白亜の崖に何を思う【等身大のイギリス②】セブン・シスターズ
異国を訪れるにしても、多くの現代人にとって到着の瞬間はそれほど感動的なものではない。例えば、「イギリスに上陸!」と言っても大抵は空港のターミナルに降り立っただけで、そこには搭乗口やカウンターが無機質に並んでいるだけだ。一方、飛行機によらない「上陸」はなんてロマンがあることだろう。とりわけ、それがその国を象徴するような景色に囲まれながら、陸地に一歩踏み出すようなものだったら……。今回はそんな「上陸」にまつわる話である。
前回はこちら:
白亜の崖を目指して
3年前にイギリスを訪れた際、忘れられない景色に出会った。それはイギリスを出国しフランスへと向かうときに目にした、港町ドーバーの景色である。出港の瞬間をフェリーのデッキから眺めていると、離れていくドーバーの陸地には石灰岩の崖が連なっていた。青い空に緑の大地、その土台を支えるように広がる白亜の海食崖……。夏の日差しに照らされたその景色に息を呑んだ。

この抜けるような白さの正体は、貝やプランクトンの死骸が堆積した石灰岩だ。石灰岩の地盤が海の波にさらされ続けることで削り取られ、常に綺麗な表面を見せているのが特徴だ。
こうした景色はドーバーに特有のものではない。地質年代が古く、地表のすぐ下に石灰岩の層があるグレートブリテン島では、海岸部のところどころで白亜の崖があらわになっている。そこで今回訪れたのが、ブライトン近郊のセブン・シスターズというスポットだ。観光地として非常に有名で、崖の上を歩くフットパス(歩道)が整備されている。ロンドンからの鉄道のチケットを取り、期待を膨らませた。

当日朝、ロンドンのヴィクトリア駅で目当ての電車を探す。広いホールで電光掲示板を見上げ、黄色いライトの行き先表示をたどる。あった。時間通りに出発しそうであることを確認し、改札を通る。改札はQRコードをかざす仕組みだ。アプリで事前に取得しておいたコードを、えいっと……。あれ、扉が開かない。改札前には私と同じように戸惑う乗客が数人。結局スタッフにスマホの画面を見せて通してもらった。これではQRコードの意味がないではないか。心の中でくすっと笑いながら電車に乗り込む。
定刻通りに出発した車内は通勤中の乗客がまばらにいる程度で、スペースには余裕があった。私は持参した本を読み、ゆっくりと時が過ぎていくのを楽しんでいた。イギリスは今日も曇り。ふと車窓に目をやると、暗い緑の上に白い斑点模様がポツポツと……。羊である。ロンドンでは見ることのできない光景だ。しかしこれこそグレートブリテン島における「等身大」の景色のはずである。

私はオーストラリアでだだっぴろい牧羊地帯を見たことがあったが、それとよく似た景色だ。起伏の少ない古期造山帯の地形のため、ゆるやかな丘が続く。そこにまばらに生える木々と緑の牧草地。イギリス人が地球の真裏に似たような地形と似たような気候の新大陸を見つけ、お得意の牧羊業を移植したことは興味深い。
都会にはない落ち着き
午前10時ごろ、終点のEastbourne駅(イーストボーン駅)に到着。付近には大きな商業施設とバスターミナルがあり、周囲には商店や住宅街が広がっている。駅前はこの地域の中心なのだろう。

ここから海岸まではまだ遠いので、駅前からバスに乗り換える。バス停ではご婦人が一人でバスを待っていた。買い出しを終えたようで、大きな鞄を抱えている。一人旅では、会った瞬間に挨拶できるかがすべてを決する。「こんにちは、この辺りの方ですか?」というところから会話が始まった。
ご婦人はもともとブライトンにお住まいだったが、数年前に引っ越してきたのだという。今は家に帰るためにバスを待つところ。買い出し後は大荷物になるが、それでも車を持つのは高いからバスを使うそうだ。地域のお気に入りポイントはその静けさ。ロンドンは「忙し過ぎて、観光にはいいけど住むにはちょっとね」。たしかに、ここはロンドンとは大違いだ。都会の喧騒から逃れ、リラックスするにはこうした物静かな田舎町の方がずっと良いのだろう。
そのことは住宅街の景色が物語っていた。一軒一軒が独立し、その多くは庭を備えている。どの家も三角屋根と煙突の組み合わせで、まるで絵画やお伽噺に出てきそうな田舎町だ。住宅街を歩いているだけでも、ついカメラを構えたくなってしまう。

走り出したバスの車窓からは、次々にかわいらしい景色を望むことができた。霧雨で遠くの景色は霞んでいるが、これも英国らしくて良い。

丘をいくつか超えたところでバスが止まった。私の目的地だ。一人でバスを降りて辺りを見渡す。小屋がポツリとある以外にこれといったものはない。バスが走り去るとあたりは一気に静まり返った。この静けさ、たまらない。

ここはフットパスの出発点だ。ビジターセンターがあったので記念にポストカードを1枚買ってみた。ポストカードには晴天のセブン・シスターズが描かれているが、今日は生憎の曇天。少し皮肉に感じながらも、海岸を目指して歩き始めた。
ここが一番辛かった。地面は泥だらけで歩くたびに靴が沈んでいく。そのことを案じて防水靴で来たが、ズボンのチョイスが悪かった。しかも私は一人きり。訪れている人の多くは複数人で来ているか、ソロの場合は本気のウォーキングまたはジョギングのようで、声をかけづらい。ペースも人それぞれなので諦めて一人で歩き続けた。考え事をしていると、しばしば泥に足を突っ込みそうになる。
異常に早足になってしまい、ずんずんと人を抜かして海岸まで辿り着いた。眼前に広がった風景は、まさに地の果て。風が吹き荒れ波が海岸の砂利に打ち付ける。湿度が高く潮風がベタつくので、気温は低いのに清涼感はない。

ただ、ここで白亜の崖に出会うことはできた。この先は崖上に伸びる歩道を数キロ進んでいくことができる。進んでいけばさらに多くの崖が見えてくるはずだ。そう思って足を踏み出すが、海岸から崖に向かって登っていくのは登山のようで、想像以上にきつい運動だった。
一気に高度を上げたところで、これまでバス停から歩いてきた湿原帯を見渡してみた。低地に溜まった水は流れ出ずに沼地や池塘を作り、ところどころ水生植物が島を成している。イングランドのmuddy(泥だらけ)の低地がどんなものかは、このわずかな時間のウォーキングでうんとよくわかった。歩きたいなら長靴でくるべき場所である。

一方、崖の方を見渡すと柵のない崖線がすぐそばにありヒヤヒヤとする。落っこちたらおしまいだ。海岸の侵食に伴い、崖の面は徐々に崩落し続けているので、崖線の位置は年々変わっていく。柵を建てたところで崖面ごと崩落してしまうだろう。だから崖上の歩行は自己責任でということになる。

白亜の崖を見た人々
歩みを進めるたびに崖の連なりを俯瞰できるようになってきた。コブのように盛り上がった丘がいくつか続く。「セブン・シスターズ」の地名の由来はこうした小ピークが合わせて7つあることによるという(実際には8つとも)。そのどれも断面は白亜の崖になっており、崖線から崖下までは垂直にストンと切れ落ちている。コブの織りなす独特の形状は、ドーバーで見たフラットな崖ともまた違って面白い。まるで陸地が大きな波を打っているかのようだ。

白亜の崖を眺めながら、この崖の持つ象徴性について考えてみた。グレートブリテン島の海岸沿いに並んでいるこうした石灰岩の崖は、イギリス視点で言えばフランス側、ヨーロッパ大陸側に顔を向けるように連なっている。ドーバーはちょうど海峡名にもなっているので最もわかりやすい例だが、ドーバーに限らず、英仏海峡に面したグレートブリテン島の海岸線には白亜の崖が点在しているのだから、いわば白亜の崖はグレートブリテン島の境界を象徴するものである。

白亜の崖はフランス側にも見られる(ここでは代表的なエトルタ近辺のみ示した)。
私はフランス側からイギリスに入ったことはないが、海峡を渡って英国に入る人々が最初にこの白亜の崖を目にすることは十分に考えられる。そしてその景色を見て思うのだ、新しい島に着いた、グレートブリテン島に着いた、イギリスに着いたぞ、と。
英仏海峡をいわばドラマの舞台として想起すれば、世界史上の幾つかの出来事が思い浮かぶ。最も古いレベルだとノルマン・コンクェスト(ノルマン人によるイングランド征服)だろう。今から千年ほど前のことだが、フランスにいたノルマンディー公ウィリアムがイングランドの王位継承権を主張してグレートブリテン島に上陸し、戦いに勝利してイングランド王となった。これこそかの有名な「ノルマン・コンクェスト」であり、イングランドの王朝はこの交代で以後「ノルマン朝」となる。イングランドの歴史的な多数派民族はアングロ・サクソンだが、この征服をきっかけに、イングランドの支配民族はフランス語を話すノルマン人となったのである。
ならば、フランスから渡ってきたノルマン人もグレートブリテン島に上陸する際に白亜の崖を見ていたのかもしれない。ノルマン・コンクェストの際、ウィリアムらは「ヘイスティングスの戦い」で時のイングランド王を打ち破っているが、決戦の地となったヘイスティングスという場所はちょうどセブン・シスターズとドーバーに挟まれたような位置にある。イングランドを征服しにやってきたフランスの貴族が、南岸に広がる石灰岩の海岸線を見ていたとしても不思議ではない。

その後の歴史において、イングランドが直接軍隊に攻め入られて征服されることは一度もない。ただ、より平和的な形で海外生まれの王様をいただくということは往々にしてあり、このこともまたイングランドの歴史を決定づけた。特に、オランダやドイツからやってきた国王(それぞれウィリアム3世、ジョージ1世)はさほど内政に干渉しなかったため、アングロ・サクソンの民は議会のなかで自分たちの政治的権利を打ち立てていくことができた。大陸ヨーロッパからの隔たりは、支配層と被支配層との絶妙な距離感を生み出し、議会が王権を縛るように発達していく構造的な背景となった。
海峡の存在はナポレオンなど大陸の陸軍勢力が英国に到来するのを阻むバリアにもなったが、それは戦争が大規模化・高度化した20世紀に入っても変わらなかった。第一次・第二次世界大戦はいずれも大陸ヨーロッパを主戦場とし、グレートブリテン島の地上に敵軍が上陸することはなかった。たしかに空への侵入を完璧に防ぐことはできず、ロンドンはドイツ軍による大規模空爆の対象となった。しかし、それでもヒトラーはイギリス征服を1mmも果たせなかったし、ドイツ軍は地上に降り立つことさえできなかった。白亜の崖を見下ろしながら、なかなか屈しない英国に苦々しい思いをした敵軍の飛行士もいたかもしれない。

天気の悪さゆえ、戦争映画のワンシーンのようにも見える
視点を変え、帰還兵の立場から考えれば、ナチズムと戦った連合国軍の兵士にとって、白亜の崖は英国に無事帰ってこれたという安堵の気持ちを誘うものだったかもしれない。クリストファー・ノーランの映画『ダンケルク』でも有名なダイナモ作戦(1940年に実行)は、袋の鼠状態になった30万人の英仏軍を救い出し、多数の民間船を駆使しながら英仏海峡を渡らせる(英国側に引き上げさせる)というものだったが、あの時の兵士も命からがらドーバーのあたりへと帰ってきたのだろうと推察される。石灰岩の崖を目にし、「帰って来れた」と涙した人もいただろうか。
モッズとセブン・シスターズ
さて、歴史が降ると戦争の時代は終わり、大衆文化が華を咲かす。セブン・シスターズも大衆映画の舞台になっている。中でも、1960年代のイギリスを舞台にした「さらば青春の光(原題:Quadrophenia)」は、当時若者の間で流行っていた「モッズ」という族に光を当て、青春期のエネルギーとあっけなさを描いた名作である。
主人公たち「モッズ」の一同は、フレッド・ペリーのポロシャツや細めのシャツに、米軍由来のモッズコートをガバッと羽織る。モッズコートに身を包んだ若者たちが並ぶと、画面はまるでイギリスに広がる草地のような深緑に染まる。モッズコートはもともと軍服だが、そこに新しい意味を付与し、自分たちのアイデンティティとしたのは、全くもって平和な世界を生きる当時のイギリスの若者たちであった。
この作品で、モッズの若者たちはスクーターに乗ってブライトンの街へやってくる。狂騒に満ちた「青春」の舞台は、ロンドンほど息苦しくなく、海に開かれたブライトンなのだ。しかし、映画の終盤になって青春のまどろみが解けた主人公は、ひとりスクーターに乗ってブライトンの街を飛び出す。そのまま海岸沿いを走り続けてたどり着くのが、白亜の崖が広がるセブン・シスターズだ。スクーターの作った轍は草地の緑に刻まれていき、眼下には全ての鬱憤を飲み込むような海が広がる。

セブン・シスターズのスペクタクルは、映画の最後を飾るのにも、青年がひとりで自分と向き合うのにももってこいだ。自然の織りなす壮大な景色は、人に時間を忘れさせ、自らの心に問いかける時間をくれる。白亜の崖は、見る人の分だけ物語があるのだろう。
ところで、私の目には深い緑と白色の組み合わせが、セブン・シスターズの景色を作る配色もあり、かつモッズファッションの配色でもあるような気がしてしまうのだが、これは偶然だろうか。モッズコートから覗かせる白い襟が、まるで緑の草地の下に広がる石灰岩のように見えて仕方がない。

(どうでもいい図を作ってしまった)
牧羊地帯へのタイムスリップ
フットパスを進んでいくと丘の上には羊が現れるようになった。海辺のすぐ近くでも牧羊をやっているとは少し意外である。海辺だと潮風が強く植生も変わるような気もするが、崖の上だといくぶん緩和されるのだろうか。何より、悪天に耐え続ける羊たちの強さは馬鹿にできない。

いくつ超えただろうか。振り返って目に入る丘の数が増えてきたら、いよいよゴール地点のバーリング・ギャップに近付いている証拠だ。フットパスには次第に人が増え始め、再び観光地らしくなっていく。


民家が出てきて、少しホッとした。時間の余裕がないかと思い慌てて歩いてきたが、無事に帰りの電車に間に合いそうだ。ここからは白亜の崖にお別れをし、(行きとはまた別の)バス停に向け、30分から1時間ほど舗装路を歩く。車に追い抜かされるたびに少し辟易するが、そんな時に癒しになったのが羊たちのいる風景だった。果てしなく続くような広い丘の上で、ひたすら草をむしる羊たち。もふもふの毛に包まれ、丸っこいのが可愛らしい。

進んでいくと、とりわけ印象的な景色があった。煙突のあるお家が一軒。そこからのびる石垣と、点在する羊たちの影。なだらかな斜面を前に佇む石造りの家屋は、まるで中世にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えさせる。都会で生きる私からすればとても尊く、ずっと残しておきたいような景色だった。

泥だらけになった靴底を払いつつ、バスに乗ってイーストボーンに戻った。街は朝到着した時よりも人通りが増えており、若者もかなり多い。駅には大きな商業施設があって、家族連れを中心にたくさんの人が訪れていた。

こうして私はまた人波に飲み込まれ、この日は一旦ロンドンへ戻った。二度目のイギリスは今のところ自由自在だが、おそらくこの旅の勝負はロンドンを離れてからだろう。慣れた場所を離れ、自由自在ではなくなるときにこそ、旅の醍醐味を味わえるだろうから。
つづく・・・。
【参考文献】
Bullock, J., & Winney, B. (2024, October 9). What can Big Chalk achieve? Using maps to understand its potential. Big Chalk. https://www.big-chalk.org/news/what-can-big-chalk-achieve-using-maps-to-understand-its-potential
小関 隆(2021)『イギリス1960年代:ビートルズからサッチャーへ』中央公論新社.
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