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ロンドンにいて分かること、分からないこと【等身大のイギリス①】英国の政治経済


美しくて醜い英国?

美しい英国。
香り高いアールグレイに、バターとマーマレードがたっぷり乗ったスコーン。髪の流れを整え、羊毛のスーツに身を包む英国紳士。牧草地の広がる田園風景。花々のイングリッシュ・ガーデン。木を伝うリスと、小鳥のさえずり。ロックンロールの歴史を彩り、ビートルズを輩出した文化の国……。

醜い英国。
気の滅入るような曇天と、褒められたものではない質素な食事。プライドが高い階級社会。世界を蹂躙してきた歴史的な侵略者。民族を分断し紛争の原因を作り、責任から逃れる、通称「ブリカス」。経済の不調に苛まれ政治の混乱が絶えない旧工業国……。

イギリスには極端にポジティブな、あるいは極端にネガティブなイメージが同居しているように思われる。もちろん一部は表裏の関係にある(例えば甘美な紅茶文化と冷徹な植民地主義は密接に結びついている)のだが、「英国」は煌びやかに描くことも、醜く描くことも可能な国である。単にアテンションを稼ぐためなら、「美しい英国式ライフ!」とか、逆に「冷酷な大英帝国」とか、振り切ったタイトルをつけることだってできる。

ところで、名探偵のコナン君は「真実はいつも一つ!」と言うが、私のお世話になっている大学教授は「真実はいつも中間にある!」と仰る。両説がある際にどちらか一辺倒で考えてしまうと認識に歪みが出かねないから、ひとまずは中間あたりが真実なのだろうと見当をつけておくわけである。「英国」イメージにおいても、理想的に描きすぎると現実を離れるが、醜く描きすぎてもまた本質を捉え損ねる。絶品スイーツや英国紳士ばかりではないが、かといって全てのご飯がまずいわけでもないし、無慈悲さばかりというわけでもないのだ。極端なタイトルは避けておこうと思う。

ロンドンの街角


変動の渦中にある英国

理想的に描きすぎると、現実を見落とすことになる。このことは政治についても当てはまるかもしれない。

日本は「英国式」の政治に対する憧れを抱いてきた。現在、日本は議院内閣制を採用しているが、その源流は18世紀の英国にある。小選挙区制度を導入した平成の政治改革も、英国の「政権交代可能な二大政党制」を意識したものだった。イギリスの場合、議会制民主政治は保守党と労働党という二大政党が政権交代を繰り返すことで成り立っている。緊張感を保ちつつ、その時々の多数派政党が政権を担い、強力なリーダーシップで政治を主導する。「英国式」のメリハリの良さと統治能力の高さに、日本では高い評価が下されていた。

しかし、その認識だけでは不十分だろう。二大政党制は裏を返せば広範な妥協が困難な仕組みであるし、政権が揺らぐような難題を先送りにしがちなシステムでもある。加えて、伝統的な議会政治は今まさに足元から崩れ落ちている。二大政党の支持率は構造的に低迷し、現在の支持率第一位はリフォームUKという反移民の急進右翼政党だ。2010年代、EU離脱をめぐる混乱もあって保守党は党首交代を繰り返し、労働党も党内の対立やスキャンダルで振るわない。広い目で見れば両党ともに差異化が可能なまとまりのある政策パッケージを提供できなくなっている。

ウェストミンスター(議会)が混乱しているのは、イギリス社会全体に大きな変化のうねりが現れているからだ。

例えば、その一つに地域間の格差がある。20世紀末、英国は経済の軸足を競争力の乏しい工業から金融中心のサービス業に移し、結果としてロンドンなど大都市に富が集中することとなった。イングランド北部をはじめとした旧工業地帯は相対的に没落し、ロンドンのエリートへの反発的な感情が高まりを見せている。地方では雇用の不安定化に加えて公共サービスの停滞も相次ぎ、先行きに対する不安は根強い。

また、移民をめぐる対応はEUを離脱した今でも国を揺るがす大問題であり続けている。ヨーロッパは日本と比べるとはるかに移民に寛容な社会であり、イギリスもその例外ではない。しかしながら、多文化主義の浸透度合いには地域や社会階層によって大きな差異があり、移民・難民に否定的な世論はますます強まっている。先ほどの地域間の格差は移民問題が先鋭化する一つの背景にもなっている(後述)。

こうした変化する英国の姿を捉えるため、私の旅行は「等身大の」イギリスを探すことを目標にしたいと思った。英国を上げすぎもせず、かといって下げすぎもしない。社会・政治の大きな変動を迎えている国を、限られた時間ではあるがさまざまな角度から見つめ、実直に観察してみようというわけだ。その点で、続く私の旅行記は「美しいイギリス」でも「醜いイギリス」でもない、「等身大のイギリス」を探すものだ。


ロンドンという例外

2026年2月から3月にかけて、私はイングランドおよびスコットランドの諸地域を訪れた。バスと電車を組み合わせた一人旅である。宿泊地は基本的にホステルで、一部農家でのホームステイを含む。

訪れた地域
(ウェールズ・北アイルランドに行けなかったことを申し訳なく思う。その点、この程度の見識で「イギリス」の旅行記を書くことにも引け目を感じているが、ご容赦いただきたい。)

旅のコンセプトは一貫している。ずばり、イギリスのことはロンドンにいるだけでは分からない。より正確にいえば、イギリスを理解する上でロンドンは必ず訪れなければならないが、逆にロンドンにいるだけでは到底イギリスを分かったことにはならない。

そもそも今回私がイギリス一人旅を企画したのは、3年前にロンドンを訪れたものの、いまいちイギリスがどういう国か掴めなかったからだ。確かにロンドンはイギリスを代表する都市なのだが、かえってイギリスの中で例外的な地域であるように思われる。まずはそのことを、ロンドンの内側から確認してみよう。


再訪

ヒースロー空港。それは世界有数のハブ空港であり、今でもイギリスに到着する多くの人が最初に訪れる空の玄関口だ。ヒースローはロンドン都市圏の西に位置しているので、東から入ってくる多くの飛行機は着陸直前にロンドン中心部の上空を通過する。この際、窓の外には類を見ない絶景が広がる。

ロンドン上空を通過。
右のテムズ川を横目に、青く光るロンドン・アイや、庭園に囲まれるバッキンガム宮殿(画面中央の白い交差点付近)を確認できる。

この瞬間、飛行機の乗客は窓から見下ろすロンドンの夜景に釘付けになっていた。韓国経由の長距離飛行で疲れていた私も、この時ばかりは「いよいよロンドンにやってきたぞ!」という感覚に酔いしれた。降り立ったあとは、混雑している入国ゲートを無心で通過し、荷物を回収する。もう人生3度目の海外一人旅だ。この辺りの動作はゲームのようにこなす。

ヒースロー空港から市内に行く方法はいくつかあるが、今回はエリザベス・ラインという比較的新しい地下鉄に乗ってみた。予定通り、ハイド・パークに近いパディントン駅に到着。人影は少ない。

パディントン駅前

海外旅行をする人間は誰しも、初日にして大荷物のまま慣れない場所に移動しなければならないという試練がある。しかし、二度目の訪問となるとその土地の交通網や街の構造がなんとなくでもわかるから、少しは楽になる。今回、二度目のロンドンだった私は3年ぶりに自分のオイスターカード(Suicaのようなタッチ決済カード)を取り出した。数年の時を経てそのカードを再びタッチできたことに、ちょっぴり嬉しくなる。

駅から弱雨の夜の街を20分ほど歩いた。静かな住宅街を抜け、横に長いアパートメントの前を早足で進む。着いた。今回の宿は、一泊2750円というコスパ最強のホステルだ。今回は冬の旅行なので他の観光客が少なく、全体的にも宿泊費を抑えられたように思う。

宿泊したホステル

ホステルに入るとブラジル出身のスタッフが快く迎えてくれた。日本人はあまりいないかと思いきや、なんと私の他にも10人以上いるという(大人気だ)。日本人と海外で会うことにあまり喜びを感じないのが私の性なので少し萎える気もするが、それはロンドンに来ている私が悪い。

男女相部屋で、二段ベッドが一部屋に6台。シャワー・トイレも申し分なく、値段から想像していた以上の快適さだ。登山でテント生活に慣れている私からすると、水がもらえてフラットな寝床があるだけで素晴らしい住環境である。清潔感もあってありがたい。

ホステルの室内

私にとって、旅行初日の睡眠はいつも、目をつむりたい欲求よりも足を高く上げたい欲求に突き動かされている。飛行機でひたすら下に向けられていた足には血が溜まってすっかりむくんでいる。さっさとシャワーを済ませ、ベッドで足の位置を高くするのがいい。背負ってきた登山ザックの上に足を乗せ、目を閉じた。


静かな夜明け

翌朝、時差ボケしている私は朝4時に目を覚ましてしまった。凝り固まっている背中をほぐすには、ベッドで鬱々としているより、さっさと外に出て体を動かしたほうがいい。躊躇いなく外に飛び出すことにした。

前夜の雨で街はしっとりとしていた。道のタイルは鏡のように光を反射させ、誰もいない街を足元から明るくしている。明暗のコントラストの強い夜景は人工的な光の多い都市景観に特有のものであり、どこか心がくすぐられる。ロンドン地下鉄の駅舎は青い光を放っていた。

朝5時半。静寂に包まれた街で唯一、人影があったのはパン屋だった。店員のサイさんはウズベキスタン出身。日本で働くことも考えたが、英語の方が楽なのでイギリスを移住先に選んだのだという。

この店でクロワッサンとアメリカーノをいただいた。ロンドンで最初の食事が地元のパン屋というのは偶然にもなかなか良いスタートだ。早朝の店内には私のほかに、黄色いベストを着たワーカーの方や、コーヒーで体を温める地元の方がいらっしゃった。

腹ごしらえを終えた私はそのまま南下し、ケンジントン・ガーデンズに入った。しかしそこは真っ暗。英国王家の宮殿に面する公園のような空間なのだが、街灯が一つもない。青黒い空に木々のシルエットが浮かび上がり、不気味さと濃紺の深さが辺りを包む。ケンジントン・ガーデンズからハイドパークにかけての緑地帯はロンドン中心部では最大の面積を誇り、公園を進めば進むほど街の光から自由になる。

公園を突っ切って南端に辿り着くと、演劇場のロイヤル・アルバート・ホールが暖かなライトアップで浮かび上がっていた。名前の由来になっているアルバート公はヴィクトリア女王(1819-1901)の夫で、ホールに対面するように大きな銅像も建てられている。ちなみに、ヴィクトリア女王がイングランドの生まれ(というか、すぐそこのケンジントン宮殿での生まれ)であるのに対し、アルバート公はドイツ・バイエルンの生まれである。

ロイヤル・アルバート・ホール

ヴィクトリアとアルバートの間には9人の子供と42人の孫が生まれ、その多くがヨーロッパ各国の王族となった。特に孫関係にあたるジョージ5世(英)とニコライ2世(露)は、同じく孫のヴィルヘルム2世(独)と第一次世界大戦で敵同士となったことで知られている。この大戦が「いとこ同士の戦争」と言われる所以である。ケンジントン宮殿を横切り、アルバート公の銅像の前を通る十数分の散歩のうちに、この夫婦から始まるビッグファミリーに想いを馳せてしまうのは私だけだろうか。

ロンドンの街並みは相変わらず整然としていて美しい。1階部分が突き出した連結型の長屋に、白色か茶色で統一された低層の住宅群。建物の高さもわりかし均一である。世界三大都市に数えられるロンドン・ニューヨーク・東京はいずれも世界経済を支える大都市であり、世界中から観光客を集める一大観光スポットではあるが、景観の統一感ではロンドンが最も優れているのではないだろうか。


空間から見る政治学

ウェストミンスター駅を出るとすぐに、宝石のような輝きを放つビッグベンが現れた。目にするのは二度目のはずだが、正直これほど綺麗だっただろうかと驚かされた。時計の文字盤の周辺は金箔をまぶしたような、優しい煌めきがある。やはりここに来ると、ロンドンに来たという実感が湧き上がってくる。普段は観光客で溢れかえっているこのあたりも、早朝なので人影はまばらだ。

ウェストミンスター駅を出ると、すぐにビッグベンが目に入った

日本でもよく知られているように、ウェストミンスターは英議事堂の代名詞とも言える地名(日本で国会を「永田町」と呼ぶように)であり、南北に連なる大宮殿が、まさに議会として使用されているウェストミンスター宮殿だ。有名なのはその高さで一際目を引く大時計塔「ビッグ・ベン」だが、もう一方の端にはヴィクトリア・タワーというもう一つの塔がある。内部構造としてはビッグベンに近い方に庶民院が、ヴィクトリア・タワーに近い方に貴族院が配されている。まさにイギリス政治の中心地だ。

テムズ川から見たウェストミンスター宮殿(英議事堂)

英国の議事堂は、世界で一番立派な建築を頂戴している。そう言って反論する人はほとんどいないだろう。歴史ある建築、華麗な宮殿が議事堂として使われているのは偶然ではない。英国議会こそ議会制民主政治の歴史上の第一人者であり、英国という国の柱でもあるからだ。いくらアメリカの合衆国議事堂や日本の国会が立派に作られようと、歴史の重みがあるウェストミンスターには決して勝らないだろう。

英議事堂の象徴性・歴史性は首相府との対比でより一層際立つ。英国の政治システムはまずもって何よりも議会を重んじる政治システムであり、内閣は議会に生殺与奪の権を握られている。国民から直接選出される大統領制と根本的に異なり、議院内閣制における首相は議会での政権党首という要素が強い。そのこともあってか、首相府の空間的・建築的なインパクトはとても小さい。

イギリスの閣僚官邸はダウニングストリートという小道に連なっており、基本的にはこのうちナンバー10が首相官邸となっている。警備の頑丈な門から覗くと、そこに広がる景色は他の路地とさほど大差のない、ロンドンの(よくある)高級住宅といったような外見である。警備の厳重さから流石に目立つが、建物の見た目だけでは、そこが首相官邸とは分からないかもしれない。

ダウニング・ストリート
首相官邸であるナンバー10のあたり(画面右)

アメリカでホワイトハウスが大きな庭を従えてどんと構えていたり、日本で首相官邸が国会と向かい合っているのとは対照的である。ダウニングストリートはいわば「あっけない」のだ。もちろん、首相官邸が意外に小さいことは首相の権力が小さいことを意味しない。しかしながら、ウェストミンスターとダウニングの空間的な非対称性は、あくまで英国政府の権力基盤が議会に根ざしていることを象徴しているような気がするのである。

実際に訪れることでその国の政治文化に気付かされるところがあるとすれば、銅像などモニュメントもその一つだ。あらゆる人物のモニュメントは何らかの(政治的な)意図を持って作られたものである。ウェストミンスター宮殿の向かいの広場には複数の銅像があるのだが、中でも最も宮殿に近く存在感があるのが、ウィンストン・チャーチルの銅像だ

第二次大戦中の宰相として有名な彼は、今でもイギリスを代表する政治家であり続けている。戦禍のロンドンに留まりながら国民に連帯を呼びかけ、米国のフランクリン・ルーズヴェルトとともに戦後世界を構想したこの政治家の偉大さは、現在も褪せるところがない。

思えば、戦後世界に影響を与えた大政治家といえば英国のチャーチル、ドイツのアデナウアー、日本の吉田茂などがおり、こうした「宰相」たちがそれぞれの国にもたらした決定や変化は不可逆的なものだった。彼らはそれぞれの信念に突き動かされていたように映る。戦争という極限的・例外的な政治状況を経験したこの世代は、そこから政治、いやより広く人間社会についても真理のようなものを得たのかもしれない。そんな彼の銅像はいま、何を訴えんとして立っているのだろう。彼の眼光はウェストミンスターに注がれている。


広場の街・ロンドンを歩く

さて、ここでロンドンの観光スポットについて取り上げてみたい。私は23年の夏と26年の冬に訪れたことがあるだけなので、現地に留学している友人などに比べたらロンドンを語る資格などない。ただ、今回の幅広い旅行の文脈の中でロンドンを位置付けるために、少しこの街の有名どころを紹介しておこうと思う。以下、一部に23年の夏の写真を含む。

ウェストミンスターと並んで多くの人が訪れるのはバッキンガム宮殿だろう。この宮殿内に王が住んでいるわけではないが、外国の公使を招く晩餐会など、各種の公式行事の際に使われている。普段から近衛兵の行進を見られることで有名で、いつも大変多くの観光客で賑わっている。

バッキンガム宮殿(23年夏)

私にとって印象的なのは周辺の構造だ。写真には写っていないが、宮殿の両脇には広大な緑地が広がっており(グリーン・パークとセント・ジェームズ・パーク)、宮殿の正面からは一直線の道路が長く伸びる。このうち、一直線の道路を行けばトラファルガー広場に通じ、セントジェームズパークの南端を伝っていけばウェストミンスターに至る。ちょうど、宮殿の目の前が交通の結節点になっているのだ。

ロンドンの都市構造は面白く、主要な広場の一つ一つがハブのようになり、それらを結ぶように道路が走っている。そもそも広場という概念(公園ではない)が縁遠い東京と比べると大きな違いだ。セント・ジェームズ・パークを三角形に見てとれば、角をなす3点がいずれも大きな広場になっている(バッキンガム宮殿の広場、トラファルガー広場、ウェストミンスターの広場)。言うなれば、王家の空間と市民の空間、議会の空間とを結ぶ、イギリスの政治・社会を凝縮したようなトライアングルになっているのだ。

バッキンガム宮殿、トラファルガー広場、ウェストミンスター前の位置関係

広場というのは羨ましい空間である。開放的で見晴らしがよく、一気に人を集めることができる。市民はこの公共空間を自由に使い、思い思いの時間を過ごす。広場は時に、パレードや抗議活動など政治集会の場にもなり、民主政治の第二の回路を提供する。ロンドンは東京・ニューヨークと違って広場が多いというのが私の感想だ。ロンドンは「広場の街」である

中でも、とりわけ有名でかつ名前にも「広場」と入っているのが、美術館ナショナル・ギャラリーに面したトラファルガー広場だ。かつては美術館と広場の間に車道が走っていたらしいが、広場の拡張により一体となった。名前の通り、ナポレオン時代のトラファルガー海戦(1805年)での英国の勝利(仏西連合軍を破った)を記念したもので、広場にはネルソン提督の柱上の像と噴水がある。

トラファルガー広場(23年夏)

この写真を見ればお分かりだと思うが、夏の日の、天気の良いロンドンは素晴らしいことこの上ない。緑も日光を浴びて元気そうに見えるし、人々も生き生きとしている。

広場周辺(23年夏)

一方、広場に面したナショナル・ギャラリーも屈指の名美術館だ。大英博物館と同じく(現時点では)入場無料で運営されており、観光客が非常に多いのが難点だが、美術の教科書で見たことのあるような名画がいくつも展示されている。ちなみに私のお気に入りはアルノルフィーニ夫妻像だ。小さいキャンバスであるにもかかわらず、鏡の反射の中まで細かく描写されている。こうした点には現地で作品に近づいてみて初めて分かることなので、名画が集まっているだけでもロンドンは訪れる価値のある都市の一つであり続けるだろう。

ナショナル・ギャラリー(26年冬)

トラファルガー広場を北西に抜けると、こちらもよく知られた繁華街、ピカデリー・サーカスが現れる。先ほどまでの政治・社会的な広場とは打って変わって、こちらはショッピングエリアだ。すぐそばから、ブランド街の連なるリージェント・ストリートが伸びている。赤いロンドンバスが行き交い、観光客が大きな手提げ袋を持って行き交うこの場所は、まさにロンドンがいかに観光地であるかを物語っている。

ピカデリー・サーカス(26年冬)

自由な公共空間が大好きな私は、最初から広場と決められた場所でなくとも自然と人が滞留する空間が好きだ。テムズ川沿いもその一つ。散歩する人や移動で通りかかった人々が気軽に腰掛け、川を眺めたりおしゃべりに興じたりしている。

テムズ川沿い(23年夏)

もちろんロンドンは歩いているだけで楽しい街である。しかし、せっかくなら市内を走る赤いバスに乗ってみるのもおすすめだ。特に2階の一番前から見る景色が良い。歩いているだけでは見えない視点で街を観察できるだろう。

タワー・ブリッジ付近。バス2階席から(23年夏)

先ほどナショナル・ギャラリーを紹介したので、こちらも紹介せざるを得ない。そう、大英博物館である。ロゼッタ・ストーンやモアイ像、ギリシア彫刻など世界中の逸品が集められたこの巨大ミュージアムは、当然多くの観光客にとっての主要な目的地だろう。

大英博物館

入館無料で貴重な作品を楽しめるこの博物館は、もちろん素晴らしい場所ではあるのだが、一方で、これだけ世界中のものがこの場所に集まってきたのは帝国主義の過去があってこそでもある。博物館の正式名称は The British Museum であり、それ自体では「イギリス博物館」と言った具合だが、日本語訳の「大英博物館」がどこか「大英帝国」を想起させるのも間違っていない。何しろコレクションの多くは、大英帝国がその権力をほしいままに、世界中から収集してきたものだからだ(後進であり、地道に収集を重ねてきたニューヨークのメトロポリタン美術館とは対照的だ)。この帝国主義性の問題はイギリスのほぼあらゆるミュージアムにつきまとう。


「聖地巡礼」はあなた次第

せっかくロンドンを訪れたなら、聖地巡礼もおすすめだ。定番は『ハリー・ポッター』や『シャーロック・ホームズ』の聖地巡礼だろうか。しかしロンドンに関係する映画や作品は、これらに限らず五万とある。だからみんなが知っているような超有名な聖地でなくても、あなたにとってそれが聖地であるようなスポットが、ロンドンにはたくさんあるかもしれない

ある人にとってはただの路地裏でも、ある人にとったら大好きな作品のロケ地かもしれない。ある人にとってはただの駅前でも、ある人にとったら大好きな映画の名シーンの舞台かもしれない。ロンドンはそういう街だ。

私の場合、ロックバンドのオアシス(oasis)が大好きなので、セカンドアルバム「(What's the Story) Morning Glory?」のジャケ写の撮影スポットは真っ先に行くべき場所だった。オックスフォード・ストリートからSOHO地区に向けて進んでいくスポットであり、賑やかでアクセスも良い。

「(What's the Story) Morning Glory?」ジャケットカバーで使用された路地(26年冬)

3年前も足を運んだのだが、今回も再訪せずにはいられなかった。アルバムカバーは朝を舞台としており、見知らぬ人同士の匿名性とミステリアスさが際立つデザインだ。一方、日中に現地を訪れてみると想像以上の人の多さに驚かされる。つまり、あのアルバムカバーから漂ってくる緊張感は、まだ街灯もついて消えていないような明朝のタイミングだからこそのものなのだろう。現地に行くとそんなことにも考えが及ぶ。

ロンドンにはビートルズ(The Beatles)のアルバムで有名なアビイ・ロードもある。こちらは住宅街の中なので少しはずれにあるが、一見の価値はあるだろう。

ちなみに、もしあなたがロンドンに「クール」な街という印象を抱いているなら、それは音楽やファッション、映画やドラマなどに渡るポピュラー・カルチャーの爆発的発展、すなわち「文化革命」によるところが大きい。ちょうどビートルズの時代の現象である。

今となっては意外なことだが、戦後すぐのロンドンは「老人の街」と揶揄されるような古臭く堅苦しい街だった。しかし、1960年代以降は「豊かな社会」の到来とともに、既存の価値観に縛られない若者を集め、反権力のカルチャーや因習をとっぱらった新しいファッションを育んだ。新たな消費社会のメッカとなったロンドンは、世界に誇るカルチャーを生み出し、それがさらにのちの世代によって模倣・反発される中で「クール」なイメージを維持してきたのだ。

音楽に引き続き、映画の聖地についても触れておきたい。今回の滞在中、私が念願叶って訪れることができたのが、テムズ川に面したMI6の本部ビルである。ご存知の方も多かろう、MI6とはイギリスのインテリジェンス機関で、アメリカのCIAと並んで有名なスパイ組織である。『007』シリーズをはじめとした数多くのスパイ映画で登場するこのMI6本部ビルは、かねてから生で見てみたい場所だった。なぜなら建築そのものが本物とは思えないほど個性的だからだ。まさに「スパイ組織の城」。映画の中のイメージに過ぎないだろうと思われても不思議ではない。

MI6本部ビル

実際に訪れて壮観だった。本当に映画でみたままの「スパイ組織の城」が目の前にそびえ立っているのだ。実物が先で映画が後なのは当然わかっているが、映画で描かれるMI6ビルが別に誇張でもなんでもなく、実際に存在するビルなのだから感心してしまう。

ロンドンの「駅」もそれぞれが何かしらの作品の舞台になっていることがある。『ハリー・ポッター』に登場するキングス・クロス駅は「9と4分の3番線」で非常に有名だが、それだけではない。2007年公開の『ボーン・アルティメイタム』では(ロンドン・アイにも程近い)ウォータールー駅にて、主人公がCIAの監視を欺きながら逃げるというシーンが登場する。また、1960年代のユースカルチャーを描いた映画『さらば青春の光』(原題Quadrophenia)では、全てを失った主人公が一人ヴィクトリア駅を訪れ、新たな一歩を踏み出すという場面がある。

ヴィクトリア駅前(26年冬)
乗客で賑わうウォータールー駅(26年冬)

駅は、余所からロンドンを訪れた人々、逆に、ロンドンから新たな地へ向かう人の交差する場所である。物語において、駅は新たなステップへ踏み込む玄関口となる。人混みをかき分けているうちに、自分が群衆の中に溶け込んでいくような気持ちにもなる。忙しなく人の行き交うロンドンの駅で、それぞれの物語を思いながら人並みを眺めるのも悪くない。


再開発と格差、均質都市

ここまで、ロンドンの文化的な「クールさ」を強調してきたが、ロンドンを突き動かす構造そのものは文化とは限らない。むしろ、資本主義の中心地でもあるロンドンにとって、都市の構造や帰趨を左右するのは経済的なロジックである。時に、それは人間性を押しつぶすような開発をも伴う。

ロンドンといえば赤青のロゴがアイコニックな地下鉄「チューブ」が有名だが、中心地を離れると地上を走るライトレールを目にすることもある。中でも、先進的な仕組みを採用しているのがDLR(ドックランズ・ライト・レイルウェイ)だ。ドックランズと呼ばれるエリアを走っており、先頭に操縦士のいない自動運転の高架鉄道である。東京で例えるならゆりかもめに近い。

DLR(ドックランズ・ライト・レイルウェイ)の先頭車両。自動運転で乗務員室はない

ゆりかもめが東京の臨海部に作られたのと似て、大抵こうした現代の都市型ライトレールというのは再開発の一環で敷かれるものである。ドックランズもこの例に漏れない。ロンドンには面する海がないので臨海というより「川沿い」になるのだが、ドックランズ一帯にはかつて荷物の積み下ろしや保管を担う港湾施設があった。

20世紀後半になると、この地域は衰退の一途を辿る。港湾というのはまず何よりも深さが重要だからだ。物流の世界でコンテナが一般化し船が巨大化するにつれて、土砂堆積の激しいテムズ川まで入ってくる船は少なくなり、港湾業は川沿いから海沿いの大型港へと移っていった。一方、こうしてロンドン中心部の東隣に発生した巨大な衰退地域「ドックランズ」は、産業の空洞化と失業率の増加、治安の悪化に苦しむことになった。

ところが、ドックランズはここから大変貌を遂げることとなる。1970年代に漸進的に計画が始まり、2000年代初頭には高層ビルが続々と建設されていったのだ。この際、再開発に拍車をかけたのがイギリス経済全体の金融シフトだった。詳細は後述するが、金融経済が肥大化するのに伴って、ドックランズの一部、特にカナリー・ワーフ(Canary Wharf)と呼ばれるエリアにはHSBCなど世界を代表する大手機関が集積するようになった。荷揚げ場だった衰退地域は、再開発を経て金融業のお膝元へと大変貌を遂げたのである。

DLRから望むカナリー・ワーフ(Canary Wharf)

しかしその大変貌に、諸手を挙げて褒めるわけにはいかない。再開発を行うと、それまで住んでいた人々が半ば強制的に押し出される「高級化」(ジェントリフィケーション)現象が生じてしまうからだ。貧困層向けの住宅がなくなり、中高所得者向けの街に変貌することで、一帯の住宅価格も上がっていく。「綺麗で高級な街」は新天地に生まれたのではない。そこにはかつて住んでいた人々がいたのであり、コミュニティや社会があったのだ。再開発は必然的に破壊と排除を前提とする。

ロンドンはざっくりいえば「豊かな西と貧しい東」という地理的な格差のある街だが、ドックランズの再開発によって部分的な高級エリアが誕生すると、格差は東ロンドンの内部というよりミクロなレベルでも拡大することになった。実際に歩いてみると、再開発エリアの内部と外部とでは全く異なる風景が広がっている。同じDLR沿線でもテムズ川の南側は廃れており、地域の平均所得、犯罪率など、多くの指標で如実な差がある。

Deptford Bridge駅周辺
旅行中、近隣のホステルに一泊した

テムズ川南岸のNewcrossからDeptfordにかけてはカリブ系をはじめとした移民が集住してきたエリアでもある。新しい金融街にやってきたエリートと、再開発の「外側」に生きる人々とでは、暮らしぶりも社会的な属性も大きく異なるのだ。

地理的なギャップが激しい


加えて、経済合理的な再開発は人の心を潤すとは限らない。東京でもそうだが、人工的に計画された街はどこか無機質で深みを欠き、遊び心がなくつまらない。効率性と合理性のために「綺麗」に創られた都市環境は、人間が本来必要とするようなノイズが極端に少ないのだ。まるで人間性を欠いた再開発で、私たちはますます擦り切れていく。そんなカナリー・ワーフの再開発を横目に、Radioheadは「Fake Plastic Trees」という曲を出している。歌詞の中で、街はゴムやプラスチックでできた偽物の世界に喩えられる。


さらに皮肉なことに、最近では在宅勤務者の増加やロンドン中心への回帰に伴ってカナリー・ワーフの賑わいは薄れる一方だという。都市の周縁的なエリアを再開発してオフィスを作ったはいいものの、つまらない上に使いづらく、結局見切りをつけられ始めているのだ。当事者のコメントを紹介しておこう。

「どうしてこんなところをオフィスにしたのか。20年前の経営者に言ってほしい」。米系金融機関に勤める40代男性は不満を漏らす。ビルの並ぶオフィス街は人工的で殺風景で、特に在宅勤務者が増える月曜と金曜は、通勤時間帯でも人が少なく、活気を感じないという。

日本経済新聞電子版(2023年12月20日)「ほころぶ英新金融街、コロナ禍後に拠点分散が加速」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR04CD10U3A201C2000000/



金融市場の肥大化と人々

さて、翻ってロンドンの中心部シティである。こちらこそ伝統的な、いわば本家の金融街である。現在も英国の中央銀行であるイングランド銀行を抱え、経済・金融の中心となっている。

イングランド銀行(左)と王立取引所(中央)

古くは17世紀末、国民国家の成立と同時期に国債が始まったのもこの場所である。当時、国債は国家が安定して戦争を遂行するための財政的な仕組みだったが、他にも海運業のためには保険が、民間の投資のためには金融が発達することとなった。こうしたインフラは大英帝国の経済力を育み、戦勝や海洋進出、植民地開拓に貢献することとなる。パクス・ブリタニカを支え、その後世界中に広まる経済システムを先導して築いてきたのがロンドンのシティなのだ。

現在のシティでは、ガラス張りの高層ビルが王立取引所の背後にまるで張り付くかのように聳え立っている。こうしたビル群の多くは1980年代以降に作られたもので、その背景にあるのが政府の方針転換によってもたらされた「金融ビッグバン」だ。

これは英国に限った話ではないが、冷戦が終結に向かう時代には新自由主義が西側諸国を席巻し、政府は国民経済の舵取り役から撤退していった。雇用と賃金を守るケインズ主義的な色彩が弱まり、国際的な資本移動の自由化など、金融市場の規制緩和が進んだ。イギリスでは、サッチャー政権(1979-1990)がこうした転換を強力に推し進めた。

金融経済とは不思議なものである。モノの売買によってイメージされるような実体経済とは異なり、金融経済では経済活動そのものが取引対象となり、利潤が利潤を呼ぶ。冷戦終結以後、グローバルな市場のもとで金融経済は巨大な怪物のようにぶくぶくと膨らんでいくようになった。この過程でロンドンは世界随一の金融センターとなり、シティの繁栄を加速させた。なお、現在のシティは年間で「700億ポンド(およそ11.4兆円)を稼ぎ出」しているという(日本経済新聞「シティー、世界2番目の金融街」)。

ロンドンのシティ

もちろん、繁栄は一面的なものである。繁栄の裏には当然衰退を迫られた諸地域があり、金融業への偏重は、富のロンドン一極集中を意味する。経済の重心が移り、イギリス社会の地域間格差が拡大することで、「取り残された」と感じる人々が必然的に増えていく。サッチャー政権の時代には民営化に対する大規模な抗議活動や非難がイングランド北部などで爆発したが、こうした強烈なルサンチマン(怨恨)は現代にも通じるところがある。時代はサッチャーの延長線上にあり、格差は広がる一方だからだ。

特に90年代後半には労働党政権(ブレア政権)が戻ってきたにもかかわらず、経済重視の政権運営の中で労働者の要求が顧みられることはなかった。このことは単に政治家のせいにもできない。グローバルな競争を迫られる中で、歴代政権の取りうる政策の選択肢は実質的に経済界・金融界の意向に制約され、民衆のルサンチマンは構造的に抑え込まれることになったからだ。

現在、イギリスで生じている二大政党への不信や民衆層の急進化は構造的なものだ。格差が広がり、閉塞感が漂う一方で、ロンドンのエリートは自分たちの声を聞いてくれない。周縁に置かれた多くの地域で「反ロンドン」の感情が強まっている。

タワーブリッジから見たロンドン。右がシティ

「移民を追い出せ」という類の主張が蔓延し、国民世論がEU離脱や移民排斥を支持することにも、こうした背景がある。日本では「最近のイギリスは移民で大変なことになっている」という言説も少なくないが、注意が必要である。経済的な不満が募る中でこそ移民排斥が草の根の支持を集めやすくなるし、政治の取りうる政策が制約される中でこそ、差別の危険を孕んだ「人種カード」が政治家にとって票を集める最後の切り札になってしまうのだ。

こうした変動は、ロンドンにいるだけでは分からない。「反ロンドン」がキーワードになる今のイギリスでは、ロンドンの外側に出てこそ見えるものがあるはずだ。


つづく・・・。



【参考文献】

  • 池本 大輔(2025)『サッチャー:「鉄の女」の実像』中央公論新社.

  • 小関 隆(2021)『イギリス1960年代:ビートルズからサッチャーへ』中央公論新社.

  • 高安 健将(2018)『議院内閣制―変貌する英国モデル』中央公論新社.

  • 中山 洋平(2025)「西ヨーロッパにおける自由化・市場化の進展と反移民急進右翼政党の『主流化』:世紀転換期の民衆層急進化の政治史に向けて」水島治郎編『アウトサイダー・ポリティクス』岩波書店, 30-54頁.

  • 日本経済新聞電子版(2024)「英シティー再起動、欧州金融が回帰 歴史が醸す底力」『日経ヴェリタス』1月19日.

  • 日本経済新聞電子版(2022)「シティー、世界2番目の金融街」 5月6日

  • 若松 邦弘(2025)『わかりあえないイギリス:反エリートの現代政治』岩波書店.


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