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もう「甘くない」北海油田と産業の転換【等身大のイギリス⑩】アバディーン

スコットランドと聞いて、石油を思い浮かべる人は多くないかもしれない。しかし、1970年代に北海油田が開発されて以来、イギリスはスコットランド沖の海域に多数の海底油・ガス田を持つ資源国となっている。その最大の基地となったのが、スコットランド北部の都市アバディーンだ。かつて漁業・造船業で栄えた港には作業船が行き来するようになり、流入したオイルマネーは経済のみならず政治をも変えた。スコットランドがイギリスから独立する日は来るのか。北海油田の将来は、この点を考える鍵でもある。


前回はこちら:


人生最北へ

エディンバラを後にし、バスに乗ってスコットランドを北上した。今回、私がアバディーンを目的地に含めた理由は二つある。まずはこの地が「ヨーロッパの石油の首都」と呼ばれるように、資源開発の重要拠点となってきたこと。もう一つは、単純に緯度が高いこと。どうせイギリスに行くなら、南北広く縦断することで地理や街並みの変化を味わいたいと思った。時間が足りず、本当の最北端に行くことは叶わなくても、スコットランド北部(ハイランド)の都市を一つくらいは訪れようと考え旅程を組んだ。

アバディーンの位置

アバディーンは北緯57°に位置し、北海道(北緯41~45度)よりもずっとずっと北にある。世界地図を確認してみると、アバディーンを通る北緯57度線はコペンハーゲンやモスクワ(いずれも北緯55度)よりも緯度が高い。北緯57度線以北の大都市はスウェーデンのストックホルムやロシアのサンクトペテルブルクなどに限られる。

アバディーンを通る北緯57度線

私は旅行好きの友人を多く知っているが、これほど北に行ったことがある人は多くないだろう。もちろん、北欧に行ったことがあれば難なく越えられてしまう経験ではあるのだけれど。少なくとも、この日の私は人生最北の地に到達できることにワクワクしていた。

スコットランドの北部は古い山が広がり、台地や丘陵に村落が点在している。日本のような新期造山帯ではないので、山容はなだらかだ。冬の乾いた空が少し寒々しい。

このあたりは大河が多く、海に沿って走る道路はしばしば長い橋の上を通る。ひときわ目を引く鉄道橋は、19世紀末の完成時に世界最長の橋となったテイ橋だ。河口がラッパ状に開いた三角江を跨いでおり、全長3kmもある。

テイ橋(Tay Rail Bridge)

しばらくして、バスはダンディーという小さな街に停車した。かつて製造業で栄えた地域だが、20世紀末から産業の空洞化が進んでおり、街並みはすさんで見える。こうした旧工業地帯では、生活を圧迫された有権者が政治的に急進化し、独立運動や移民排斥の急先鋒になってきた。(高齢化が進んだ日本の地方とは違って)若者は多いものの、あまり治安の良さそうな印象は受けない。

都市を過ぎれば、またすぐに田舎になる。ところどころ目につくのが風車だ。イギリスは大西洋から北海に抜ける偏西風が年中吹いているため、風力発電には最適な地域だ。国内のエネルギー供給は2026年7月時点でガス(34%)、風力(24%)がトップ2を占めており、国際比較で見ても、風力発電の占める割合(電力構成比)は全世界で6位となっている。

農村と風車

風力発電の普及は政府が強力に推進してきた施策であり、世論の支持も大きい。建設コストの上昇など短期的な変動要因もあるが、過去10年ほどで着実に浸透し、東海岸を中心に陸上・洋上の風力タービンが多数建設された。新たなエネルギー産業は脱炭素に貢献するだけでなく、建設や維持に伴って新たな雇用を創出する。今や、洋上風力の保守・点検は英国内の一大産業となっている。

エディンバラを出てから3時間ほどでアバディーンの街に到着した。外気が冷たく、北上してきたことを身をもって感じる。ダウンを着込まないと外に出歩けないほどだ。窓の内側には結露した水滴がついていた。


花崗岩の街

アバディーンは花崗岩(granite)の街として知られている。近辺で産出される花崗岩が一般的な建材として使われており、街はどこを見ても白〜灰色が基調になっている。これだけ花崗岩が使われているのは、単に入手が容易であることに加え、室内の蓄熱など気候への対応とも関係しているかもしれない。重厚で割れにくい花崗岩なら、気温の変化や凍結にも強いだろう。

花崗岩の街並み。少し圧迫感がある。

ただ、花崗岩は見た目が重苦しい。大通りや広場など目立つところで使われていれば、重厚で格式高い雰囲気を生み出すが、狭い路地に使われていると圧迫感がある。実際、花崗岩の建物に挟まれると、少し息苦しく、寒空がさらに冷え込んで感じられてしまう。私が向いていないだけかもしれないが、個人的にはマンチェスターのような赤煉瓦の街の方が、路地裏を歩いているときに落ち着きを感じる。

先ほどから寒さを強調しすぎてしまったが、実は北緯57度という緯度の高さを考えると、アバディーンの気温はそれほど低いものではない。暖流の北大西洋海流が流れているために暖かい空気が流れ込みやすく、なんなら冬は札幌よりも気温が高い。3月の平均気温で比べると、札幌が1.1℃〜2.0℃であるのに対し、アバディーンは3〜6℃前後ほどである。これだけ緯度が高くても快適に人が住めるのは暖流のおかげだ。

とはいえ、寒いものは寒い。私は襟まで羽毛の詰まったダウンをみっちり着込んで外に出ていた。夕方は冷たい風が吹きつけ、暖かな陽だまりもなくなる。そんな中、私はある集団に後ろから追い抜かれて衝撃を受けた。若い女性たちが、肩もへそも隠さぬ露出コーデで闊歩していたのである。信じられない。なぜこの気温で平然と真夏のような格好をできるのか。スコットランドの若者とは分かり合えないかもしれない。

追い抜かされて、衝撃を受けた

彼女たちは大きな声で言い争うように話しながら歩いており、3人揃ってベイプ(電子タバコ)を吸っていた。その少し攻撃的な足取りが、今のアバディーンを象徴しているような気がした。大通り沿いの商店はところどころシャッターが降りていて、道路の工事はなかなか進まず資材が置かれたままになっている。街に迫り出した時計は壊れていて、間違った時刻をさしたまま停止している。市内の中心部であるにもかかわらず、ゴミが散乱し、落書きが多く、あまり調子のよい印象は受けない。

動かなくなった時計

街の失業率は特別高いわけではないし(グラスゴーやダンディーの方が高い)、産業が空洞化しているわけではないのだが、全盛期と比べて右肩下がり、というのが近年の現状である。北海油田のみに頼る資源確保は年々厳しさを増しており、2000年以来は一貫して減産が続く。イギリスは一時期、原油の純輸出国にさえなったが、現在は再び純輸入国となっている。

夕暮れのアバディーン

ただ、資源開発の拠点としてのアバディーンの役割が終わったわけではない。海に向かう下り坂から見下ろすと、建物の切れ目から大きな船体の一部が覗いていた。アバディーンから北海油田の拠点までは200kmほどあり、この港を出入りする船が開発資材や担当人員の輸送を担っている。

下り坂の先に停泊する船

日が暮れてから現地のショッピングモールを訪れた。広大な駐車場にほぼ満車状態になるほど多くの車が並んでおり、館内は家族連れや若者で賑わっていた。こちらは高級感もあり、廃れた印象は全く受けない。

駅がショッピングモールと繋がっている

おそらく、客のほとんどは郊外から出かけてきた人たちであろう。郊外の自宅から車を走らせ、家族でお出かけにやってきた、というようなケースが多いはずだ。落ち目な街の中心部に対し、ショッピングモールが賑やかに見えるのは、この客層の違いに由来しているかもしれない。

実際、アバディーン市域の所得マップを確認してみると、郊外の住人ほど平均所得が高くなる傾向にあり、ショッピングモールを訪れている客の多くは郊外に住む豊かな人々であると推察できる。廃れた街の例外的な賑わいは、郊外からもたらされていたのだ。一方、街の中心部は産業も雇用も空洞化の様相を強めている。


空っぽの市街

翌朝、日に照らされた花崗岩を見て、少し印象が変わった。重苦しいことには変わりないが、日光が花崗岩の中の白い結晶を照らし出すと、ピカピカと光って白っぽく映る。これは確かに綺麗だ。どこに行っても建材は花崗岩だから、街並みには他の都市では決して見られないような統一感がある。

朝のアバディーン

アバディーンの街並みは、あまりイギリスから連想されるような風景ではないだろう。私自身、アバディーンを知る前にこの写真を見せられていたら、ロシアや北欧のどこかだと考えたはずだ。

もう日曜の朝の10時になるのに、中心地のユニオン・ストリートの人影はまばらだった。高緯度帯でかつ冬なので太陽が低いのは当然だが、がらりとした光景は、まるで朝6時台のような静けさである。店は11時までどこも開かないようだ。田舎だとこんなものだろうか。とはいえ、私が数日前に滞在した農村地帯のヴィレッジの方がまだ活気があったし朝が早かった。アバディーンはこれだけ建物があり見た目は立派な都市なのに、どうも寂しげな印象がある

アバディーンの市街は低層の商店ばかりが連なり、ホワイトカラーが入っていくような大型のオフィスはない。市街の中心部に産業がないからだ。統計を見てみると、労働人口は鉱工業に12.7%と偏りを見せており、これは全国平均の0.2%と比べて60倍以上(約63.5倍)になる。逆に、高次のサービスセクターは集積度が低く、関連オフィスや技術拠点の多くは郊外のビジネスパークに位置している。アバディーンの中心部にはオフィスビルなど、大きな雇用を生む施設がないのだ。

どの店も開いておらず行くあてがないので、とりあえず教会の庭を散歩して時間を潰した。ベンチでは餌をばら撒くおばさんが数十匹の鳩を集めている。ゴミ箱を漁るホームレスとすれ違い、酒を片手に肩を組むアルコール中毒おじさんたちと距離をとりながら通りへ出た。特別危険なエリアではないのだが、廃れた都市特有の体感治安の悪さを感じてしまう。

教会
開放的な青空に囲まれると花崗岩の建築は孤高の輝きを見せる。
しかし街の雰囲気が良いわけではない。


産業構造の転換

遅い朝ごはんにサンドイッチを食べたら、12時を回っていた。これでやっと開館の時間になったので、かねてから目をつけていたアバディーン海洋博物館(Maritime Museum)に向かった。アバディーンの産業史や北海油田の開発についての展示が充実している博物館だ。海洋全般の基礎知識や海洋の事故、レスキューについても紹介されている。

かつてのアバディーンは静かな漁村であった。そんな地域にとって、「最初のオイル・インダストリー」となったのが捕鯨業だ。くじらは単に食肉になるだけでなく、工業用の油にもなる。むしろ、ヨーロッパにおいて捕鯨の第一の目的は鯨の油、すなわち「鯨油」を入手することにあった。捕鯨業は高収入の仕事ではあったが、当然ながら危険が多く、帰ってこない者も多くいた。今も昔も、海での仕事に危険はつきものだ。

アバディーンの産業に携わってきた労働者たち。造船業、漁業、水産業など。
水産業従事者には女性が多い。

やがて、アバディーンは造船業で繁栄を迎える。19世紀、アバディーンではおよそ1000隻もの帆船(tall ship)が製造されたという。北海に面したアバディーンはスカンディナビア半島に近く、北海を通じて北欧やデンマークに向かう玄関口となった。また、アバディーンの造船は大英帝国の海運を支え、搾取的な貿易や武器の運搬にも間接的に貢献することとなった。

「アバディーンの造船、貿易と帝国」

アバディーンの産業は常に北海と密接な関係にある。かつての漁業が海を舞台にしているのはもちろんのこと、続く造船業、石油産業も全て海と関係している。現在転換が進んでいる風力発電についても、洋上風力となればやはり海と切り離せない。アバディーンは眼前に広がる北海を活かしながら、時代ごとに産業構造を変えてきた街なのだ

そんなアバディーンだが、実は日本とも繋がりがある。長崎に造船や採炭の技術を持ち込み、日本の近代化に貢献したトーマス・グラバーがこの街の出身なのだ。長崎の「グラバー邸」で有名なあのグラバーである。渡航後、彼は日本語を操り、当時の政局をよく理解しながら日本の人々と交流を重ねた。もとは武器商人だったが、造船所や炭鉱の創設・経営にも携わった。アバディーン海洋博物館にはグラバーに関する展示があり、日本との結びつきが紹介されていた。

グラバーに関する展示


浅い海と北海油田

さて、この博物館を訪れる最大の意義はやはり北海油田についての理解を深めることにある。北海油田は1960年代から開発が始まり、石油危機のあった1970年代に採掘が本格化した。イギリスやノルウェー、デンマークなどの各経済水域にまたがっており、海上には多数の掘削基地が建設されている。海底を通るパイプラインは、掘削された石油・天然ガス資源を各国に直接供給している。

北海油田の基地

中東の石油頼りでオイルショックに見舞われたヨーロッパにとって、北海油田の発見は「棚からぼたもち」というべき幸運だった。その際、油田開発が可能になったことには地理的な条件があった。それが、海底の浅さだ。イギリスの海岸部はどこも遠浅の海岸が広がっているのは有名なことだが、北海も広く大陸棚が広がっており、立体図を見れば、海底の浅い位置でイギリスから大陸部までが一続きになっているのがよくわかる。

北海をはじめ、イギリス周辺の海域は水深が浅い

浅い海底は資源開発に有利に働く。地下資源は海底に眠っているからだ。北海油田は「海底」油田である。洋上の基地から海の奥深くまで機材を伸ばしていき、海底に届いたらさらに石油が噴出するまでドリルで掘り進める。地下深くに向かって掘削する必要がある海底油田では、あまりに水深が深いと開発が厳しくなる。北海油田のプラットフォームでさえも、全体の高さは254メートルあり、ドリルは地下3千メートル以上も伸びている(マーチソン油田の場合)。写真などでよくみる油田のプラットフォームは海上に姿を現している上部のみ(いわば「氷山の一角」)であり、その下には数kmに及ぶドリルが隠れているのだ。

北海油田のプラットフォームの再現。長すぎて下まで写すことができない。

浅い海底には油田開発以外の効用もある。アバディーンは伝統的に漁業が盛んだったが、水深の浅い大陸棚は太陽の光が海底に届きやすいため、プランクトンが豊富で漁場としてのポテンシャルが高い。また、現在転換が進んでいる洋上風力の建設時にも、水深が浅い方が海底ケーブル等のインフラを建設しやすい。浅い海こそが北海の持ち味であり、時代ごとの産業の背景になっているのだ。産業は移り変われど、北海の浅さがその好条件を生み出すことは変わっていないと言っていいだろう。

北海油田のパイプラインは直接アバディーンに伸びているわけではないが、アバディーンは事故が起きた時にすぐ対応できるよう、待機船の停泊拠点になっている。博物館から眺めると、狭く掘り込まれたドックに数隻の船が停泊していた。白い船体と青空のひんやりとした組み合わせが、いかにも北海に向かう船らしい。

停泊中の船(奥)


資源頼りは「甘い話」?

北海油田の発見は文字通りスコットランドの政治を変えた。17世紀にイングランドと同君連合を組んで以降、スコットランドは南のイングランドとほとんど一体になり、「UK(連合王国)」としてのイギリスの構成員となってきた。しかし、北海油田が軌道に乗って以降、スコットランドではイギリスからの独立を唱える勢力が存在感を増してきた。

彼らは、スコットランドは独立によって資源開発の権益を独占し、より大きな還元を得ることができると主張する。歴史的なイングランドへの反感や、自立の可能性が芽生えた高揚感から、独立派の勢いは強い。博物館の館内でお話を伺った若い女性スタッフも、「造船業や漁業は落ち目だけれど、石油・ガス産業はまだまだ大きな力がある」と自信げだ。

アバディーン市議会の周辺

こうした経緯もあり、スコットランドの政治は過去30年ほどでイギリスからの自立の道を歩んできた。1999年には独自のスコットランド議会が復活し、ウェストミンスターから教育、福祉、農林水産、文化などの権限が委譲された(中村, 2022, p.223)。議会の復活はおよそ3世紀ぶりのことであり、スコットランドにとって自己決定の権利を与える大きな転換点になった。やがて地域政党のスコットランド国民党(SNP)が選挙で躍進し、近年では同党が連続してスコットランド首相を輩出している。

しかし、2014年に行われたイギリスからの独立を問う住民投票では独立不支持が55%に及び、独立はならなかった。要因は様々だが、独立後の将来像が不明確だった点が大きい。仮に独立するにしても、関税や経済政策はどうなるのか、北海油田は本当に盤石なのか。不確定要素があまりにも多かった。

北海油田のプラットフォーム

2年後に当たる2016年には、ブレグジットでイギリスがEUから抜けてしまったため、EU残留派の多いスコットランドはイギリスから独立しEU再加盟を目指すのではないか、という指摘もなされた。しかし、その場合にはブレグジットが引き起こしたような政局の混乱や交渉の難航は避けられない。その大変さが分かった現在は、むしろスコットランド独立は以前より厳しい視線で受け止められるはずだ。経済利害や分配が複雑に絡み合う国家マターとなると、人間関係と違って簡単に縁を切ることはできないのだ。

また、北海油田は独立派が訴えるほどの余裕をもたらせるわけではない。いつ枯渇するかもわからないし、産出量は減り続けている。出資にはスコットランドのみならずイギリスの政府やイングランドの企業も多数絡んでいるので、スコットランドだけが独占することも難しい。したがって、北海油田財源論は、独立派が政治的に持ち出した「甘い話」にすぎない。最近は日本でも南鳥島でレアアースが見つかって一部で盛り上がりを見せているが、「中国に頼らなくていい」という政治性を纏った「甘い話」になってはいないか。資源開発と自立は大事だが、現状の過大評価は禁物だ。

冒頭でも触れたように、近年では再生可能エネルギーへの世界的な転換が進んでいる。アバディーンも油田に頼りっぱなしではなく、風力など次世代の産業を受け入れている。「甘い話」に乗っかりたくなる気持ちはわかるが、産業構造の転換あってこそ続いてきたのがアバディーンの歴史だ。浅い海を生かす発展はこれからも可能である。「甘い話」はほどほどにして、前を向く必要がある。


進まぬバスと乱闘、警察沙汰

博物館を後にし、急いでバスターミナルに戻った。午後の便でスコットランド最大の都市、グラスゴーに向かうためだ。しかしいくら待ってもバスが来ない。メールを確認すると予約した便は中止になったようで、1時間半後の便に無料で振り替えることになった。エディンバラに向かうときから交通のトラブルが続いており、ついていない。冷たい風が吹きこむバスターミナルで、時が過ぎるのを待った。

待ちかねた次の便は問題なく発車した。車窓も車内も、至って平和。これでやっと落ち着いた気持ちでグラスゴーに辿り着ける、と思っていた。

車窓から。白く写っているのは羊たち

しかしそんな落ち着きはバスが小都市ダンディーに停車した時に打ち破られた。奇抜なファッションをした若い女性二人がバスに乗り込んできてバカ騒ぎを始めたのである。スマホで音楽を流したまま、あり得ない声量で歌って踊り、いろんな席に割って入って乗客に絡んで回る。これはシラフでは絶対にできないだろう。後部座席で一部始終を見ていた私は当初、やんちゃな若者はこんな感じだろうと思っていたが、さすがにアルコールかドラッグが入っていないとこれほどの騒ぎは起こせないだろうと確信し始めた。ちなみに、女性2人はなぜか信じられないくらい細く、小柄である。怖い雰囲気はないが、単純にバスの中が大荒れで迷惑である。

私はこうした状況こそ海外旅行の醍醐味だと思ってこのままグラスゴーまで耐えるつもりでいたのだが、途中でバスの運転手がしびれを切らし、途中の駐車場でバスを停車させた。警察に通報するのだという。程なくして本当にパトカーがやってきた。黄色と赤にラッピングされた数台のパトカーが、バスのすぐ横に停車する。こんなことはさすがに初めてだ。警察官が女性2人を外に連れ出し、事情聴取が始まった。

パトカーが到着し、騒然とするバスの車内

私はあまり気に留めていなかったが、多くの乗客は運転手と同様、この女性2人を警察につまみ出してもらうべきだと考えていたようだ。外で始まった事情聴取を見ようと、多くの乗客が車内で立ち上がって野次馬を始めた。不満が溜まっていた乗客たちは、ざまぁみろと言う感じでくすくすとしている。

しかし、次の事件が起きてしまった。さきほどの女性2人とはまた別に、タトゥーを入れた強面の男が隣に座っていたガールフレンドと喧嘩を始めたのだ。タトゥー男はなぜか上裸で、髪を緑色に染めたガールフレンドは目が見えないほどに大量のつけまつげをつけている。

女性2人組が車内を荒らし始めた時から、このタトゥー男は不満を蓄積していて危険な匂いがしていたが、予感が的中してしまった。立ち往生するバスに「早くグラスゴーに連れてけ」と苛立ち、それを諌める彼女に逆上して大喧嘩を始めた。女性が泣き出し、タトゥー男がさらに声を張りあげる。次第に周囲にも八つ当たりを始めた。スコットランド英語が理解できない私には何を言っているのかよくわからないが、タトゥー男はとにかく口にするあらゆる言葉の頭に"f**kin"をつけている。完全にカオスだ。

事態に終止符を打ったのはさらに別の乗客だった。タトゥー男の八つ当たりを受けた男性が、バスのど真ん中で彼を挑発し、互いに見事なパンチをお見舞いしたのである。アクション映画さながらの殴り合いである。タトゥー男の鼻から血が溢れ出し、乗客から悲鳴が上がる。近くで一部始終を見ていた年配のおばさんは、気が狂ったように目を真っ赤にし金切り声を上げた。おい、そんなにうるさいとあんたも殴られるぞ。私は息を潜めて見ていた。

再び警察が乗り込んできた

すぐに警察が乗り込んできて、タトゥー男を取り押さえた。勢い余った男は必死の抵抗を見せ、警察も数人がかりでアスファルトの地面に彼を押さえ込んだ。また逮捕者が増えてしまった。女性2人組は警察のお世話になったまま。そこにさらに狂暴そうなタトゥー男が加わった。お巡りさんのお仕事は尽きないようだ。

乗客も全員バスを降りるよう指示された。
奥でタトゥー男が取り押さえられている。手前のおばさんはそれをカメラに収めている。

私はというと、事態の展開が意外すぎて驚いてはいたものの、この日グラスゴーまで移動できるのかというところに最大の関心があった。時間が経つにつれて、他の乗客も概ね自分たちのことを心配し始め、「どうすればいいんだろうね」「次のバスは……?」と話し始めた。旅行に行くところだったという黒人男性は「なんか大変なことになっちまったね(笑)」とケロッとしている。年配の女性たちはまだ息遣いが荒いが、同じ運命を共有している私たちの間には次第に団結が生まれてきた。

今のスコットランドは決して順調ではない。安定した雇用は限られており、薬物依存や軽犯罪で警察のお世話になるような若者たちが少なくない。私がこのバスでした経験がどれほど珍しいものかはわからないが、アバディーンに着いた時から、なんとなく廃れた印象を持っていた私には、こうした事態が起こること自体はそれほど不思議には感じられなかった。危険な匂いを、ずっとどこかで感じていたからだ。イギリスの古びた工業地帯が「壊れた社会」になっている、というのは10年以上前からある指摘だが、その一片を見ることができた気もした。

ところで、私はグラスゴーに辿り着けるのだろうか。



つづく・・・。



【参考文献】

  • 中村隆文(2022)『物語 スコットランドの歴史―イギリスのなかにある「誇り高き国」』中央公論新社.

  • "Live GB Electricity Generation, Carbon Intensity & Demand." Energy Dashboard, https://www.energydashboard.co.uk/live. Accessed 29 July 2026.


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