞くかもしれないので、覚えておいて損はないですよ(???)。
石仏群への道をそのまま進んでも乙女ヶ池に行けるらしいが、終わりが見えない山道だったので引き返した(道はつながってはいるらしい)。結局数人の地元の方(熊鈴を鳴らす私を怪訝そうに見つめていた)としかすれ違わずに国道161号線に戻った。
途中左側の草むらがざわざわ音を立てていたので(蛇か?)、慌てて逃げるアクシデントもありながらしばらく歩くと、高島市に広がる平野部の南端に出た。琵琶湖に突き出すように連なっていた山々とはここでお別れである。乙女ヶ池まではもうすぐだが、ここで1か所行きたいスポットがあった。
それは江若鉄道の築堤。Google Mapで見つけたのだが、水田が並ぶ中をまっすぐにのびている道がかつて存在していた鉄道の痕跡だというのだ。
江若鉄道は、大正から昭和にかけて湖西地域に存在していた鉄道で、昭和6(1931)年以降は浜大津と近江今津を結んでいた。その名の通り、当初は近江と若狭(福井県南西部)を結ぶ計画だったが、これは実現しなかった。昭和44(1969)年に廃止。
この鉄道の用地を転用する形で開通したのが現在のJR湖西線である(実際は転用されずに新たに線路を通した区間も多いが)。ちなみに、江若鉄道の会社自体は現在も路線バス「江若交通」として存続している。
後で「鉄道歴史地図」というサイトを調べたところ、2回目で通った比良~近江舞子間の謎のカーブ、先程通った近江舞子~北小松間の謎のカーブは、いずれも江若鉄道が通っていたルートとほぼ一致していた。これらも江若鉄道の名残かもしれない。
築堤の先にはJR湖西線が見える。地元の足としてのんびり走っていた鉄道が、北陸と京阪神をつなぐ短絡線に化けてしまった。なんという歴史のいたずらだろう。
さて、乙女ヶ池。琵琶湖周辺に数多くある内湖の1つだが、天平宝字8(764)年の恵美押勝の乱の舞台と推定されており、古代からこの近辺が重要な地域だったことをうかがわせる(戦略上重要でなければ、戦乱の舞台になることは無いはず)。近世には大溝城の外濠として機能したという。
周囲は公園になっているが、池自体が釣りスポットになっているようで、私が通ったときには、散歩や休憩する人よりも明らかに釣り人の方が多かった。


ところで「大溝城の外濠」と書いたようにこの近くには城がある。歴史好きとして寄らないわけにはいかない。看板を頼りに大溝城跡に進む。するといきなり石垣の台が見える。これが大溝城の天守台らしい(天守は残っていない)。この城は、織田信長の時代に築かれたもので、安土城、長浜城、坂本城(1回目に登場)とともに、「琵琶湖城郭ネットワーク」を形成した。一説には、明智光秀が設計に携わっていたとされる。
ちなみに、初代城主は信長の甥にあたる織田信澄。光秀の娘婿だったことが災いし、光秀が本能寺の変で信長を討った直後、謀反に関わった嫌疑がかかって、織田信孝(信長の三男)と丹羽長秀(信長の重臣。1回目にも登場。)によって自害に追い込まれている。
城自体はやがて解体されたものの、城下町は元和5(1619)年に入部した分部氏に引き継がれて、湖西地域の中核的存在として栄え続けた(現地の案内板をもとに記述)。

この城には二の丸や三の丸があったらしいが、今ではすっかり開発されていて、その痕跡を探すのは難しい。もっとも、城の外郭が残っていないからこそ、天守台とばったり遭遇、なんて体験もできるのである。天守台は、その石組みはきれいに残しつつも、いたるところから木々が生えていた。整備されていないと言ったらおしまいかもしれないが、それよりは城(天守台)自体に不思議な生命力を感じる。こういう遺跡の残し方もありかもしれない。
3.風車街道(前編)&筆者の歩き旅攻略法
大溝城を離れると、JR近江高島駅の前を通って、旧高島町の中心地を抜けていく。
ここで湖西線とはしばらくお別れ。この歩き旅で初めてのリタイア困難の区間が幕を開ける。
琵琶湖沿いを通る「風車街道」を目指して、東に方向転換する。ちなみに、大溝、乙女ヶ池、白髭神社と固有名詞を挙げてきたが、これらはすべて旧高島町。ここからは旧高島町→旧安曇川町→旧新旭町→旧今津町と進んでいく。
古くから栄えていたということもあってか、駅前からしばらくは建物が並び、地元の方と思しき歩行者も増えて、幅の狭い道路でも自動車と何度もすれ違った(あるいは抜かされた)。脇道にそれて、長く続いた街並みをようやく抜けると、国道161号線のバイパスを見つけてそれをくぐる。さらに進めば琵琶湖沿いの道路にぶつかるので、左に曲がる。県道304号線、通称「風車街道」である。
「風車街道」に入ってしばらくすると、湖岸に木が並んでいるのを発見。そこには「四高桜」とあった。当然、桜の時期は過ぎているので花はすでに散っていたのだが、それよりもここに桜並木があることが少し意外だった。
「四高桜」という名前も気になる。特に説明があったわけではない。ただ、私は大学で教育学を学んでいたので、旧制高等学校の関係か、と少し思った。
といっても、考えたら分かるものでもないので先に進む。
先程高島市近辺の地域について「琵琶湖に向かって半円状」と書いたが、安曇川という川の河口が半円のピークにあたる。いつになったら安曇川にたどり着くかなと思いながら歩くと、近江白浜を通過。このあたりの湖岸にはキャンプ場が並んでおり、白浜荘という旅館もある。ここには一度立ち寄ったことがある。
高校生のときの遠足。ここのキャンプ場まで移動して、グループでバーベキューをした。ちょうどゴールデンウィークの直前だったので、新しいクラスに慣れる目的もあったのだろう。
…おい、さっき同じような文章見たぞ、北小松のくだりだったっけ。
実は、私が通っていた高校では、ゴールデンウィーク前に遠足で近くのキャンプ場に行くのが恒例だった。記憶が正しければ、近江白浜が高2、北小松が高3。ちなみに、高1のときは京都の北の方だった。それにしても、高島市には昔からちょくちょく行っていたんだなあ。
高島市といえば、まだ思い出の場所が残っているが、もう少しとっておこう。
近江白浜のあたりからは、旧安曇川町に入る。
今回の旅とは関係ないが、江戸時代前期の儒学者で、日本陽明学の祖とされる中江藤樹ゆかりの地である。大学生時代、この藤樹に興味を持って2~3回ほど安曇川を訪れたことがある。このとき必ず立ち寄っていた中江藤樹記念館は、最近「中江藤樹・たかしまミュージアム」としてリニューアルされ、高島市の歴史も合わせて学べる施設になったらしい。今度機会があれば行ってみよう。

鴨川(京都の川とは無関係)を渡ってしばらくすると、松ノ木内湖という内湖の横を通る。
内湖の景色ってどんな感じだろうと思ったが、草が生い茂っているせいでよく見えなかった。そこからはしばらく田んぼの中を進む。
左側、内陸の方を眺める。街が遠い。心細い。
右側、琵琶湖の方を眺めると、対岸は確実に遠ざかり、船はほとんど見かけない。寂しい。
そもそもこういう歩き旅というのは、名所を通らない限り、孤独で暇な時間が流れ続ける。景色は確かに変わっていくのだが、少しずつなので盛り上がりに欠ける。自分で気分をコントロールしなければ、沈んでいく一方である。そこで脳内でBGMを流す。
この琵琶湖の旅では、ABBAの「恋のウォータールー(Waterloo)」、アラベスクの「私のナイス・ヒーロー(THE HERO OF MY LIFE)」、「ヘル・ドライバー(HELL DRIVER)」、サディスティック・ミカ・バンドの「黒船(嘉永六年六月二日)」、「黒船(嘉永六年六月三日)」、「黒船(嘉永六年六月四日)」がよく脳内に流れていた。いずれも自分が生まれる前の曲である。
ABBAに関しては親の影響。特に「恋のウォータールー」は、もともとよく聴いていた曲だったが、ビワイチを扱ったテレビ番組のBGMに使われていたせいで、無意識のうちに琵琶湖のテーマ曲みたいな感じになってしまった。当然、本来琵琶湖にも旅にも関係の無い曲である(ウォータールーはナポレオン=ボナパルトの失脚が決定づけられた古戦場。ワーテルローともいう)。
アラベスクも親の影響。ここで挙げている曲はメロディーが出てくる程度で、歌詞はほとんど理解していない。おそらく「フライデイ・ナイト(Friday Night)」とかが知られているだろう。
サディスティック・ミカ・バンドに関しては、親の影響ではなく自分の趣味。「タイムマシンにおねがい」の方が有名かもしれない。
4.風車街道(後編) ~夕日にぼやきを添えて~
さて、どうでもよい話で字数を稼いだところで、ついに安曇川に到達。大きい川ということもあり、河口の近くで2つに枝分かれしている。そのため、風車街道を歩くと、安曇川を2回渡るという特典がついてくる(特に嬉しくない)。
河口の景色に期待していたが、道路の両側が森林みたいになっていたこと、思った以上に風車街道と河口の間に距離があったことから、あまりよく見えなかった。森林みたい、と書いたが、妙に道路が整備されている。これもビワイチ(サイクリング)のおかげだろうか。
安曇川を渡りきってしばらくすると、旧新旭町に突入。この時点で17時は過ぎている。日が傾きつつあるが、高島市地域の「半円」は攻略しつつある。ペースを上げていこう。
安曇川を渡ってからというもの、恐ろしいほど景色が変わらない。左手には田畑、道路には並木、右手には湖岸、ときどき水門。建物があまり見当たらない。この先「しんあさひ風車村」という道の駅があり、風車が目印になるはずだが、前を見てもそのようなものが見えない。
自転車ならあまり気にならないかもしれないが、徒歩だとスピードの遅さゆえに気力が削られていく。
道の駅に着くまでは耐久レースである。5月前半なのでまだ良いが、もう少し気温が高くなれば、水分補給の計画を立てなければ危険な区間である。


17時40分頃、「しんあさひ風車村」の前に到着。ここで休憩することを考えたが、道路を横断できる場所が無かったので断念。ちなみに、このあたりまで来ると、琵琶湖の北側が見えてくるようになる。なんとなく島が見えるのだが、竹生島だろうか。違っていたらごめんなさい。
「しんあさひ風車村」から先は再び耐久レース、もとい夕方の琵琶湖を楽しむウォーキングとなる。正直な話、「楽しむ」といっても琵琶湖は東側にあたるので、夕日と琵琶湖のコラボ…なんて期待できない。それより暗くなる前に今津に行きたい。
六ツ矢崎浜というサイダーでも出てきそうな場所を通過。ここはキャンプ場になっており、家族連れや若年層のグループでにぎわっていた。その横を通り過ぎるのは、1人で寂しく歩く若者にとっては精神的な修行である(何を言っているんだ)。

しばらくすると、湖岸が伸びた先に街並みが見える。平和堂(スーパー)とビルが目立つ。おそらくこの日のゴールである今津だろう。そうに違いない。そうでないと自分の精神力が限界である。
ちなみに、もう少し右に目をやると、海津大崎と思しき山が見える。次回はこのあたりを通ることになる。想像すると少し憂鬱。
そんなことを考えている間に、例の「半円」を攻略。新旭水鳥観察センターなる施設があったが、この時点で18時台だったので、とっくに閉まっていた。というよりまだ「新旭」なんだ…。

旧今津町に入ったのは18時50分頃。「ようこそ 琵琶湖周航の歌誕生のまち 近江今津へ」と書かれた巨大な柱が出迎えてくれた。『琵琶湖周航の歌』は、1917(大正6)年に第三高等学校の水上部(ボート部)に所属していた学生の小口太郎が水上部の行事で今津を訪れた際に自作の詞を披露し、同行していた仲間が『ひつじくさ』(吉田千秋作曲、当時の第三高等学校で流行っていたという)の曲にのせて歌ったことが起源。1971(昭和46)年には加藤登紀子さんが歌って大ヒットした。
ちなみに、第三高等学校は現在の京都大学の前身の1つであり、京都大学の吉田南構内には琵琶湖周航の歌を記念する看板が設置されていたと記憶している。ちなみに、ここまで書いて言うことではないが、私は琵琶湖大橋のメロディーロードでしか聴いたことが無い。
19時、近江今津駅に到着。
次回で湖西から湖北地域を抜けて、琵琶湖の東側を目指す予定。ただし、この湖北地域は山が多く、街や集落が限られている。今までみたいに雑な計画では命取りになりかねない。念入りな下調べと準備が必要である。
本当に抜けられるのかと不安になるが、先のことを延々と考えても仕方が無いので、今回はここまでとしよう。
・今回の成果
JR近江舞子駅 → 白髭神社 → 乙女ヶ池・大溝城跡 → 近江白浜 → しんあさひ風車村 → JR近江今津駅
ついに南北に長い大津市を抜けて、高島市に突入。滋賀県北西部の要衝、近江今津まで進んだ。浜大津からおよそ55km。まだ琵琶湖の3分の1も回っておらず、先は長い。
(つづく)

・参考
高島市ホームページ
https://www.city.takashima.lg.jp/index.html(2025/10/05確認)
「鉄道歴史地図」江若鉄道
https://rail-history.org/r/19411.html(2025/10/05確認)
白髭神社ホームページ
http://shirahigejinja.com/(2025/10/06確認)
鵜川四十八体石仏群|滋賀・びわ湖観光情報
https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/945/(2025/10/06確認)
大津市歴史博物館「企画展 江若鉄道の思い出」 https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/1501.html(2025/10/06確認)
滋賀県ホームページ「琵琶湖周航の歌」https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/5526652.pdf(2025/11/03確認)
※カバー画像について
筆者の心の友、湖西線の写真。近江舞子~北小松間で撮影。高架なので、車窓からは琵琶湖の景色を楽しみやすく、周辺からは目印として活用しやすい。特急列車が高速で駆け抜けていく姿は圧巻。(ただし、頼もしい外見の割に比良山地の強風に弱いのは内緒である。)
なぜ列車と一緒に撮らなかったって?筆者もそう思う。
第1回目はこちらから→
