高市政権の動きから考える、これからの日本人の働き方〜「働いて働いて」という言葉が示したもの
2025年10月21日、高市早苗氏は憲政史上初の女性首相として組閣しました。
その直後に注目を集めたのが、総裁選勝利演説での次の言葉です。
「ワーク・ライフ・バランスという言葉を捨て、働いて働いて働いて働いて働いて参ります」
この発言は、単なる意気込みや比喩として受け止めるだけでは足りません。実際にその後の労働政策を見ると、日本の働き方をめぐる方向性が大きく変わりつつあることが分かります。
同日、高市首相は厚生労働相に対して、「心身の健康維持」と「従業者本人の選択」を前提に、労働時間規制の緩和を検討するよう指示しました。
これまで日本の労働政策は、2018年の働き方改革関連法以降、「いかに長時間労働を減らすか」に重心を置いてきました。
しかし高市政権では、その流れが少し変わり始めています。
キーワードは、「働き方改革」から「働きたい人がもっと働ける改革」への転換です。
「働き方改革」から「働きたい改革」へ
高市政権が掲げているのは、「働きたい人がもっと働ける社会」です。
一見すると、これは前向きな考え方です。
もっと稼ぎたい人、もっと仕事で成果を出したい人、今より長く働くことで生活を安定させたい人にとっては、選択肢が広がるからです。
厚生労働省が2026年3月に公表した「働き方改革関連法施行後5年の総点検」では、「労働時間を増やしたい」と答えた労働者は全体の1割程度にとどまっています。その理由の多くは、「もっと収入を増やしたい」というものでした。
この結果を背景に、政権は裁量労働制の対象拡大などを進めようとしています。
裁量労働制とは、実際に何時間働いたかではなく、あらかじめ決めた時間を働いたものとみなす制度です。専門職や企画職などで使われてきましたが、対象が広がれば、より多くの人の働き方や残業代の扱いに影響します。
ここで注目したいのは、政策を議論する場の変化です。
従来のように、労働者側と使用者側が参加する審議会だけでなく、内閣直轄の「日本成長戦略会議・労働市場改革分科会」でも議論が進められています。
この分科会は、労働者側の代表が少ないと指摘されています。そのため、労働団体からは「労働者の声が十分に反映されていないのではないか」という批判も出ています。
つまり、今回の動きは単なる制度変更ではありません。
「誰が働き方のルールを決めるのか」という点でも、大きな転換が起きているのです。
ただし、話は単純ではない
ここで重要なのは、「規制を緩める方向に一気に進んでいる」と単純には言い切れないことです。
一方では、厚生労働省の有識者研究会で、約40年ぶりとなる労働基準法の抜本改正に向けた議論も進んでいました。
そこでは、長時間労働を防ぐための制度も検討されていました。
たとえば、勤務と勤務の間に原則11時間の休息を取る「勤務間インターバル制度」の義務化。14日以上の連続勤務の禁止。仕事時間外に会社からの連絡に対応しなくてよい「つながらない権利」に関するガイドラインづくりなどです。
これらは、労働者を守るための制度です。
しかし高市政権の規制緩和方針によって、こうした抜本改正は当初予定されていた2026年通常国会への提出から先送りされる見通しとなっています。
つまり今の日本では、「もっと働けるようにする流れ」と「働きすぎを防ぐ流れ」が同時に存在しています。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態です。
このバランスをどう取るのかが、今後の大きな焦点になります。
「年収の壁」解消も働き方を変える
もう一つ、働き方に大きな影響を与えるのが「年収の壁」の見直しです。
2025年12月、高市首相と国民民主党の玉木雄一郎代表の合意により、所得税の非課税ラインが103万円から178万円へ引き上げられることが決まりました。これは2026年分の所得から適用されます。
これまで、パートやアルバイトで働く人の中には、年収が一定額を超えないように働く時間を調整してきた人が多くいました。
いわゆる「働き控え」です。
「これ以上働くと税金や社会保険料が増えて、かえって損をするかもしれない」
そう考えて、働ける時間があってもシフトを減らす人がいたわけです。
今回の見直しによって、この働き控えが減る可能性があります。
また、社会保険の分野でも変化があります。
いわゆる「106万円の壁」は、2026年10月をめどに撤廃される予定です。これまでは、月額賃金8.8万円以上になると厚生年金への加入義務が生じる賃金要件がありました。
しかし最低賃金の上昇により、週20時間ほど働けば多くの人がこの基準を超えるようになっています。そのため、賃金要件そのものの意味が薄れてきました。
撤廃後は、「年収がいくらか」よりも、「週20時間以上働くかどうか」が社会保険加入の主な基準になります。
つまり、「106万円の壁」は「週20時間の壁」に置き換わっていくと考えられます。
さらに、130万円の壁についても見直しが進んでいます。2026年4月からは、実際の収入ではなく、雇用契約書に書かれた契約上の基本収入で判定する方式に変わっています。
これにより、繁忙期の残業などで一時的に収入が増えても、すぐに扶養から外れるリスクは下がります。
こうした見直しが重なることで、主婦層や学生アルバイトなど、これまで働く時間を調整していた人たちが、より長く働きやすくなる可能性があります。
政府としては、人手不足を補うための現実的な対策として位置づけているのでしょう。
これから起きそうな4つの変化
ここまでの流れを踏まえると、今後の日本人の働き方には、いくつかの変化が同時に起きていくと考えられます。
1. 「選べる働き方」の名のもとに、働き方が二極化する
高市政権の方針を前向きに見れば、「もっと働きたい人には働ける選択肢を与える」という考え方です。
これは、収入を増やしたい人やキャリアを伸ばしたい人にとってはメリットがあります。
ただし、日本の職場には同調圧力があります。
制度上は「本人の選択」であっても、実際には上司や職場の空気によって、長時間労働を選ばざるを得ない人が出てくる可能性があります。
特に若手社員や立場の弱い労働者にとっては、「働きたい人が働ける制度」が、「働かないと評価されない制度」に変わってしまうリスクがあります。
ここが最も注意すべき点です。
2. パート・アルバイトの働く時間が増える
年収の壁が見直されることで、これまで扶養の範囲内に収まるように働いていた人たちは、より長く働きやすくなります。
家計にとっては、収入を増やすチャンスになります。
一方で、社会保険に加入すれば保険料の負担も発生します。そのため、短期的には「働いたのに手取りがあまり増えない」と感じる年収帯も残ります。
ただし、社会保険に入ることで、将来の年金や傷病手当などの保障は厚くなります。
目先の手取りを重視するのか。将来の保障まで含めて考えるのか。
個人ごとの判断が、これまで以上に重要になります。
3. 企業の負担も増える
社会保険の適用が広がれば、企業側にも保険料負担が発生します。
特に中小企業にとっては、人件費の増加が大きな課題になります。
政府は助成金や保険料の調整措置を用意していますが、それでも企業は人件費やシフト設計、賃金制度の見直しを迫られるでしょう。
さらに裁量労働制の対象が広がれば、残業代や評価制度のあり方も変わります。
企業にとっても、「今まで通りの働かせ方」は通用しにくくなっていきます。
4. 長時間労働を防ぐルールをめぐる綱引きが続く
勤務間インターバル制度、連続勤務の規制、つながらない権利。
こうした労働者を守るための論点は、先送りされたとしても消えたわけではありません。
今後の政権運営や国会の構成、連立や協力関係の変化によって、労働時間規制の緩和と労働者保護の強化のどちらが前に出るかは変わっていく可能性があります。
つまり、働き方のルールはまだ固まっていません。
今後数年かけて、揺れながら形づくられていくことになるでしょう。
まとめ:「選べる働き方」の中身が問われる時代へ
高市政権の労働政策を一言でまとめるなら、「働きたい人がもっと働ける社会」への転換です。
裁量労働制の拡大も、年収の壁の見直しも、共通しているのは「制約を外し、個人の選択に任せる」という考え方です。
これは、もっと働いて収入を増やしたい人にとっては歓迎できる変化です。人手不足に悩む企業にとっても、労働力を確保する手段になります。
しかし問題は、「選択」という言葉の中身です。
本当に本人が自由に選べるのか。
それとも、職場の空気や生活費の不足によって、長く働かざるを得ない状況に追い込まれるのか。
ここを見極める必要があります。
年収の壁の解消についても同じです。
単に社会保険料の負担が増えたと感じるのか。それとも、将来の保障が厚くなる制度として納得できるのか。
その受け止め方は、人によって大きく変わるでしょう。
これからの日本では、企業も個人も「自分にとっての働きたい働き方とは何か」を、これまで以上に考える必要があります。
長く働くことが悪いわけではありません。
ただし、それが本当に自分の意思によるものなのか。
その問いを置き去りにしたまま進めば、「働ける社会」はいつの間にか「働かされる社会」に変わってしまいます。
これから問われるのは、働く時間の長さではありません。
「選べる」と言えるだけの環境が、本当に整っているかどうかです。
