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コージーとは、かめはめ波の事ではないとは一概には言えない

銀座コージーコーナーのケーキ、特にコージープリンセス最高だよね!
チョコ系のコージープリンスとかあってもいいよね?
昔あったとかそういう情報あります?

さて、第三回になるコージーの話なんですが。
え?第一回と第二回はどこかって?

めんどくさいので探してください嘘です後でリンクはります。
でも誰が読んでるの?これ。



復讐ならぬ復習

コージーという概念について復習してみましょう

基本は
何も起きない
と言われていますが、前にも述べた通り、実際には小さな出来事が起きます。
コーヒーが冷める、空が夕焼けに染まる、少しだけ前向きになったり後ろ向きに考えたり、そういう小さな出来事(小事件)が物語の駆動力になります。

詳しい事は前の記事を読んでください。

あえて補足するのであれば、コージーでも事件は起きます。
コージーミステリー
コージーホラー
コージーファンタジー

など、いくつかの分類上で、そのストーリー上問題や事件が起きます。

しかしながら、コージーというのは、その事件が主役ではなく、単純に物語の補助輪やスパイス程度の役割になります。
最終的に、小さな生活へと戻っていく。
平穏が維持される。
これをもってコージーへの着地とする事で、コージーが維持されます。

実際、
コージーミステリーでは殺人事件も起きます。
コージーホラーでは、恐ろしい怪異も出てきます。
コージーファンタジーでは戦闘も負傷もあります。

でも、それが大々的に影響を及ぼすと言う事ではないのです。
殺人事件が起きても、村は平穏に戻る。
恐ろしい怪異と同居する。
戦闘をしても、すぐに片付いてコーヒーを飲む

何故か?

それはコージーというものが主に生活を主眼に置いているからだと思われます。
殺人事件が起きても、怪異がいても、戦闘があっても、人は最終的に自分の生活へと戻っていく。
それこそがコージーというものの本質なのかもしれません。

例を挙げてみますと、コージーミステリーと言えば、やはり『氷菓』でしょうか。
「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければならないことなら、手短に」だったかな?
省エネで過ごす主人公奉太郎のモットーは、当時で言うならやれやれ系とか自身の言う省エネ系と呼ばれていました。
しかし、今にして思えば、あの古典部シリーズこそ、事件は起きるが誰も傷つけずに日常に着地する、コージーミステリーの極地と言えるかもしれません。


骨ではなく肉に宿るコージー

では、コージーが既存の物語と何が違うか?
何も違いません。
起承転結や、物語の進行は、王道のファンタジーやラブコメなどの骨子と何も変わらないのです。

ただ、事件をどう扱うか、どのような肉にするかという点で大きく変わります。そして骨にしっかり癒着したその肉を指して、コージーというのだと思います。

事件が起きる。
それは世界を揺るがす大惨事か。
それとも、隣の子供が転んだか。

どちらも事件です。でも、通常私たちは隣の子供が転んだことを事件とは扱いません。
しかし、コージーはそこにフォーカスして、子供が立ち上がるまでの踏ん張り、泣き顔、それでも立ち上がって両親の元へ再び駆け出す、小さな成長。
そういうものを事件として扱うのです。

同時に。
世界を揺るがす大惨事を扱ってもいい。
けれど、それは子供が立ち上がって両親の元へ再び駆け出す事件と同列に扱われます。
出来事の大小ではなく、どう扱うかの問題なのです。

例を出してみましょう。
ヨコハマ買出し紀行という、私に取ってはもはや原典にして聖典、聖書、えーっと、とにかくすべてのコージーの源泉であり、同時にセロトニン文学の原典とも言える漫画があります。
内容的には、終末に向かう世界の中で、ただ喫茶店でコーヒーを入れるアンドロイドの話です。
1話の中でセリフが一回しかなく、他は全て風景という回すらあります。
詳しくは調べてください。

ともあれ、ここでは、世界が終わるという大事件が、ただの背景であり、しかし同時に時間の移ろいと共に、確かに世界が変わっていく事を示していく。
これほど贅沢なコージー体験は他にないと思います。
是非ご賞味ください。


コージーの書き方について

正直これは、これといった書き方というものを私は提示する事が出来ません。
ここまで述べてきたとおり、作者が事件をどう扱うかに委ねられるからです。
ただ、一般的にコージーは、

スローライフ
癒やし
低ステークス(争いが少ない)
優しい世界

という記号で理解されます。
では、そういう記号で書けばコージーになるか?

一見、コージーに見えますが、それは見えるだけで果たしてコージーと呼べるかという疑問が湧いてくると思います。

ここで私は、物語を投影型と滞在型、またはドーパミン進行とセロトニン進行という分類で定義したいと思います。

私の考えるコージーとは。

例えば茶屋でのんびり茶を飲んで、ゆっくりと空を眺める。
もう少しこのままのんびりしたい。

という気持ちを指すと考えています。

そこには承認欲求を満たしたり快楽を得るというものではなく、ただ流れていく雲を眺める平穏だけがあります。
これは、大きな事件で物語を進行させるドーパミン型進行とは真逆の、小さな事件を眺めるといったセロトニン進行と言えます。

もしかしたら、ただ雲が流れる様子を見た感想を書いても、多分それはコージーなのかもしれません。

さて、ドーパミン型進行とセロトニン型進行では、基本的にOSが違う、と言えるでしょう。

ドーパミン型は、例えば、
スキルやチート的なものを使って快適な日常を作り、時に事件を解決して賞賛を浴びる、主人公と同化して達成や報酬を得る事で進んでいく事で快感を得る。または、必殺技を叫びたくなる気持ち。
という投影型の楽しみ方をするものだと思います。

一方セロトニン型は、例えば、
ヴィヴ(Legends &Lattesより)の喫茶店の一席に座って、キャラたちのやり取りを眺める。その場に滞在し、居心地のいい空間で過ごす。ニヤニヤしながらキャラのやり取りを眺める。
という滞在型の楽しみ方をするものだと考えています。

基本的に楽しみ方が違うのです。

極端な例を挙げれば、
ドラゴンボールはかめはめ波と叫びたくなる投影に対して、
ARIAは、ウンディーネのゴンドラに乗ってネオ・ヴェネツィアを観光したくなる滞在型と言えるでしょう。

かーめーはーめーはああああ!!



最後に

最後になりますが、noteでもコージータグが付けられている記事が沢山ありました。
コージー、コージーファンタジー、コージー・パウエル、筋肉少女帯。

ん?

パウエル、誰?
筋少って、コージーじゃなくてケンヂーだよね。

……とりあえず国務長官もオーケンも置いておいて。

いや、置いておけなかった。
コージータグの8割が筋少の事っぽいんだけど!?
えっ、なにこれ。

あっ

筋肉少女帯のドラマーの方がコージーなんですね?
コージー・パウエルもドラマー

結論

コージーとは、主にドラマーの事を指します。

かーめーはーめーはああああああ!!!!


お約束のリンク

最後に冒頭でお約束したリンクを貼っておきます。

第一回コージー大会

第二回コージー大会(同時開催たこ焼き大会)

なお、ヨコハマ買出し紀行、及びARIAふらいんぐうぃっち氷菓などの個人的コージー認定書籍は、全国の書店及び通販、または電子書籍などで読めます。

余談ですけど、コージーホラーとしては初期の「見える子ちゃん」辺りがそうなんじゃないでしょうか?
わかりません。

かめはめはああああ!!

(※あまり関係ない話ですが、ドラゴンボールでは悟空とピッコロが運転免許を取る話が好きです)

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はっち あなたの大事なお金をこんな記事に絶対に投げ銭しないこと(※東北の方言で捨てるを投げると言います)