疲れる相手には共通点があった──感情ではなく判断力を奪われていた
何もしていないのにやたら疲れている日がある。
大きな仕事をしたわけでも体を動かしたわけでもない。ただ人と話していただけなのに夕方には電池が切れたようになっている。
その一方で、丸一日ミーティングが詰まっていても不思議と平気な日もある。
この差は何から来ているのだろう。ずっと気になっていました。
「相性が悪い人とは距離を置け」という定説
こういう疲れの話をするとたいてい返ってくるアドバイスは決まっています。
「気の合う人と働いたほうがいい」
「相性が悪い人や苦手な人とは距離を置け」
たしかにその通りだと思います。
苦手な人と長時間一緒にいれば疲れるのは当然です。私自身長らくそう考えてきました。
でも最近ちょっと違う気がしてきています。
好き嫌いでは説明できない
思い返してみるとあきらかに「苦手だな」と感じている人なのに、話した後は全然疲れていないケースがあります。
逆に、特別嫌いなわけではないむしろ人当たりも良い人なのに、話した後にどっと疲れているケースもある。
好き嫌いという軸だけではこの疲労の差をうまく説明できないのです。
心当たりがあるのではないでしょうか。「苦手なはずなのになぜか話しやすい人」や「嫌いじゃないはずなのにやけに気を遣う人」に。
もしこの矛盾が本当にあるとしたら、私たちが「疲れる」と感じているのは感情そのものではなく、もっと別の何かなのかもしれません。
私は最近「判断資源」という言葉で考えるようになりました。
これは、物事を考えたり、選んだり、相手の意図を読み取ったりするために使う「思考のエネルギー」のことです。
この資源には上限があります。
なぜ疲れるのかを3回掘り下げる
なぜある人と話すと疲れるのか。
おそらく会話の中で判断する回数が多いからだと思います。
「これは本音か建前か」「今の言い方、怒っているのか」「話を額面通り受け取っていいのか」を一言ごとに判断させられる。
ではなぜ判断の回数が多いと疲れるのか。
判断資源には上限があるからです。使うほど減っていく。判断を重ねるほどその後の判断の質は落ちていく。判断を何度も求められる相手と一緒にいると、他のことに使うはずだった分まで先に持っていかれてしまいます。
ではなぜ同じ「一緒にいる」でも判断させられる回数が人によって違うのか。
言葉と行動が一致しているかどうかだと思います。言っていることとやっていることがズレない人には裏を読む必要がありません。
逆に、機嫌で態度が変わる人、言うことがコロコロ変わる人は、その都度「今日はどっちのモードだろう」とこちらに解読作業を強いてきます。
好き嫌いは感情ではなく順番の話だった
私たちは「嫌いだから疲れる」と考えます。
でも順番は逆なのかもしれません。
判断力を奪われた結果、私たちはその感覚に「嫌い」という名前を付けている。
先に消耗があり後から感情のラベルが貼られる。だとすれば、私たちがずっと管理しようとしてきたのは、感情ではなくその前段階にある判断力そのものだったのではないか。
私は最近そう考えるようになりました。
財布には敏感なのに判断資源には無防備
私たちは財布(口座)のお金には敏感です。残高が減れば不安になります。
時間にも敏感です。予定が埋まれば焦ります。
でも、判断資源だけは平気で浪費しています。
相手の顔色を読む。本音を推測する。機嫌を探る。そのたびに本来もっと重要な意思決定に使うはずだった判断力が静かに減っていく。
財布には敏感なのに判断資源には無防備です。
お金を失えば気づきます。時間を失っても気づきます。でも判断力は静かに減っていきます。
気づいた頃には「今日は何もできなかった」「なんとなく疲れた」という感覚だけが残っています。
財布の中身が減ればレシートや明細を見返します。予定が詰まれば手帳を見返します。でも、意思決定の余力が今日どれだけ残っているかを見返す人はほとんどいません。
減っていることにすら気づかないまま、大事な決断を(すり減った状態で)していることになります。
好き嫌い × 対応コスト
私が見ているのは、「好きか嫌いか」ではなく「その人と関わるためにどれだけ余計な判断を求められるか」です。これを私は「対応コスト」と呼んでいます。
このズレを整理するとこうなります。
|好き嫌い |対応コスト |
正体 |感情 |構造 |
変動 |日によって変わる|比較的安定している|
性質 |主観的で決まる |行動から観察できる|
位置づけ|消耗の結果 |消耗の原因 |
扱いやすさ|コントロールしづらい|設計できる|
好き嫌いを直接コントロールしようとしても感情なのでうまくいきません。でも対応コストなら観察して減らすことができます。
だから私は仕事上では人を「好きになろう」とは思わないようにしています。
代わりに「この人といると意思決定の余力は増えるか減るか」だけを見るようにしています。
判断資源として3つに言い切る
判断基準①:「好きか」ではなく「解読した回数」を見る
会話を振り返るとき、感情ではなく回数を数える。回数が多い関係は、対応コストが高い関係です。
判断基準②:会話そのものより、会話後の判断資源を見る
その後、重要な仕事に取りかかる気になれたか。集中できたか。ここが崩れているなら、その関係は判断力を先に使っています。
判断基準③:相手を評価する前に、評価を終える条件を決めておく
つまり、不採用ラインです。すべてを言語化する必要はありません。「これに当てはまったら、それ以上は評価しない」という一点があるだけで、判断は驚くほど速くなります。
例えば私なら、「言葉と行動が何度も一致しない人」を不採用ラインにしています。
約束を繰り返し守らない。説明が毎回変わる。場面によって言うことが変わる。そういう場面が続いたら「この人は本当はどういう人なんだろう」と考え続けることはやめます。
相手を嫌いになる必要はありません。ただ、それ以上自分の判断資源は使わないと決めるだけです。
私たちが本当に奪われているもの
私たちは時間を奪われることを嫌います。
でも、本当に奪われているのは時間ではなく思考のエネルギーなのかもしれません。
思考のエネルギーは、仕事でも人生でもあらゆる意思決定を支える土台です。
だから私はこれからも「誰が好きか」ではなく「誰に判断力を使いたいか」を基準に人や仕事を選んでいこうと思っています。
AI時代に価値を生むのは情報量ではありません。
限られた判断資源をどこに配分するか。
その基準がこれからの仕事も人生も少しずつ変えていくのだと思っています。
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