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評価しきれない努力のことを、人事評価をつけながら考えた|キャリアアップは、育児から遠ざかることだと思っていた

最近、会社が人事評価にかなり力を入れている。

階層テストがあって、そのあとに人事評価に関する講義があった。

その日、私はかなり早めに駅に着いていた。

テスト会場に向かう前、50分くらい余裕があった。

本当なら、少し落ち着いて、資料を見直したり、頭を切り替えたりする時間だったのだと思う。

でも、その駅で、ふと思いついてしまった。

「名前のない努力」という言葉だった。

人事評価。
階層。
目標。
成果。
役割。
キャリア。

会社の中では、いろいろなものに名前がついていく。

できるようになったこと。
達成したこと。
貢献したこと。
任される役割。
上がっていく階層。

それは大事なことだと思う。

でも、その一方で、評価シートには書ききれない努力もある。

朝、家を出る前に子どもの準備をすること。
オムツやお尻拭きを切らさないようにすること。
仕事の前に家庭を回して、仕事が終わればまた家庭に戻ること。
職場でも、誰かがやってくれているから崩れずに済んでいる小さな作業や声かけ。

そういうものには、なかなか名前がつかない。

名前がないから、見えにくい。
見えにくいから、評価されにくい。
評価されにくいから、自分でも「これは努力だったのか」と分からなくなる。

そんなことを考え始めたら、止まらなくなった。

50分前に駅に着いていたはずなのに、気づけば会場に着いたのは10分前くらいだった。

余裕を持って着いたはずなのに、頭の中では別の記事が始まっていた。

そしてそのあと、人事評価の講義を聞きながら、さらに考えが進んでいった。

評価とは、何を見ているのだろう。

売上。
成果。
成長。
貢献。
目標達成。
キャリアアップ。

どれも大事だと思う。

会社で働いている以上、数字も必要だ。
役割も必要だ。
できるようになったことを、見える形にすることも必要だ。

でも、その一方で、ずっと引っかかっていることもあった。

評価シートには書ききれない努力がある。

数字には出にくいけれど、誰かがやってくれているから店舗が回っていることがある。

そしてもうひとつ。

自分自身も、評価されることに対して、ずっと少し複雑な気持ちがあった。

評価されるのはありがたい。
期待されるのも嬉しい。

でも、評価されるほど責任が増える。
責任が増えるほど、子どもとの時間から遠ざかっていく気がしていた。

キャリアアップは、育児から遠ざかることだと思っていた。

でも最近は、少し違うのかもしれないと思っている。

育休を取るためにキャリアを考えた前回の記事はこちらです。
気になる方は見てみてください。



子育てをするために、キャリアを逆算してきた

自分は、最初からキャリアだけを見て働いてきたわけではない。

むしろ、子育てをするためにキャリアを逆算してきた感覚がある。

奨学金を返す。
結婚する。
子どもを育てる。
家庭を育てる。

そのために、まずはしっかり働く必要があった。

新卒後は、全国勤務というキャリアを選んだ。
いろいろな土地に行き、いろいろな薬局を見た。

大きな病院前の店舗で、かなりの枚数の処方箋を扱う現場にもいた。

大変だったけれど、楽しかった。
仕事のスピード感も、現場を見る目も、そこで育ててもらった。

ただ、その働き方の延長に、自分の理想とする家庭像は思い描きにくかった。

子どもが小さい時に、どれだけ一緒にいられるのか。
妻と一緒に育児をする時間を、どれだけ確保できるのか。
急な体調不良や保育園の予定に、どこまで対応できるのか。

そう考えて、育休制度が整った会社に転職した。

キャリアを捨てたかったわけではない。

でも、家庭を作るために、働き方を選び直したかった。

平社員で少し落ち着くつもりだった

転職した時、自分の中では少しだけ甘い考えがあった。

しばらくは平社員として、現場を見ながら、少し落ち着いて働けるかもしれない。

そう思っていた。

けれど、実際に入ってみると、前職で見ていた現場との速度感や整理の仕方に、かなり違いを感じた。

一方で、在宅の仕組みは本当にすごかった。

施設在宅では、往診同行があり、処方提案があり、外用薬や頓服薬、栄養剤の管理も細かく整理されていた。

往診前の情報整理シートもあり、施設の看護師さんや往診の先生からも頼られていた。

病院でのレジデント経験があったからこそ、施設でありながら、かなり病院に近いレベルの対応をしていることも分かった。

だからこそ、他の部分にある余白も見えてしまった。

処方箋入力の流れ。
予製の作成タイミング。
監査の流れ。
発注のタイミング。
事務さんが詰まりやすい場所。 月初に人の動きが止まる場所。 気になってしまった。 「ここはどういう流れですか」 「月の動きはどうなっていますか」 「事務さんの業務で詰まるのはどこですか」 そう聞きながら、施設の予製、処方箋入力、カレンダーセット、ピッキング、一包化を始める日などを整理して、その店舗用のマニュアルを作った。

1週間くらいで大枠を作り、読んでもらいながらブラッシュアップしていった。

自分としては、ただ気になった場所を整えただけだった。

でも会社から見れば、それは業務改善だったのだと思う。

店舗の流れが安定し、上司へ上がる連絡も減った。
新人が来ても教えやすくなった。
結果として、人員配置にも影響が出た。

平社員として少し落ち着くつもりだったのに、気づけば店長になっていた。

やってしまうと、評価される。

評価されると、役割がつく。

役割がつくと、責任が増える。

この流れが、ありがたくもあり、少し怖くもあった。

店長になって、人事評価の難しさを知った

店長になると、人事評価をつける側になる。

ここで初めて、評価することの難しさをかなり実感した。

まず、数字がある。

売上。
在庫率。
OTC販売。
店舗の目標。
人員配置。
業務効率。

数字は分かりやすい。

外来は、比較的効率よく売上につながる。
一方で、在宅は手間がかかる。

売上的には非効率に見える部分も多い。

でも、在宅を多く受け持つ会社である以上、その非効率には意味がある。
人員が必要になる理由もある。

単純に売上だけで見れば重く見える仕事でも、地域医療を支える上では必要な仕事だった。

店長になって実際の数字を見るようになって、会社もずっとこのギャップを考えているのだと感じた。

数字で見える仕事。
数字だけでは見えない仕事。

その両方を見ないと、店舗は分からない。

OTCや健康食品の販売もそうだった。

当時は、店舗でOTC販売に力を入れ始めた時期だった。

売上そのものも大事だけれど、それ以上に、来局のフックとしての意味があった。

商品選びは自分が考えた。
どう見せるかは事務さんと相談した。
装飾をして、声かけは事務さんがしてくれた。

結果として、売上が大きく伸びた時期もあった。

けれど、その熱量を1年、2年と続けるのは簡単ではない。

中心になってくれていた人が退職すれば、同じようには続けられなくなる。

数字だけ見れば、売上が伸びた、落ちた、で終わる。

でも、その裏には、商品を選ぶ人がいた。
飾る人がいた。
声をかける人がいた。
売り場を見続ける人がいた。

数字に出た努力と、数字に出る前の努力がある。

売上コンテストは、数字に出た努力に名前をつける。
デコレーションコンテストは、数字に出る前の努力に名前をつける。

そんなふうにも見えてきた。

「頑張ります」は、評価する側にとって難しい

人事評価で特に難しかったのは、個人目標だった。

うちの会社では、個人目標を自分で立ててもらう。

でも、最初に出てくる目標は、だいたいふわっとしている。

「一生懸命仕事します」
「在庫整理を頑張ります」
「在庫管理を覚えます」

気持ちは分かる。

でも、評価する側はそこで止まれない。

たとえば「在庫整理を頑張ります」と書かれたら、まず分解が必要になる。

在庫率の見方を知っているか。
発注の方法を理解しているか。
不動品の管理ができるか。
廃棄処理ができるか。
自社の流通システムを使えるか。
在宅関係の予製薬をどう扱うか。

最初の半年なら、「在庫整理を覚える」でいい。

できない。
補助があればできる。
自立してできる。

そうやって一つずつ確認しながら、10点満点の目標に落とし込むこともできる。

名前をつけるだけなら、簡単なのだと思う。

在庫管理。
接遇改善。
業務効率化。
後輩育成。

そう書けば、目標らしく見える。

でも、名前をつけただけでは、評価できる努力にはならない。

何を見て、何を変えて、どこまでできるようになったのか。
そこまで分解して、初めて目標になる。

だから、次の半期も同じように「在庫管理を覚えます」では困る。

覚える努力と、改善する努力は違う。

一度覚えたなら、次は在庫率や金額をどう見るか。
不動品をどう減らすか。
不足薬を増やさずに、在庫をどう絞るか。
高額薬の影響をどう考えるか。

そこに進んでいかないと、評価にはつながりにくい。

数字にすれば見えやすい。

でも、数字にしたらしたで難しい。

コロナの時期には、高額な治療薬の処方が増えることもあった。
高額な薬を抱えれば、在庫率は一気に変わる。

逆に、在庫を絞りすぎると不足薬が増え、患者さんへの対応が長くなり、郵送代などの余計な費用がかかる。

在庫率だけを良くしようとすると、現場が崩れることがある。

数字は必要だ。
でも、数字だけでは努力の質までは見えない。

結局、日々のコツコツが大事になる。

不要な在庫を絞る。
不動品を使っている店舗へ送る。
患者さんの来局状況を見る。
絶対に常備すべき薬を切らさない。
数字だけでなく、現場の動きも見る。

そういう積み重ねは、ちゃんと見ていれば評価に書ける。

目標に少し届かなかったとしても、途中の行動や理由が見えていれば、低評価にはならない。

逆に、普段の在庫管理をせず、最後だけ頑張ろうとしても難しい。

「頑張りました」と言われても、何をどこまで頑張ったのかが見えなければ、評価する側は困ってしまう。

人事評価で一番難しいのは、頑張っている人を探すことではなかった。

本人の中では努力だったものを、評価できる形まで一緒に分解することだった。

質問してくる人の努力は、途中経過が見える

ここで、素直さは技術なのかもしれない、とも思う。

コツコツやっている人は、途中で質問してくる。

「ここまではやったんですけど、うまくいきません」
「この場合はどうしたらいいですか」
「この数字の見方で合っていますか」

そう聞かれると、評価する側は分かる。

ああ、この人はここまで考えたんだな。
ここまでは自分で進めたんだな。
ここで詰まっているんだな。

途中経過が見える。

一方で、質問もなく、最後に「頑張りました」だけだと、どうしても数字や結果だけで見ることになる。

本人の中では努力だったのかもしれない。
でも、その努力がどこに向かっていたのかが見えない。

努力は、途中で言葉にしないと、最後に数字だけで見られてしまうことがある。

これは評価される側にとっても苦しいし、評価する側にとっても苦しい。

「ちゃんと頑張っていたのに」と思う人がいる。
でも、評価する側から見ると、「何をどう頑張っていたのか」が見えないことがある。

だから、人事評価は難しい。

努力に名前をつけることも、同じくらい難しい。

評価する側も、評価される側だった

店長になると、人事評価をつける側になる。

でも、評価する側になったからといって、自分が評価される側ではなくなるわけではない。

スタッフの評価は、店舗の状態とつながっている。
店舗の状態は、自分の評価ともつながっている。

だから、ただ優しく評価すればいいわけではない。

全員にいい評価をつければ、その場では波風が立たないかもしれない。
でも、それで本当にコツコツやっている人が報われなければ、周りはついてこなくなる。

逆に、言うべきことを言わずに曖昧にしていると、店舗の中にある小さな努力が消えていく。

在庫を見てくれている人。
患者さんに声をかけてくれている人。
新人が孤立しないように支えてくれている人。
備品や書類を整えてくれている人。

そういう人たちの努力が、「普通にやっていること」として流されてしまう。

だから、言わないといけない時は言わないといけない。

「これは評価できる」
「これはまだ足りない」
「これは普段の業務の範囲」
「ここまでやってくれているから助かっている」

そうやって言葉にしないと、店舗の基準が曖昧になる。

評価する側にも、プレッシャーがある。

誰かを傷つけたいわけではない。
でも、言わなければ、別の誰かの努力が傷つくこともある。

管理職が難しいのは、たぶんそこなのだと思う。

接遇は、さらに評価しにくい

数字で見える努力も難しい。

でも、もっと難しいのは接遇だった。

朝早く来て、店舗の周りを掃除してくれる。
門前の事務さんと関係を作り、病院内の情報をさりげなく拾ってくれる。
店舗の雰囲気を良くするものを持ってきて、患者さんの待ち時間が少し和らぐように装飾してくれる。

調剤時間が長引く時に、患者さんと会話して場をつないでくれる。
ペンやホッチキスやガムテープなどの備品を整理してくれる。
書類の整理や不足薬の発送をしてくれる。
新人薬剤師のOJTで、ひとりにならないように近くにいてくれる。
忙しい時でも、横からそっと説明してくれる。

どれも、すぐ売上になるわけではない。
在庫率のように数字で見えるわけでもない。

でも、それがないと店舗は回らない。

数字にはならないけれど、数字が崩れないように支えている努力がある。

店長としては、そういう小さな努力を集めておかないといけない。

半年後に思い出そうとしても、たぶん思い出せない。
だから日々の中で見ておく必要がある。

あの人は、朝掃除してくれていた。
新人が困っている時、近くにいてくれた。
患者さんが待っている時、場をつないでくれていた。
備品が切れる前に、補充してくれていた。

そういう場面を、評価の言葉に変換していく。

評価とは、目立つ成果を採点することだけではない。

消えそうな努力を、消えないように拾っておくことでもあるのだと思う。

薬剤師の仕事も、名前のない努力が多い

薬剤師という仕事そのものも、名前のない努力が多い仕事だと思う。

一般的には、医師が書いた処方箋通りに薬を出しているように見えるかもしれない。

でも実際には、処方内容を確認し、用量や飲み合わせを見て、必要があれば医師に確認する。
患者さんの体調や生活状況を聞き、副作用の可能性を考え、飲み方を説明する。

病院では医師や看護師と連携する。
薬局では患者さんや家族と話す。
在宅では施設の看護師さんや往診医と情報をつなぐ。

患者さんからは見えにくい。
でも、見えないところで確認しなければ、薬は安全に渡せない。

医療者からすると、薬剤師はいてほしい存在だと思う。
でも一般の人からすると、「何をしているのか分かりにくい」と思われることもある。

この分かりにくさも、名前のない努力なのだと思う。

見えにくい努力ほど、説明するのが難しい。
でも、伝わった時には、評価が一気に変わることもある。

キャリアアップは、育児から遠ざかることだと思っていた

人事評価をつける側になって、評価の難しさは分かった。

でも同時に、自分自身はずっと、評価されることに対して複雑な気持ちがあった。

評価されるのは嬉しい。
でも、責任が増えるのは怖い。

責任が増えれば、休みにくくなる。
急に帰りにくくなる。
子どもが小さい時に、家庭を優先しにくくなる。

そう思っていた。

だから、本音を言えば、できるだけキャリアアップしたくなかった時期もある。

気づいたことを言えば、評価されるかもしれない。
効率化したことを話せば、さらに任されるかもしれない。
誰かの努力を言語化すれば、マネジメントスキルがあると思われるかもしれない。

だから、黙っておこうと思うこともあった。

でも、結局気になってやってしまう。

効率が悪いところを見ると、整えたくなる。
誰かがやってくれている小さな努力を見ると、言葉にしたくなる。
助かっていることに気づくと、「これは助かっている」と言いたくなる。

そうしているうちに、評価されてしまう。
役割が増えてしまう。
責任が増えてしまう。

キャリアアップは、育児から遠ざかることだと思っていた。

でも、少し違った

でも、最近は少し違うのかもしれないと思っている。

店長になったからといって、業務時間が極端に増え続けたわけではない。
むしろ、少しずつ店舗を整え、残業は減ってきた。

もちろん、責任は重くなる。

でも、店舗が安定していれば、店長がいなくても回る日がある。
自分ひとりで抱え込まなくても、支えてくれる人がいる。

実際に、5ヶ月の育休を取った。

最初は不安もあった。

店を離れて大丈夫なのか。
現場は回るのか。
迷惑をかけるのではないか。

でも、育休が終わった時、上司が「もう5ヶ月経ったの?短かったわ」と言ってくれた。

救われた。

店舗の人たちも、きっといろいろ大変だったと思う。
ミスやトラブルもあったはずだ。

それでも、自分が戻った時には、詳しく不安をぶつけるのではなく、「大丈夫でした」と言ってくれた。

あの時、思った。

自分が5ヶ月いなくても回る店になっていたのは、それまでの名前のない努力が残っていたからなのかもしれない。

マニュアルを作ったこと。
人が動きやすい流れを作ったこと。
事務さんや薬剤師が相談しやすい空気を作ったこと。
新人が孤立しないように、少しずつ仕組みを整えたこと。
日々の小さな違和感を、そのままにしないで直してきたこと。

それらは、ひとつひとつは大きな成果に見えない。

でも、少しずつ積み上がって、支え合える場所になっていたのかもしれない。

子育てとキャリアを考える上で大事なのは、ただ上に行くことでも、上に行かないことでもないのかもしれない。

どれだけ支えられているか。
どれだけ任せられる場所を作れているか。
自分がいない時間を、誰かが守ってくれる関係があるか。

そこなのかもしれない。

評価シートには書ききれない努力は、どこかに残る

人事評価は難しい。

数字にできる努力がある。
数字にできない努力がある。
名前をつけやすい努力がある。
どうしても評価シートには書ききれない努力がある。

評価する側は、それをどう拾うかで悩む。
評価される側は、自分の努力がどう見られているのかで悩む。

そして育児中のキャリアは、さらに揺れる。

評価されたい。
でも、責任が増えるのは怖い。
キャリアを進めたい。
でも、子どもとの時間は削りたくない。

そのあいだで、ずっと揺れてきた。

でも今は、少しだけ思う。

自分が積み上げてきた名前のない努力は、ちゃんとどこかに残っていることがある。

自分で「これは努力です」と大きな声で名前をつけなくても、誰かが見てくれていることがある。

そして、誰かがあとから名前を置いてくれることがある。

店を整えたこと。
人が動きやすい流れを作ったこと。
新人が孤立しないようにしたこと。
事務さんが力を出せる場所を作ったこと。
患者さんが少し安心できる空気を作ったこと。
子どもと過ごすために、働き方を選び直したこと。

それらは、評価シートにきれいには書けないかもしれない。

でも、消えてはいなかった。

キャリアアップは、育児から遠ざかることだと思っていた。

でも、自分が積み上げてきた名前のない配慮や環境づくりが、いつの間にか「支え合える場所」になっていたのかもしれない。

だから今は少しだけ思う。

キャリアは、ひとりで背負えば育児から遠ざかる。
でも、誰かと支え合える場所を作っていくキャリアなら、育児から遠ざかるだけではないのかもしれない。

評価しきれない努力は、たしかにある。

でも、それを見ようとしてくれる人もいる。
名前をつけきれないまま、それでも覚えていてくれる人もいる。

人事評価をつけながら、育児とキャリアのあいだで揺れながら、今はそんなことを考えている。

あの日、階層テストの会場へ向かう途中で思いついた「名前のない努力」という言葉は、ただの思いつきではなかったのかもしれない。

人事評価という、会社の中で努力に名前をつける仕組み。
育児という、名前のつかない努力が毎日のように積み重なる時間。
キャリアという、評価されるほど責任が増えていく道。

その三つのあいだで、自分はずっと揺れていた。

評価しきれない努力は、たしかにある。

でも、それを見ようとしてくれる人もいる。
名前をつけきれないまま、それでも覚えていてくれる人もいる。

そしてたぶん、自分が今書こうとしている「名前のない努力」という言葉も、そういう見えにくいものを少しだけ見つけるための仮の名前なのだと思う。

人事評価をつけながら、育児とキャリアのあいだで揺れながら、今はそんなことを考えている。

人事評価をつけながら、育児とキャリアのあいだで揺れながら、私は今、「名前のない努力」という言葉に、もう少し向き合ってみようとしている。

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はるまき大臣|薬剤師 読んでよかったと思っていただけたら、とても励みになります。 いただいたチップは、次の記事づくりや学びの積み重ねに使わせていただきます。