羊たちと果実酒、暖かな日差しを浴びて【等身大のイギリス⑧】農場滞在
イギリスの農村部を覗くため、ノッティンガムシャーの農家さんのもとまでやってきた。ここでの暮らしは都市にいては分からないことばかりだ。5日間という限られた時間だが、羊の餌やりをしたり、果実酒の瓶詰めをしたりするうちに、イングランドの田舎の美しさにすっかり魅せられてしまった。気軽にご近所さんとのお喋りが始まる垣根の低さもいい。草木に囲まれた町の教会は別世界のようで、春の訪れを感じながら花の匂いに身を委ねた。
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ノッティンガムの位置:

暖かな日差し
ノッティンガムシャー(ノッティンガム地方)の農家にファームステイして2日目。この日は午後からの作業だった。3月のイギリスは冬の寒さは残るものの、日によっては暖かな日差しが入り込んできて、春の兆しをところどころに感じるようになった。庭の羊たちも足を休めてリラックスしている。

午後の日差しを浴びてリラックス
私のお世話になっている農家さんでは「羊のショーン」のような黒い顔の羊と、全身が真っ白な羊の2種類を飼っている。イギリスでは羊は食肉用として飼われていることが多い。黒い品種は肉用のみだが、白い品種は羊毛も製品になるという。触ってみると、黒い羊の毛はゴワゴワと、白い羊の毛はサラサラとしている印象だ。羊毛を加工するには相応のコストがかかり、羊だからといって全ての品種の羊毛をうまく活用できるわけではないようだ。

羊たちの周囲にはリンゴや洋梨の木々が生えている。羊を放牧しているのが果樹園(orchard)の中だからだ。こちらの農場では、果樹園で果物を栽培しつつ、広々とした敷地を生かして同じ場所に羊を放っている。日本で果樹園というと木々が斜面いっぱいに敷き詰められているイメージだが、ここでは木々の間隔が広く、羊たちが走ったり寝転んだりするのに十分なスペースがある。放牧と農地を組み合わせるという発想自体が自分にはなかったが、小規模な家族農場では良くあることなのだろうか。
羊たちがリラックスできる環境は、農場を切り盛りするご夫婦のこだわりの一つだ。お二人はもともと、家畜がストレスを受けながら暮らす畜産の現場に心を痛めていた。機械的な牧場では、家畜は狭い空間に閉じ込められ、栄養の偏った飼料を与えられ続ける。そんな動物たちのことを考え、菜食主義を取っていたこともあるという。今では、自分たちの手で羊たちと向き合い、広々とした空間と自由を与えている。菜食主義もやめており、「やっぱりタンパク質は大事だ!」とご主人。羊たちと向き合う哲学があるからこそ、安心して命をいただくことができる。

冬なので木々は寒々しいが、春には花を咲かせ、秋には実がなる
リビングでお昼をいただいた後、作業に取り掛かった。最初の仕事は果樹園に積まれている丸太や木の枝を移動させること。以前、果樹園の木々を剪定したときに出たもので、ご主人はこれらを薪に切り分けて暖炉に使うという。すごい労力だ。
農作業をしながら少し厄介なのが、私の英語力のなさだ。「そこにある〇〇を取って」などと気軽に言われた時に、名詞が頭に入ってこないことがある。例えば、"wheelbarrow"。日本でもよく農家で見る二輪の手押し車だ。wheelが聞き取れれば、車輪……ああこれのことか、となんとなく分かるが、初めて聞いたときはなんのことか掴みかねた。少し申し訳ないが、そんな調子で一つ一つ英単語を覚えていく。食材やスラング的な形容詞も、農作業をしながら教えてもらった。
続いての仕事は、羊の寝床づくり。3月の出産に備え、ふわふわの干し草を敷いてストレスのないような空間を作る。一緒に作業していると、ご主人がいかに一頭一頭のことを大切に思っているのかが伝わってきた。自分のことや他の仕事(地元の消防団)もありながら、餌やりや出産・毛刈りなど、羊には羊なりのスケジュールがあるから考えることは多い。「明日のためには今この作業をしておいて」「来週のために今これを準備しておいて」「来年のためには……」などと、将来のことをいくつもの時間軸で見越しながら作業を進めている。かなり頭を使うだろう。
農作業の最中、メスのボーダー・コリーはというと、いつもご主人についてあちこちを飛び回っている。ただし、一緒の空間にいると羊を追い回してストレスを与えてしまうので、絶対に果樹園の中には入れてはならないという。私も言いつけを守り、固く扉を閉ざした。すると行く手を阻まれた犬は腰を下ろしてじっくりと羊の観察を始めた。ボーダー・コリーは牧羊種だ。落ち着き払ったその様からは、牧羊犬と羊とが、まるで人間にはわからないコミュニケーションをしているようにも見える。彼らには「通じ合っているものがある」とご主人。それくらい、羊をじっくり見つめて動かない。

やがて日が傾き、奥さんと坊やも出先から帰ってきた。曇りがちなイギリスで、久々に夕暮れを見た。家を取り囲む木々のシルエットが浮かび上がる。この日の晩ご飯にはパスタ、豆の煮込み、ガーリックトーストをいただいた。農場の理解が深まった1日だった。

手作り果実酒
翌朝、餌を手に果樹園に行くと羊たちがものすごい勢いで駆け寄ってきた。羊がこんなに走れるなんて知らなかった。興味津々にこちらを見つめてくる。黒い羊たちは体がずっしりしている割には警戒心が強く、あまり近寄ってこない。白い羊は優しげな性格でこちらのそばまで近づいてくる。鼻を上下しながら覗き込んでくる顔が可愛らしい。

餌のほとんどはまず果樹園に置かれた専用のケースの中にばら撒く。すると黒い羊たちが群がるようにして食べ始める。しかしこれでは比較的体の小さい白い羊たちが餌にありつけなくなってしまう。そこで彼らには特別サービスで、バケツから直接餌をやる。このとき、ご夫婦はまるで人間にするように羊の頭を撫でて可愛がる。私もそれを真似して、頭を撫で毛並みに指を通す。抵抗はない。柔らかく優しい触感で、気持ちがいい。羊たちも撫でられると気持ちいいのだろうか。

羊たちとの触れ合いはここで終了。なにしろ、この日はサイダーの瓶詰めという大仕事がある。サイダー(フランス語ではシードル)とは、りんごの果汁を発酵させて作ったりんご酒のことだ。日本でいう清涼飲料のサイダーとは全く別物で、アルコールを5%ほど含むれっきとしたお酒だ。こちらの農家さんではりんごではなく洋梨(pear)を使って作っているので、正確にはペア・サイダーだ。今日はすでに発酵して樽に保存されているこれらのサイダーを一つ一つ瓶に詰めていく。

瓶詰めは年に数回の大仕事だ。何しろ、やることが多い。まず、使う空瓶を一つ一つ消毒洗浄して乾燥させる。次に、専用の器具を使い、数瓶ごとに中身を注ぎ込んでいく。続いて、それらを高温に熱した機械に入れ、加熱することで以降の発酵を抑制する。最後に、熱さに注意しながら瓶を取り出し、蓋をパンチで押し当てれば完成だ。もちろん、全て手作業だ。ご夫婦と分担しながら着実に進めていく。
ここで大切なのが、空瓶を清潔な状態に保つことだ。消毒の際、気泡が残らないようにして全体を消毒液の中に沈め、完全に洗い流す。洗った後は絶対に口に触れないようにしながらすすぎ、乾燥させる。手袋をつけて作業するが、消毒時に気泡が残っていたり、思わず素手で触りそうになるとご主人の目が光る。私も瓶の口に触れないよう気をつけながら丁寧に洗い流していく。手作業での瓶詰めとなるとここまで気を遣う農家さんばかりではない気がするが、お客さんに届けるものを絶対に汚さないというポリシーに尊敬の念を抱く。

消毒液につけ置きした瓶は樽の奥底に沈んでしまうので、シャベルを使いながら上部に持ち上げ、一本ずつ液を抜いていく。私の短い腕ではなかなか作業スピードが上がらず、少し迷惑をかけたかもしれない。大量の水の中から数本の瓶を一気に掬い上げるには、腕の力も結構使う。
その後、すすぎ洗いした瓶を隣の小屋に持っていく。こちらではご主人がサイダーを樽から瓶に移している。4本一気にセットし、バーを傾けると注入が始まる。ここぞというところで差し換え、新しい瓶に付け替えていく。集中力を要する作業だ。途中、アルコール分を測っているところも見せてもらった。メスシリンダーのような容器に入れたサイダーに物差しを浮かせ、密度を見る。これらを発酵前の数値と比較することでどれだけの砂糖がアルコールに変わったかが算出できるのだそうだ。アルコール濃度がこうした古典的な方法で簡単にわかるものだとは知らなかった。

サイダーが詰まった瓶は、そのまま熱湯に浸され「火入れ」の段階に入る。私はこれまで完全なる消費者で何も考えず果実酒を飲んできたが、なるほど、微生物が生きていると自然に発酵が進んでしまうので出荷前には火入れをしないといけないのだ。言われてみれば当たり前なのに、知識もなしにやれこのお酒は美味しい、などと言っていた自分が少し恥ずかしくなった。酒作りは手間がかかるのだ。

作業をしながら、これが洋梨酒なのだと思うと作っていてワクワクしてくる。途中何本かうまくいかないものが出てしまい、それらは後で私が飲んでも良いことになった。おお!美味しい美味しいお酒が飲める。そんな気持ちをちょっとだけモチベーションにした。少し邪念が過ぎるだろうか。
火入れまで終わったら、最後は蓋をして収納だ。ずらりと並んだペア・サイダーはオレンジ色に透き通っていて、光を照らすとキラキラと光った。作業のご褒美に試飲をする。甘い香りが口いっぱいに広がる。果汁100%から作られた美味しさだ。お酒を作るってやっぱり楽しいかもしれない。酔ってもいないのに一口で幸せになった。

夕暮れの田舎道を歩く
時刻はすでに午後の5時になっていた。瓶詰めの作業を始めたのは朝だから、日中はお昼休憩を挟んでずっと働き尽くしていたことになる。ご主人たちもさすがにお疲れのようだ。今日の大仕事が終わって夕方の一家は達成感に満ちていた。夜ご飯は遅いから、自由にしていいよ、と言っていただいた。
せっかく時間があるならもっと体を動かすほかない。せっかくなので、片道1時間(往復2時間)かけて隣町のスーパーまで歩くことにした。スーパーといっても平屋建ての小さな商店だが、農場からはそこが最寄りの店舗になる。歩いていく人なんて普通はいないだろうけれど。
それでも、散歩するという決断には全く後悔しなかった。丘を超えるように一本道を歩くと、頭上では鳥が舞い、道沿いの牧場では馬が草をはんでいる。透き通った風が柳を揺らし、ぼんやりとした優しい影を作っている。何度も立ち止まってシャッターを切ってしまった。

商店でお菓子を買って、引き返す。帰り道はすっかり暗くなっていた。今度はのっぺりとした黄昏の夜空に街路樹の輪郭が浮かび上がっている。行き交う車のライトに照らされながら、一人でひたすら歩く。このまま歩き続けていたらそのうち寂しくなりそうだが、目的地があるので辛くはなかった。帰る場所があることに感謝しかない。家に着く頃には、道の先に大きな満月がぽっかりと浮かんでいた。

夜ご飯はご主人手作りのハルーミチーズとパエリア。ハルーミチーズはキプロス由来のヤギ・羊の乳から作ったチーズで、焼いたり揚げたりできる不思議なチーズだ。モッツァレラのような旨味があり、揚げ焼きした表面はカリッとしていてクセになる。イギリス滞在中、日本でも食べたいと思った食べ物の一つになった。ご主人も「これうまいんだよ」と自信のある一品。二人でおいしい!(tasty!)と連呼しながらいただいた。

重労働とおでかけ
あっという間に4日目になった。農場の朝は早い。私が6時半に目覚めると、リビングにはもう誰もおらずしんとしている。寝ているからではなく、ご夫婦がすでに外で犬の散歩を始めているからだ。しばらくすると坊やも起きてきて、羊の様子を確認しにいく。

果樹園に出ると、餌を求める羊たちが声をあげながら寄ってきた。鳴き声は想像通り「メエメエ」だが、その音は想像よりはるかに低く、図太い。何頭も寄ってきて低い声でメエメエと言われると迫力がある。柵を開けたら餌を目掛けて飛び出してきそうな勢いだ。羊たちの私に対する警戒心が薄まってきたように感じたが、それは私が彼らの扱いに慣れてきたからだろうか。それとも、単に私が餌を持っているからだろうか。
朝食にオートミールをいただいたあとは、しばらく牧羊犬と遊んでいた。ボールを投げると一目散に走り出して、また尻尾を振りながら戻ってくる。これを繰り返して遊ぶのかと思いきや、ボールを受け取ろうとすると離さないので、今度はボールを奪い合うゲームが始まる。ボーダー・コリーのすばしっこさに私が勝てるわけがない。ボールを投げて、戻ってきたと思ったらボールを取り合って、私が再びボールを投げて、そんなことを庭で数十回繰り返した。そんな様子を見たご主人は「彼女はきっと君とボールをシェアしたいんだね」と笑った。
この日の農作業は落ち枝拾いから始まった。広い果樹園をご主人とペアになって隅から隅まで移動しつつ、拾った枝を二輪車に積み上げていく。やっと全体が片付くというとき、空がみるみると晴れてきた。羊たちは今日も暖かな陽を浴びて嬉しそうだ。そういえば、農場に来てからなぜかやたらと晴れる。考えてみれば、マンチェスターの時は雨ばかりだった。ペニン山脈を跨いで気候が変わるのは本当かもしれない。スマホで天気を確認すると、この日も山脈の向こうのマンチェスターは曇り予報だった。やっぱり。

果樹園を出てからは、ご主人の割った薪をログハウスに積み上げる仕事をもらった。ご主人は果樹園で出た丸太を庭で解体した後、ログハウスでさらに一年乾燥させ、リビングの暖炉に使っている。きちんと乾燥させるのがいい薪にするコツだという。さすがに私の腕では斧を振りかざし続ける力がないので、全身の力を振り絞って斧を振り下ろすご主人を尊敬の念を持って見つめながら、私はうまく割れた薪を抱えて運び出していった。ある程度薪がまとまったら二輪車に載せてログハウスに持っていく。傾斜のあるログハウスの入り口で二輪車を押しあげるのは結構なトレーニングだ。この農場期間に足腰も腕も少しは強くなっていると良いのだが。
きりのいいところでお昼にして、ポテトワッフルとスクランブルエッグをいただいた。重労働を終え、ご主人もお疲れのようだ。その後しばらくは坊やの部屋で子守りをした。3歳児の動きは時々危なっかしくてハラハラとする。
午後は作業をお休みし、坊やを連れて近くの森林に出かけることになった。私をノッティンガムシャーの景勝地に案内しようというご主人の粋な計らいだ。助手席に座り、坊やが寝ないようお話を続けながら車窓を眺める。小さな農園もあれば、だだっ広い牧場もある。外に出て餌を食べているのは何匹もの豚で、写真に収めると小さいが肉眼で見ると結構な大きさだった。豚ってこんなに大きかったっけ。

やってきた「シャーウッドの森」は、中世の英雄ロビン・フッドが隠れ住んでいたという伝説がある王室林だ。いくつもの大木が並ぶ穏やかな森林に、散歩のための遊歩道が整備されている。鳥の写真を撮りにきた人たちや、散策に来た人たちで賑わっている。私たちはスクーターに乗ってご機嫌な坊やを追いかけるように森を進む。はずだったのだが、坂を勢いよく下った坊やは途中で転んでべそをかいてしまった。ご主人は泣き叫ぶ坊やを、私は倒れたスクーターを運んで車に戻った。子供は転びながら強くなっていくものだから、こういう経験も大事だろう。あまり過保護にしていると転び方も覚えられない。そういえば僕も小さい頃はよく転んだものだ、なんてどうでもいいことを思い出した。あまり外で遊ぶ子供ではなかったけれど。
今日の夜は奥さんの友人を交えてのご馳走だった。明日この家を離れる私には最後の晩餐だ。メニューはソーセージ、ポテト、野菜。食卓も大盛り上がりで、疲れが吹き飛ぶほど美味しい。でも食事が始まるとき、日本人の私にはその度に不思議なことが一つあった。イギリス人の文化なのかわからないが、みんな何も言わずに勝手にご飯を食べ始めるのだ。日本の給食のせいか、周りとタイミングを合わせて合掌し「いただきます」という私は、食事の食べ出し方に少し違和感を覚え、なんならフォークを握るタイミングを掴みかねるのだった。

地元産のソーセージとのこと。美味しい
鳥のさえずり
最終日の朝。外はひんやりと寒く、霧が広がっていた。果樹園に出ると湿った草木の香りが漂ってくる。農場の朝はいつも羊たちの餌やりから始まるが、今日は薬も飲ませなければいけないという。餌に気を引かせたところで、ご主人が優しく捕まえて薬を飲ませる。

羊を飼うのは大変なことだ。こちらには何頭かの羊がいるだけなのに、毎日しっかり面倒を見てやらなければならない。しかもこれだけお世話しても、羊毛にもなるのは白い品種だけで、あとは食肉になるが特別高い価格がつくわけではない。お肉をいただくのはわずかな時間でも、生産にはこれだけ時間がかかるのだ。ご飯をいただくときは感謝をもっていただかなければならない。小学校で教わるようなことだが、そんな当然のことをしんみりと感じながら羊たちを眺めた。
朝ごはんにはメープルシロップをたっぷりかけてパンケーキをいただいた。その後身支度をして、9時ごろに前日から続いていた作業を再開する。相変わらずご主人が斧を振り下ろし、チョップされた薪を私がログハウスに積み上げていく。薪というものは不思議で、うまく組み合わせて積み上げると倒れずに層になっていく。ただし、隙間なく積み上げてうまく摩擦を効かせることが大事だ。上の方が重くなって下が崩れるといけないので、土台からじっくりと積み上げていく。パズルのようなものだ。手慣れてからは、持ち札となる次の薪の形をいくつか頭に入れてから、どの順番で積んでいくか考えるようになった。うまくいくと気持ちがいい。壁沿いから始まって、何層にも何段にも積み上がっていく。作業の成果が目に見える分だけ、達成感は大きい。

作業を終えてログハウスを出ると、空はすっかり晴れ渡っていた。朝はあれほど真っ白だったというのに。お昼をいただいた後は、私がこのお家を離れるまで数時間の休憩をもらったので、家の周りのうちまだ歩いていない方角に向かってみることにした。3月の上旬だというのに、通りにはもう桜が芽吹いていた。綺麗な桜がイギリスの住宅街に咲いているとはあまりイメージしたことがなかった。

少し進むと、道は柳に挟まれて緩やかなカーブを描いていた。なんと絵のような景色だろう。煙突のあるレンガのお家が愛おしい。カーブの緩やかさも、柳の枝垂れも優しげな印象で、心がほっと落ち着くところがある。まだ新緑ではないが、これから春を迎える木々も今日の光を浴びて元気そうに見える。

この村では道路沿いにポツポツと住宅が立ち、たいていその後背地に農園や牧場が広がっている。だから、道路を歩いていると住宅街が広がっているが、そこから住宅の脇を奥に向かって進んでいくといきなり空がぶわっと広がる。花の咲く芝生には、鳥のさえずりが一面に響き渡っていた。柔らかな日差しが花々を照らし、乾いた風が指先を撫でる。ここにはずっと立っていられるかもしれない。

イギリスの人々は鳥をとても大事にする。一般的な家庭にもお庭には鳥を呼び込む巣箱や給餌ケージがあることが少なくないし、鳥の名を冠する音楽も日本よりずっと多い(気がする)。ビートルズのBlackbirdとか、オアシスのSongbirdとか。それだけ鳥が身近で、鳥のさえずりを聞く機会もずっと多い。どこにいっても、身を委ねたくなるような柔らかな鳴き声が聞こえてくる。
村のどこからも目に入る高い塔に誘われて、教会にやってきた。周囲は防風林のように木々に囲まれており、林を抜けた途端に古びた教会が姿を見せた。なんと美しいのだろう。誰もいないひっそりとした庭には鳥のさえずりだけが響き渡り、風が芝生を揺らしている。石造りの教会はそれほど大きくないが、それでも地元で引き継がれてきた古臭さがなんとも言えないほど渋く、清々しい。ご主人はこの教会を「どこにでもあるようなものさ」と笑っていたが、こうした景色に慣れていない僕にはまるで映画のようだ。このなんの変哲もない一幕が、素晴らしく感動的に思えた。

最後に教会を訪れたのは偶然にも良い選択だったかもしれない。暖かな日を浴びて鳥のさえずりを聞くのがこれほど気持ちいいものだとは知らなかった。イングランドの農村部にはこれから春がやってくる。夏になれば草木が生い茂り、羊たちも元気に動き回っていることだろう。季節が移り変わってからまた来てみたい。そんなことを思いながら農場を後にした。
ご主人に車で駅まで送ってもらい、ついに5日間お世話になったご家族とお別れを迎えた。ここで学んだことは単に農作業のみならずイギリスのご家庭の様子や英語の表現など、細かいことまでたくさんある。どれも自分一人で観光しているだけでは絶対に手に入らないような貴重な学びばかりだ。そして何より、ご家族は英語が拙い私にも本当に親切に接してくださった。いっぱいの感謝を告げてホームに出た。

もう、一人だ。たいてい、誰かと別れた帰り道はぼんやり外を眺めるくらいしかできない。もう戻りようはないので、惜別の寂しさに浸りながらじっくり遠くの木々を見つめる。今日も温かい日差しをくれた太陽は、薄く広がった雲の向こうへとゆっくり落ちていった。

つづく・・・。
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