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なぜやるのかを忘れた瞬間から、しんどくなる。気づかせてくれたのは、娘の「鉛筆」だった



娘が当時3歳の頃。
初めて鉛筆を持ち始めた。

私は、基本的に子供は勝手に学んでいくというスタンスなので、
基本的に子供のやりたいようにやらせる教育方針。
一方で妻は、
できるだけ小さいころから
正しいことはさせたいというタイプ。

鉛筆を持ち始めたら
正しい鉛筆が持てる器具みたいなものを鉛筆に取り付けて
子供に持たせようとしていた。

ただ、
娘は嫌がって、全くやらなかった。
何かが気に食わないのか、よくわからなかったが、
それから鉛筆を持つ時間が減った。

時間が経過したある日、
再び自分から鉛筆を持ち出して、文字を書き始めた。

おそらく幼稚園でいろいろと書くことを学んだからだと思う。

楽しいからやっている。それだけだった。
それを見て、ふと思った。

これは大人でも、まったく同じではないかと。

「なぜやるのか」がぶれると、人は動けなくなる

私自身、このnoteで似たような経験をしている。
最初はnoteを書きたいから書いていた。

自分の思考を整理したい。視野を広げたい。
文字にすることで自分を客観視したい。

そういう動機だった。

でも徐々に空しくなってきた。
書いても読んでもらえない。
文章をいくら推敲しても反応は変わらない。
書いている内に、自分が書きたいという内側の動機から
誰かの反応を期待する外側の動機に変わっていることに気づいた。

つまり、
「届けなきゃ」が入ってきた。

そうなると、文章の中身よりも
フォロワーを増やさなければ。スキの数が気になる。

最終的には何かしらの
ビジネスにつなげたいと考えていた。

その瞬間から、文章が変わり始めた。
読者を煽るような言葉を使ってみたり、なぜか結論をきれいにまとめようとしたり。
書きながら、どこかずっと苦しかった。

以前は書いてすっきりというか達成感で満たされていたが
書いても満足感が得られず、改善点はいくらでも見つかるような
無限地獄にいるような感覚だった。

「なんでやってるんだっけ」という感覚が、ずっとそこにあった。

外の報酬が「なぜ」を上書きしていく

大人になると、このような状況が起きやすくなると思う。
それは責任を伴うことが増えるからだと思っている。

仕事は「生活のため」になる。
子育ては「正しくしなければ」になる。

こういう思考で日常が支配されると
趣味でさえ、うまくなければいけない、結果を出さなければ、になっていくことも考えられる。

最初に自分の中にあった「これが好きだから」という感覚が、いつの間にか外側の基準に置き換わっている。

心理学には、アンダーマイニング効果という概念がある。
内側にあった動機が、外側の報酬や評価によって静かに上書きされていく現象のことだ。

「努力の地図」という本に、こんな例が出てくる。

サッカーが好きで、上達することが楽しくて毎日練習していた少年がいた。
あるとき、サッカー選手になればお金で生活できると知る。
そこから「プロになれないと意味がない」という解釈に変わっていった。
最初にあった「蹴るのが好きだから蹴る」という感覚は、いつの間にか消えていた。

ただ、この本が伝えているのは、外的報酬が悪いということではない。
報酬があっても、「なぜやるのか」という目的を見失わなければ、動機は守られる。問題は、目的がすり替わることだ。

私がnoteで経験したこと、娘が鉛筆を嫌がったこと、それと構造的にたぶん同じだ。
動かしていたエンジンが、別のものに知らないうちにすり替わっている。
そうなると、やる気が出なくなるのは当然かもしれない。

走っているのに、迷子になる

厄介なのは、行動は続いているということだ。
仕事はしている。子育てもしている。発信も続けている。
でも苦しい。充実感がない。何かがずっとずれている気がする。

これが「走っているのに迷子」の状態だと思っている。

目的地を忘れたまま、走ることだけが続いている。
いつから走り始めたかも、なんのために走っているかも、気づいたら曖昧になっている。

同じテーマで、こんな記事を書いているフォロワーさんがいた。

「手段を人生の目的にした瞬間、人は迷子になる」

このタイトルを見た瞬間、そうそう、それだ、と思った。

記事の中に、こんな一節がある。

「本当に大切だったのは、何者になるかではなく、どんな状態で生きていたいか、だったんです。」

私がnoteで経験してきたことと、構造が同じだった。
走り方ではなく、どこに向かうかを先に持っておくこと。
それが抜け落ちると、どれだけ走っても迷子のままになる。

自分の「なぜ」を持ち続けること

このような経験から
私がnoteについて大切にしていることが一つある。
「自分が書きたいから書く」という出発点を、忘れないこと。

もちろん、多くの人に届けたいという気持ちもある。フォロワー数も気になる。
ただ、その優先順位が逆転したとき、文章は途端に苦しくなる。
「届けようとした瞬間に、文章から遠ざかる」という感覚を、何度も経験してきた。

目的が外に移ると、自分の中心を失う。
それはnoteに限らず、何かを続けようとしている人すべてに起きうることだと思っている。

最近、何かが苦しくなってきているなら、一度「なぜやってるんだっけ」と自分に聞いてみるのも悪くないかもしれない。

答えはすぐに出なくていい。

そしてもし外側の動機でいっぱいになっているのであれば、
自分を殺してまで頑張った自分をほめてあげてほしい。

それが少しずつ自分の声を聴くステップになると思っている。

この記事を読んで、自分の「なぜ」を思い出した方がいれば、スキやコメントで教えてもらえたら嬉しいです。


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